第12話 黒猫を抱いた不審者

「おい、あんた!」

 俺は狭い店内に怒声を響かせたくなくて、小声で叫んだ。

 短い茶色の天然パーマは、空気が乾燥しているせいか、ふわふわと広がっている。

 俺は空いていた不審者の対面の椅子に座った。

「あっ、どうもはじめまして~」

 あのな、俺は思いっきりお前を睨みつけてるってのに、なんだその気の抜けた挨拶は!

「私は神です」

「カミ? どうせ名前だろ、それ!」

 なんだ、視線を感じるな……あ、猫だ。

 不審者のコートからひょっこり顔を出している黒猫が、黄色い目でこっちを見ている。

 可愛い……いや、今はそれどころじゃない。

 こいつに、ミツキちゃんにおかしなことを吹き込むのをやめさせなければ。

「ミツキちゃんが言ったことね、アレ、全部本当のことだよ。思い当たる節、あるでしょ?」

 カミと名乗った不審者は、にっこりと笑って言いやがった。

 なんだその、無邪気な笑みは! 余計にイライラするだろ!

「普段はクールな君が、抑えきれずにそんなに怒ってるのがなによりその証拠だよ。そして、それは正解で真実だ」

「なに言ってんだ、それじゃ辻褄が合わないだろ!」

 あ……俺はこんな不審者に、なにを真面目に返してるんだ。

 だって、まひろとあいつが……そんなはずがない。

 ミツキちゃんは六歳なんだから。

「そっ。君の言う通りだよ。これでは辻褄が合わないよね。なぜ合わないのか? それはね、ミツキちゃんが生まれるのが未来、つまりこれからだから、なんだよ。ミツキちゃんは本来、あの姿でこの時代にいちゃいけない子なんだ」

 出たな、ファンタジー! こいつもアニメの見すぎだ!

「なにを言ってんだ……あんた、頭大丈夫か? まあいいや、ひとまず警察に突き出してやるから」

「このハンバーガーってやつ、うまいなあ! ポテトとかいうやつも、すんごくうまい! こないだはラーメンていうのをミツキちゃんと食べたんだけど、あれもうまかったなあ!」

「おい、話をはぐらかすなよ」

 不審者は、どう見ても二十歳を超えたおっさんにしか見えない。

 こんな歳の奴が、ハンバーガーやラーメンを初めて食うわけないだろ?

 いや、もう、そんなことどうでもいい。

 俺は不審者の腕を掴もうとしたが、うまく逃げられてしまった。

「あ、どこに行くんだ!」

 不審者はゴミを載せたトレイを手に、おもむろに席を立った。

 やっぱりあいつは嘘つきだ。初めてハンバーガーを食った奴が、自分で片付けをするルールなんか知ってるはずがない。

「残念だが、ハズレ。知識だけはあるんだよね。あと、この時代、この国のお金も無制限に使えるんだ。だから、寝るトコとか心配しなくて大丈夫だからね。いやあ、神って便利だなぁ」

 不審者が、椅子から立ち上がったまま動けない俺を振り返って笑った。

 あいつ今……俺の考えてることがわかってた?

 いや、そんなバカな。単なる偶然に決まってる。

「ミツキちゃん、このハンバーガーっての、うまいねぇ! 明日も食べよっか」

「うん、ミツキ明日は別のおもちゃにする!」

 俺の視線の先で、ミツキちゃんは嬉しそうに笑った。

 不審者に向かって、だ。

 ま、待て、待ってくれミツキちゃん! そいつと一緒に行っちゃだめだ!

「くそ、体が動かない……く、口も……あ……」

「まあ、そう焦りなさんな。時間はまだあるんだからさ。また明日くるよ。そうそう、昼間は茶トラの猫を可愛がってやってね。じゃ、また明日」

「パパ、また明日ね! バイバイ!」

 なんで、動けないんだよ!

 ああ、行っちゃったよ、ミツキちゃん……また明日って……また来るのか、店に?

 あの二人を追いかける気力は、俺には残ってない。

 いつの間にか自由に動くようになっていた体をのろのろと動かして、自分が飲んでいたホットコーヒーだけが置かれているテーブルに戻った。

「ミツキちゃん、自分でトレイ片付けたんだ」

 すべて、幻だったんじゃないのか。

 誰もいなくなった、正面のソファ席。

 まるで、まひろといるようだった。

 そのくらい、ミツキちゃんはまひろに似ていた。

 頭に突如ばらまかれたファンタジー。

 心の準備なんか、なに一つできてない。

 強制的にやってきたそれらに手をつけられないまま、俺はしばらくぼんやりしていた。


 ガタガタ、とテーブルの上のスマートフォンが音をたてて、現実に戻る。

 見ればメッセージの着信を知らせるものだった。

 相手は、馴染客の一人だ。

『ねぇ聞いてよ、こないださぁ……』

 ストレートの、俺が綺麗に染めた髪をおろした彼女が、いつも最初に言う台詞。

 彼女は俺と同じ接客業をしている。ただし、飲食店の、だが。

 よほど他人に話を聞いてもらいたいのだろう、これまでに彼女とは五回も会っているが、俺はほぼ彼女の一方的なおしゃべりに頷いているだけだった。

 でも、彼女はそれで満足らしい。

 俺は……俺は、それで満足しているのだろうか?


「黒い鈴……落ちてる……」

 くすんだ薄いグリーン色のソファに、小さな黒い鈴が落ちていた。

 きっと、さっきまでそこに座っていたミツキちゃんのものに違いない。

 俺はそれを拾って、コートのポケットに入れた。

 そう言えばあの子、コートを着てなかったな。

 あの不審者め、その位気づけよ。

 もう、日が暮れると寒いんだからさ。

 俺は腕時計を見る。

 まだ、店が開いてる時間だ。

 もしかしたら、明日も。

 ミツキちゃんは、またコートを着ていないかもしれない。

 風邪ひいちまうだろ、それじゃあ。

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