第18話 微妙な食卓

「はぁい、いらっしゃ……」

 ドアを開けたまひろの笑顔が固まった。

 無理もない。

「マ……むぐっ!」

 無理やり口を塞いだミツキちゃんは、俺の妻まひろに顔がそっくりなんだから。

「いやあ、すみませんねぇ奥さん、こんな時間に親子で押しかけちゃって!」

 不審者が、こちらをちらりと見ながらヘラヘラと笑う。

 よし、タクシーで打ち合わせた通りに親子ってことにしたな。

 それはいいけど、こっちを見るなよ。

「えっ、あ、あぁ、こちらは大丈夫ですよ。さ、どうぞ」

 まひろは気を取り直したように笑って、二人を促した。

「おじゃましまーす!」

 玄関を入ってすぐの、リビングへの階段を昇るミツキちゃんの足取りは軽かった。

 見ればわかる。かなりそわそわして嬉しそうだ。

「コート、預かりますね」

 まひろが不審者からカーキ色のジャケットを受け取っている。

 あ、そういえばあの黒猫……

 俺は自室に向かおうとしてそれを思い出し、くるりと振り返った。

 その瞬間、モフっとした感触がふくらはぎに発生する。

 あ、不審者の黒猫。

 いつの間に……しかも、音もたてなけりゃ、気配も感じなかった。まるでしのびみたいだ。

 俺はしゃがみこんで黒猫を凝視した。

 全身を見たのは初めてだ。大きさは、大人のサイズ。

「やっぱり、きれいだな……」

 ツヤツヤと光る黒い毛並、満月のような金色の瞳。

「あ……あの茶トラと同じ首輪してる」

 黒い毛に黒い革ベルトだから目立たなかったが、首輪には小さな黒い鈴と半月のようなデザインのチャームがぶら下がっていた。

 あの茶トラの子猫がつけていた首輪と、全く同じものだ。

「なんだろう……あの子と違って、お前には気軽にさわれないな」

 茶トラの子猫は、人懐っこかった。でも、この黒猫には人を寄せつけない空気を感じる。

「あー、その子ね! 人嫌いじゃないけど、構われるのあんまり好きじゃないから!」

 飼い主である不審者の声が飛んでくる。やっぱりそうか。

「まあいいや、さっさと着替えてこよ……」

「ミツキちゃん、かわいいコート着てるのね」

 まひろの声が聞こえてくる。

 俺の足が再び止まった。

 あ、あのコートは……ミツキちゃん、俺が買ったって言わないでくれ!

「うん、これ、パパが買ってくれたの! ミツキ、気に入ってるから脱ぎたくない!」

「ち、違うんだ!」

 は、しまった。

 俺は叫んだ後に気がついた。

 まひろは、ミツキちゃんのパパは不審者だと思ってるはずだ。

「え? 違うってなにが?」

 まひろがきょとんとした表情かおで俺を見てくる。

 えっと、その……

「ぬ、脱がないと、コートが汚れるよ? ね? せっかくパパに買ってもらったんだから、汚れたら嫌だよね?」

 ぶっ、と不審者が吹き出す音が聞こえる。

 くっそぅ……笑うんじゃない!

「うーん、そうだけど……」

「おばちゃんもそう思うな。クリームシチューがついたら、ピンク色に白がついちゃうよ」

「クリームシチュー!」

 コートを脱ぐ事を渋っていたミツキちゃんの目の色が変わった。

 俺はコートを脱ぎ始めたミツキちゃんを見て、ほっと胸をなでおろす。

 なんとか誤魔化せたみたいだ。

 よし、こんどこそ着替えてくる!

 不審者あいつがまひろになにを吹き込むかわからないから、早くしないと……

 俺は早足で自分の部屋に向かった。


「おいしい〜!」

「ほんとう? ミツキちゃんの口にあって良かった」

 俺がいない間に、ミツキちゃんは自分の名前をまひろに教えたみたいだ。

 俺は竜田揚げを口に放り込みながら、二人の会話を注意深く聞く。

「ミツキね、ママのシチュー大好き!」

「そうなんだ……ミツキちゃんはママ似なんですか、カミさん?」

「そうなんですよ、いやあ、石あた……山さんの奥さんとほんとそっくりなんで、びっくりしてますよ。アハハ」

 不審者は、どうやらカミと名乗ったらしい。それはいいが、言い方がいまいち嘘くさい。

「ほんとに私にそっくりで……奥さんの旧姓、サイトウじゃないですか? 私の旧姓なんですけど」

 ドキッとした。サイトウは、ミツキちゃんの苗字だ。

「ああ、どうだったかな、サトウだったような……すみません、あまり出入りしてないからうろ覚えで……いやあ、奥さん、このシチューうまいですね!」

 自分の嫁の旧姓だろ! うろ覚えってなんだよ!

「ポテトサラダも美味しい! ママのごはん、最高!」

「ママのご飯?」

 ママのご飯?

 まひろの声と俺の心の声がかぶった。

「あー……あまりに似てるから、ミツキが勘違いしちゃったみたいですね、すみませんねぇ」

 にへら、と不審者が笑った。

 ミツキちゃんは少し気まずそうにして、黙ってコップの麦茶を飲んでいる。

「そうですか……ところで、カミさんはタケルとどうやって知り合ったんですか?」

 きっかけ? しまった、どうやって知り合ったかまでは、タクシーで口裏を合わせてなかった!

「石あた……山さんに、この子のヘアカットをお願いしたんですよ。私は男だから床屋でいいけど、やっぱり女の子は美容室がいいかなって。で、この子を見た石あた……山さんが、自分の奥さんにそっくりだって話になりまして……ね?」

「あ、あぁ、そうなんだよ」

 俺はまひろが俺に視線を向けてきたので、なんとか笑ってみせた。

 しかし、いちいち人の名前を言い間違えそうになるなよ……俺は石頭じゃないっつぅの!

「ごちそうさまでした! ふぁあ」

 ミツキちゃんが、食後の挨拶と同時に大きくあくびをする。

 なんだか、すごく眠そうだ。

「あ、そうだ。鈴をつけ直さなきゃいけなかったんだ。ミツキちゃん、手首に巻いてるそれ、貸してくれる?」

「それはダメ。それをミツキちゃんから外したら、大変なことになる」

 ……なんだよ、不審者。急に真面目な声でさ。

「ミツキ、パパのお部屋見たい」

「え?」

「おぉ、私も見たいな」

 にこっと笑っても、お前を俺の部屋にいれるのは嫌だぞ、不審者。

「パパのお部屋?」

「パ、パパと一緒に俺の部屋に行きたいんだよな、行こう行こう!」

 だめだ。これ以上まひろの視線を受け止める自信が、俺にはない。

「奥さん、ごちそうさまでした! さ、行こうか!」

 いいよな、不審者は……俺はなんだか食べた心地がしなかったよ……はあぁ……

「ごちそうさま」

 まあいい。二人が帰った後で、ゆっくりビールでも飲みながら、食べ直すから。

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