第20話 まひろの弟子誕生

「あ、タケル! 先に盛り上がってるよぉ」

「石頭ぁ、これうまいなぁ、お前の酒!」

 あぁあ、この不審者め……人の気も知らないで……まひろ! なんで俺のビール出したんだよ!

 まひろの部屋からリビングに向かうと、ダイニングテーブルには既につまみが並んでいた。

「なんで俺のビール……」

 不審者がうまそうに口に運んでいるのは、俺のお気に入りのビールだ。

「もっと安いやつあっただろ!」

 俺はコソコソとまひろに叫んだ。

「だぁってアレ、冷えてないんだもん。ビールは冷えてなきゃ、美味しくないでしょう?」

 さほど酒に強くないまひろからは、かすかに梅酒の香りがした。

 グラスを見れば、ロックで飲んでいるようだ。

「割ってないのかよ」

「明日はお仕事お休みだからいいの。はい、タケルの分!」

 まひろが冷蔵庫から取ってきてくれたビールは、よく冷えていた。もちろん、不審者も飲んでいる俺の好きなブランドのものだ。

「ミツキちゃん、ほんっとに私にそっくりで、とても他人とは思えないのよね……カミさんの奥さん、さぞかし私に似てるんでしょうね。写真、見てみたいな。ないんですか、奥さんの写真」

「いや、実は……」

 ん……おい、不審者……そんな真面目なつらして

なにを言う気だよ……まさか、ミツキちゃんが未来のまひろの子だって言うんじゃないだろうな?

「あの子の母親は、私の嫁じゃないんですよ」

「お、おい!」

 不審者は慌てて立ち上がった俺を手で制した。

「あの子、実は私の妹の娘なんです」

 ……え? い、妹? なんでまたそんな設定を?

「えっ、そうなんですか!」

 まじめに話を聞いているまひろが叫ぶ。

「妹は今、仕事で海外出張に行ってて! その間だけ私がミツキちゃんを預かってるんですよ!」

「えっ……パパはいないんですか?」

「パパは……」

 おい、やめろ、俺をチラ見するな!

「見た目が石頭にちょっと似てたんですけど、浮気したあげく、妹とあの子を捨てて出ていったんですよ! 最低ですよね!」

 ……なんだろう、なんだかムズムズして居心地が悪い。

 頭に浮かんだのは、時々話し相手になっている、馴染の若い女性客だ。

 いや、あれは浮気じゃない。顧客サービスの一環だ。

 触れてもいないし、情もないんだから。

「最低です!」

 ドン、とまひろがテーブルに拳を振り下ろした。

 その顔はほんのり赤い。

「許せない、その男!」

「ミツキちゃんが時々間違えて石頭をパパって呼んじゃうのもそのせいなんですよ!」

「いや、お前は俺の名前を間違えてる、さっきからずっとな」

 俺のまともな指摘を無視して、不審者はビールを飲み干した。

「お願いがあります!」

 いきなりガバッと頭を下げたりして……おい不審者、なにを……

「妹が海外出張から戻ってくるまで……今日を入れて五日、いや、三日だけでもいいです! 夕方から朝まで、ミツキちゃんを預かってくれませんか!」

「はあ? いや、まひろだって仕事があるし、そんなの無理だよな?」

「い、いいですよ……」

 ぎょっとしてまひろを見ると、目に涙が光っている。

 まずい、まひろの泣き上戸が発動してるじゃないか。

「まひろ、お前、泣いてるのか? 待て、冷静になれ!」

「タケル! これが泣かずにいられる⁉ ミツキちゃんがかわいそうじゃない! ママが帰ってくるまでウチで預かろうよ!」

 そんな、それじゃ不審者の思うツボだ!

「タケルは仕事を休まなくてもいいから! 私はパートだから、休み取れるし!」

「あ、まあ、日中は猫になってるから大丈夫ですけどね」

「は?」

 不審者の表情が一瞬だけ、しまったといったものになる。

「あ、日中は私の母が猫かわいがりしてるから大丈夫です。夕方から翌朝までお願いします」

「任せといてください!」

 まひろは言い出したら引かないからな……

「ああ、良かったぁ……ほんとにありがとうございます」

 不審者が涙を拭く仕草をした。

 わざとらしいな。

「……ところで、カミさんは奥さんいらっしゃらないんですか?」

 ん……あれ、そういえば。

『実は私も子どもを授かれない体質なんだ。君と同じで。だからなんとなく、親近感が湧いちゃって。えへへ』

 そうだ。あんなことを言うってことは、嫁がいるってことだ。

「あっ、えっと、その……」

 途端に、不審者の態度がおかしくなり始めた。

「い、いないんですよ」

「今は、だろ? なんだよ、まさか逃げられたとかじゃないだろ?」

 俺はつまみのポテトサラダを口に入れた。

「……」

 なんだよ、図星かよ!

「え……どうしてですか? カミさん、こんなに子ども思いで優しいのに」

「いや、実は嫁のせいに」

 え。

「なにを、ですか?」

「子どもが授からなかったこと」

 うっわ、最悪! あ、まひろの表情が一変してる。

「あっ、今はすんごく反省してます! めちゃくちゃ謝ったんですよ! ほんとです、信じてください!」

「……それで、奥さんがいなくなった、と」

「は、はい……」

 小さくなってる……不審者め……他人ひとの酒をパッカパカ飲んだ罰だ、まひろに絞られろ!

「まあ、女性って受けた傷のこと、ずっと忘れないからね」

 おい、まひろ……なんでそこで俺をチラ見するんだ……なにかしたか、俺……

「はい、それは酒場のママにも言われて……だから、嫁が出ていったのは仕方ないって思ったんですけど、でも、やっぱり……私には、嫁が、私の嫁がいなきゃダメなんです」

「ダメって、どういう意味ですか?」

 う、まひろの声が低くて冷たく感じる。気のせいだろうか。

「えっ……掃除とか、洗濯とか、縫い物とか、飯のこととか」

 おい、それ全部家事じゃないか!

 ダン! と再びまひろの拳がテーブルに振り下ろされた。

「えっ、だ、ダメですか?」

「だめよ……カミさん、それはね、自分でもできるようにならないと、だめ」

「でも、嫁が戻ってきたらやってもらえ……」

「甘い! お嫁さんが具合悪くなったら、あなたどうするんですか! それに、家事ってけっこう大変なんですよ! それを身を持って知るべきです!」

 うわ、まひろがマジで怒ってる……久々に見た……

「わかりました、私がカミさんを教育します」

「はい?」

「お、おい、まひろ?」

 あ、風向きがおかしな方向に……

「仕事、休んで下さいね」

「……はい」

 最悪だ。これじゃ、不審者が家に入り浸るってことじゃないか……ミツキちゃんはいいけど、不審者こいつは嫌だぞ。

「タケル、カミさんのお布団、準備してあげてね。私、もう寝るから。食器洗うの、できそうならお願い」

「あ、うん、わかった」

「カミさん、頑張りましょうね!」

「はい……よろしくお願いします」

 素直に頭さげたよ……はあぁ……

 俺と不審者は、同時に深いため息を吐いたのだった。

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