第8話 黒龍の神殿

 俺の暮らすこの国には、とんでもねぇ能力を持つ龍が二匹いる。

 人語をも話し理解するこの古代生物を、俺を含む国民は龍神と呼んで特別扱いしていた。

 二匹の龍神はそれぞれ、その見た目の印象から『白龍』『黒龍』と呼ばれている。

 白龍の方は、巨大な体を白い鱗が覆っている。

 例えるなら、バカでかいトカゲに翼だの角だのが生えたような見た目だ。

 だが、もう一方の黒龍は、なぜか人間のような見た目をしている。

 なんでも、昔、白龍とやり合った時に負けたから、というのが原因らしい。本当かどうかは知らないが。

 その時、二匹の間で交わされた約束がある。

 それが、勝負に負けた方が弱き人間の成りをし、面倒な方の役割を受け持つ、というもの。

 面倒な方の役割、とはなにか。

 それは、国民の願いを叶える、ということだった。

 もう一つの役割である、国民の問いに答える、という方が龍にとっては容易たやすいことらしい。

 それはこの国の建国時に取り決められたことで、かれこれ千年ほど前のことだそうだ。

 国の領土の端っこに、水晶を掘り出せる山がある。そこから採掘され、磨かれた水晶に白龍が細工をし、新生児に渡される仕組みになっているのだ。

 たった七つしかない、特別な水晶……問いかけ玉。

 俺が今立っているのは、黒龍の神殿の前だった。

 そう。民の願いを叶えてくれる、面倒な役割を負っちまった気の毒な龍がいる場所だ。


 閑散としている受付で、俺は手首の水晶を初老の神官に見せた。

「君、規定をクリアしていないね」

 初老の神官の冷たい視線に、胸が高鳴る。

 規定をクリアしていないのは、百も承知だ。

 願いを叶えるには問いかけ玉が、五つ必要なのだ。

 つまり、白龍に問う権利五回分と引き換えに、一つの願いを叶えてもらえる。

 俺には、それがもう二個しか残っていない。

「はい……あの、特例でお願いします」

 特例。

 そう。

 白龍の神殿にはない、この『特例』システムが、この黒龍の神殿には存在する。

 俺は、これに賭けるしかないのだ。

「ふぅん……不足三個分の特例ね……ちょっと主様に聞いてくるから、そこで待ってて」

 神官は無表情のままそう言うと、奥の方へ行ってしまった。

 特例が何なのかは、黒龍の匙加減一つで決まる。

 黒龍に何か困りごとがあり、それを代わりに解消すること。

 それが特例だ。


「君、ラッキーだったね」

 神官が戻って来るまでの、ものすごく長い間、俺はずっと祈りながら待っていた。

「は、はあ……」

 先ほどまで無表情だった神官の表情は、不信感を抱きたくなるほどニコニコとしている。

「まあ、とりあえず黒龍様が特例案件について説明したいそうだから、こっちに来て」

「はい……」

 俺はゴクリと唾を飲み込み、初老の神官に促されるまま歩き始めた。

 俺は神殿の綺麗に磨かれた床を踏みしめながら、ぎゅっと拳を握る。

 脳裏には、ぶつくさ言いながら家事をこなす妻の姿が浮かんでいた。

 あの頃の平穏な暮らしが……あの頃の幸せが戻ってくるなら、俺はなんでもする。

 黒龍が、どんな無茶な事を言ってきても。

「まあ、不足三個分だからね、の仕事だと思うよ」

 神官が先導しながら、こちらをチラ見してくる。

 きっと今までに、俺のような奴を何度も案内しているんだろう。

 まるで値踏みされているようで、正直あまり気持ちは良くなかった。

「まあ、特例なんて滅多にないから、君は本当にラッキーだったよ。あの女の子に感謝しないとね」

 神官はにやりと笑って視線を前に戻した。

「は、はあ……」

 あの女の子って、誰だ?

 俺は曖昧な返事をしながら考えた。

 この国は広いし、人口も多い。

 うちの近所に小さい子はいないから、きっと俺の知らない、どこかの娘のことなんだろう。

 その娘のおかげということは、黒龍がその娘がらみの事で何か困っているということだ。

 ちょっと待てよ……そもそも神が対応に困るようなことを、俺なんかがなんとかできるんだろうか……う、なんか急に不安になってきたぞ……

「ここで止まって」

 俺の前を行く神官が足を止めたので、俺も同じように立ち止まった。

 目の前には、黒くてつややかに光る石で造られた、祭壇がある。

 白龍に良く似た外見の像が、台座に祀られていた。ただし、色は黒一色だ。

 おそらく、黒龍の昔の姿なのだろう。

 もちろんあのバカでかい原寸ではなく、縮小サイズのものだ。それでも、見上げるくらいの大きさではあったが。

 さて、黒龍はどこから現れるのだろう?

 押し寄せてくる緊張と不安に、ドギマギしながら突っ立っていると、どこからか爽やかな甘い香りが漂ってきた。

 祭壇に置かれた、沢山の黄色い花のものだろうか。

「ふぅん、普通のおじさんだね」

 不意に真横で男の声がして、俺は飛び上がった。

「な、な……」

 思わず耳に手を当て、真横の男から距離をとる。

 見れば、そこには長身の若い男が立っていた。

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