第22話 ファンタジー&ファンタジー

 家のすぐ近くの公園にある、薄暗く人気のない男子トイレ。

 十一月も末の、朝の空気は冷たい。

「それじゃあ、ご登場願いましょうか」

 言う不審者のジャケットから、黒猫がぴょんと飛び出した。

 茶トラの子猫は、不審者が抱っこしたままだ。

「……?」

 これは……ビックリショーかなにかだろうか。

「驚いたかね。私はこれができるが、ミツキちゃんはそうはいかないのだ。空に月が出るまではな」

 俺は茫然と、今まで黒猫だったを見た。

 女性……にしか見えない。く、黒猫がっ! 女性になった! 俺の目の前で! んなバカな!

「まあ、納得するまで眺めるがいい」

 ふふん、と笑う女の背は、一八〇センチある俺の身長より高い。

 白い肌に、金色の瞳と真っ赤な唇が映えていた。

 真っ黒な腰までの長髪。ロングコートを身に纏った、スレンダーな美女。

 だ、誰かこの状況を、俺が納得するまで説明してくれ……

「石頭、とりあえず座って話をしよう」

 俺は不審者に促され、近くのベンチに座った。

「な、なんなんだ、これは……」

 頭が、目の前の現実を受け入れられずにぼーっとしている。

「まあ、この世界じゃ猫は人型にならないからなぁ」

 不審者ののんびりとした口調。

 そうだよ! 猫は生まれてから一生涯、ずっと猫のまんまだよ!

「しかし実際にその目で見たからには、信じるしかないよね、石山君?」

 ベンチに座る女性の、鮮やかな紅色がにやりと笑った。

 俺は思わず距離をあけた。

「あのさ、石頭は私を不審者って呼ぶけど、正しくは異世界人なんだ。で、こちらは私の国の神様。本体は私の国にいるんだけどね」

 は? 異世界? 神様? また、そんなファンタジー……もう、ミツキちゃんだけでお腹いっぱいだよ!

「石山君は、ミツキちゃんが未来から来たことは信じているんだよね?」

「……はぁ」

 だって、認めざるを得ないだろう。あれだけまひろとサトルに似てるんだから。

「それなら、私のことも受け入れられるよね? 私はこの世界でも神をやっている。君の奥さんの実家の近くに、神社があるだろう?」

 神社……そういえば、前にまひろと一緒に行ったような……

「そこに祀られているのが私なんだ。未来のこの世界で、ミツキちゃんは私によくお供え物をくれてねぇ」

 黒い女の表情が、ふんわりと柔らかくなる。

「それがとても美味しくてね、私の大好物なのさ。で、そのお礼にミツキちゃんの願いを叶えてあげようと思ったわけ」

『ミツキね、毎日神様にお願いしたの。パパをくださいって。ドロップの白いやつ、スースーしてミツキは食べられなくて、これ神様にあげるから、ミツキのお願いごと、叶えてくださいって』

 あ……一昨日ミツキちゃんが言ってたやつ……あの事だ。

「ミツキちゃんは、パパが欲しいと願っていた。だけどね、男性なら誰でもいいって話じゃないんだ。ミツキちゃんが望むパパ。つまり、君だ」

「いや……俺は……ミツキちゃんのパパには、なれません」

「なれないんじゃなくて、なる気がないんだろ」

「なりたかったさ!」

 俺は立ち上がって、口を挟んできた不審者に叫んでいた。

「だけど……俺には……」

「知ってるよ……だけど、血縁ってそんなに大事かねぇ……あ、いや、そういう問題じゃないか。まひろさんの相手が問題なんだよな、きっと」

 俺の胸がさあっと冷たくなった。

「川上サトル、石頭の同期でちょっとチャラい美容師。なんで未来のまひろさんは、そいつを選んだのかねぇ」

 サトルには……みさきと子どもがいる。それは、まひろだって知っているはずなんだ。

「まさか、俺が知らない内に離婚してたのか?」

「いや、今も未来でも、家庭内の空気は冷めていたけど、婚姻関係は解消してなかったよ」

 不審者の言葉が、俺の体を撃ち抜いた。

 体がよろよろとベンチに吸い込まれる。

「俺は……どうしたいんだ……」

 ほんとうに、わからない。

「今からなら、未来を変えられる。まひろさんが、川上サトルを選ばないようにすればいい」

「でも、それじゃ、ミツキちゃんが生まれないことになっちまうだろ」

 それは、嫌だ。

「いや、魂のめぐりは決まっている。君の奥さんが一年半後、ミツキちゃんを生むという事実は変わらない」

 神ってやつはそんなことまで知ってるのか……いや、そんなことより……

「一年半後……そんなに近い未来なのか」

 もしかしてまひろ……俺の知らないところでサトルと連絡をとっているのか?

「疑心暗鬼は感心せぬが、石山君は人だから仕方あるまい。それから、タイムリミットの話だが」

「タイムリミット?」

「ミツキちゃんが、過去であるこの世界にいられるタイムリミットのことだよ。この首輪をご覧」

 黒い女は自分の左手首を示す。

 そこには黒い革ベルトに黒い鈴、半月のチャーム……あの黒猫がしていた首輪があった。

 女が指さしているのは、半月型の金色のチャームだ。

「ミツキちゃんの首輪にも、同じものがついているだろう? これは実際の月の形とリンクしていてね、我々が現在ここにいられるのは、この月が新月の形になるまで……今日を入れて、あと五日だ」

 俺はまじまじと半月のような形のチャームを見た。確かに、一昨日より少し小さくなっているような気がする。

「空に月がない間は、ミツキちゃんは猫の姿になる。今、あの者が抱きかかえてる子猫。あれがミツキちゃんだ」

 んなバカな……いや。

 黒猫はこの黒い女になったし、しかも神だとか言い始めるし、そもそも未来から来たって……もうなにがなんだかわからん。

「あの不審者は……なにもんなんだ」

「あの者は、異世界の人間だ。その世界で、私は実体の状態で祀られている。この世界のような偶像ではなく、ね。あの者も」

 言い、黒い女性は不審者を見た。

「叶えたい願いがあって私を頼ってきたんだ。去った妻に戻ってきてほしい、とね」

「叶うんですか……その願いは」

「それは君次第だよ、石山君」

 女の回答に、不審者の顔色が変わった。

「そ、そんな!」

「……なんで、俺次第なんですか」

「私の代わりに、ミツキちゃんの願いを叶えることが条件だからさ。まあ、正確には願いを叶えるというより、我々はあの子の手伝いしかできないのだがね」

「石頭! ミツキちゃんのパパになってくれ! 俺の人生がかかってるんだ、頼む!」

 いや、そんなに必死な顔されてもさ。

「ダメか……こんなに頭下げてるのに! この石頭!」

「これ君、結果を急がないように。まだ五日もあるのだ。計画を練りたまえ」

「くっ……は、はい……」

「あぁ、俺はもう頭の中がぐちゃぐちゃだ……すべて忘れて仕事する」

 俺はベンチから立ち上がった。

 そういえば、朝飯も食ってない。コンビニに寄ってなにか買おう。

「にゃーん」

 どこか寂しげな、茶トラの子猫の鳴き声が聞こえた。

 ミツキちゃん……

 一瞬だけ後ろ髪が引かれて、足が止まる。

 あの首輪。俺が鈴をつけ直した、ブレスレット……いや、首輪。

 ああ、やっぱり、茶トラの子猫=ミツキちゃん、なんだ! 受け入れられないけど!

 俺は軽く頭を振り、あまりにファンタジーな現実をを断ち切って走り出した。

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