第23話 まひろとカミ
「石頭のやつ、相当混乱してたな……まあ、そりゃそうか……普通あまり起きないもんな、猫が人間になるとかさ」
私は子猫のミツキちゃんを黒龍様に任せて、石頭の家に戻った。
今まですべて妻任せにしてきた家の事アレコレを、まひろさんから教えてもらうためだ。
「まひろさん優しそうだから楽しみだなぁ〜……あピンポ〜ん、と……」
「あ、カミさん、待ってましたよ!」
勢いよく開いたドアから、まひろさんが顔を出した。
あー、こうしてまじまじと見ると、ほんっとにミツキちゃんによく似ている。正直言って可愛い。
あ、なんか今、ちょっと後ろめたくなったな。
「すみません、お待たせして」
私は二階にあるリビングへの階段を上りながら、まひろさんに謝った。
「朝ご飯、タケルとなに食べたんですか?」
まひろさんが、私からジャケットを受け取りながら聞いてくる。
あ……そうだ、朝飯のこと、すっかり忘れてた。
「あ、いや、実はちょっと話し込んでたら、食べる時間がなくなっちゃって、食べてないんです」
「まあ、そうなんですか……あ、珈琲飲みます?」
珈琲……うん、あれはなかなか大人の味でうまい飲み物だ。こっちにきてから、何回か飲んだぞ。
「はい、いただきます!」
「あと、昨日のシチューとポテトサラダ、まだ残ってるんですけど、それで良ければ食べませんか?」
まひろさん、優しい……あの石頭には、ほんともったいないわ!
「ありがとうございます、いただきます!」
「ハァイ、じゃあ温めますね〜」
そう言ってまひろさんは箱のようなものに皿を入れて扉を閉め、ボタンを押した。
あれが電子レンジというやつか……ほんとにこの世界は、便利で快適すぎる。
チンっ!
「あの……まひろさんは、なんで石あた……山君を結婚相手に選んだんですか?」
私は白い湯気を立てるシチューを頬張りながら尋ねた。
マグカップからは、なんともいえない珈琲の良い香りが漂ってくる。
「えっ……やだ、どうして、そんなこと聞くんですか?」
まひろさんは自分のカップに口をつけながら、微妙な笑みを浮かべた。
「いや、その……なんとなく、気になっちゃって……ハハハ」
この先、ミツキちゃんのパパに石頭を選んでもらわないとだからな。
そうしないと、私の願いが叶わなくなってしまう。ここまでしたってのに!
「んー……なんでかな……」
まひろさんはしばらく考えた後で、ようやく口を開いた。
その視線はテーブルの一角に注がれている。
「最初はとっつきにくいし、なんだか怖いし、どっちかっていうと、近寄りたくなかったくらいなんだけど」
「やっぱり顔ですか」
石頭のやつ、面はいいからな。
「うーん、それもあるけど、顔より意外性かな? ああ見えて、タケルって優しいところがあるんだよ。意地っ張りの負けず嫌いだから、なかなかそういうところ、他人に見せないけどね」
ほう、そりゃ意外だ。
「へぇ……今もその気持ちに、変わりはないと?」
しん、とした空気の中、私がたてるシチューの皿とスプーンがぶつかる音だけが響く。
「……今は……カミさんがそんな風に言うってことは、私たちのこと、なにか感じたんですね?」
こころなしか、まひろさんの表情に翳りが見えた。
「まあ、私が気づいたことなんて、ささいなことですけど……夫婦二人暮らしなのに、寝てるとこが別々だ、とか」
「あぁ、なるほど……確かに、そうですね」
まひろさんは小さく頷いて、深いため息を吐いた。
「実は私たち、二年前に不妊治療のお医者さんから言われたことで、なんだかおかしな雰囲気になっちゃってて……昨日カミさんたちが来てくれて」
まひろさんの丸い目が細くなる。
「久しぶりだったんです……タケルと、変に緊張せずに一緒にいられたの」
「夫婦のことに、私なんぞが口出しするのもなんですけど……よく話し合うことが必要なんじゃないですか」
そう、この時代なら。
「子を授かる方法、ありますよね? 他人の力を借りることにはなるでしょうが」
「……それは……お医者さんからも説明を受けたんですけど、触れられなかった。カミさん、ご存知かもしれませんけど、タケルにはお兄さんがいるんです。お子さんがいらっしゃる」
ああ、あの折合いの悪い兄貴か。こっちに来たばかりの頃、山のように流れ込んできた情報の一つだ。
「そのお兄さんに協力してもらうのが、一番血縁的に近くなるんですけど」
「仲、悪いですもんね……でも、まひろさんはママになりたいでしょう?」
そう訊いた瞬間、まひろさんの真っ直ぐな視線が飛び込んできた。
「それは……でも……」
「正直に話したほうがいいですよ。私は一切石あた……山君には言いませんから」
かたり、まひろさんが握りしめていたマグカップがテーブルに置かれる。
「正直……」
まひろさんは両手で顔を覆った。
「ミツキちゃんは、あまりに私に似すぎていて……可愛いと思ったけど、でも、それだけじゃなくて……私に、 もし娘がいたらって……考えてしまって」
「やっぱり、二人で話した方がいいんじゃないですかね? この先のことを」
「……そう……ですよね」
あぁ、でもあの石頭、今の状態だと絶対にイエスって方向に行かないよな。
『計画を練りたまえ』って、黒龍様も言ってたしな……
「ちょっと、私も考えますわ。もっとミツキちゃんの虜になってもらわないと」
「え?」
まひろさんが顔をあらわにした。
うん。やっぱり可愛い人は、笑った方がいいよ。こんな、困惑したような寂しいような
あの石頭にそれができないなら、私がしてあげよう!
よし、二人が、三人が仲良くなる計画を練るぞ!
「……そうだ、家事を教える約束でしたよね……食器洗いから始めましょうか」
まひろさんは、かすかに笑った。
その笑顔、私が必ず満面の笑みにしますからね!
私はマグカップに残った珈琲を、ぐいっと一気に飲み干した。
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