第7話 神様か変質者か

 今、俺の目の前には、某ハンバーガー店のお子様セットを無我夢中で口にする女の子がいる。

 この子は、俺の勤め先である駅近の美容室の入口で、じっとうずくまっていたのだ。

 しかも、こともあろうか俺のことをパパと呼んだ。

 まったく、質が悪過ぎる冗談だ。

 こちとら、二年も前に不妊を医者から宣告されているんだぞ。

 だから俺は、どんなにパパになりたくてもなれないんだ。

 女の子からパパと呼ばれた時、あやうくブチ切れそうになったが、さすがに暴力はふるえなかった。

 相手は小さな女の子だ。

 本当はすぐにでも迷子として交番に連れて行きたかったのだが、あまりにキューキュー鳴く女の子の腹の虫が哀れになってしまった。

 で、今ハンバーガー店にいるというわけだ。

「まあいっか……交番はすぐそこだし……食べさせたらすぐに連れて行こ……」

 俺はぼんやりとつぶやきながら、女の子の右手をちらりと見た。

 そこには、細くて黒い皮ベルトに黒い鈴、半月のチャームがあった。

 見覚えがある。

 そう、俺が昼間、店先で見かけた茶トラの猫がしていた首輪。

 それを、どうしてこの子が手首にはめているのだろう?

「私、ミツキ! サイトウミツキ、六歳!」

 ある程度腹が膨れて満足したのか、女の子は唐突に元気になった。

「あぁ、そう、ミツキちゃんね……」

 俺の胸がちくりと痛む。

 そんなに嬉しそうに自己紹介されても、すぐバイバイするんだよ。

 ひとまず、自分の名前と歳が言えるなら、交番でなんとかしてもらえるだろう。

 ……それにしても、サイトウだなんて……まひろの旧姓と同じじゃないか。

 それでなくても、ミツキちゃんは妻のまひろに顔がそっくりだ。

 俺の知らない、まひろの血縁者の子どもなのだろうか。

「ミツキちゃん、お母さんかお父さんの名前は言える?」

 言いながら、俺の胸がざわついた。

 おい、なにを疑ってるんだ。この子の母親が、まひろなわけがないんだぞ。

 ミツキちゃんは、自分は六歳だと言った。六年前、俺とまひろは既に夫婦だったんだから。

「んー……と……それは、言っちゃダメなの」

 じっと俺の目を見つめて、ミツキちゃんは真顔で言った。

 てことは、知っているんだ。自分の母親と父親の名前を。

「言っちゃダメって、どうして?」

「神様との、お約束だから」

 少し間を開けてから、ミツキちゃんはうつむき、居心地悪そうに手を動かし始めた。

 神様ねぇ……また非科学的なモノが出てきたよ。

「それは、アニメかなんかに出てきたのかな?」

 まあ、子どもらしいといえば子どもらしい。テレビアニメの世界と現実とがごっちゃになるなんて。

「違うよ、本物! 本当の神様なんだよ!」

 ミツキちゃんはそう叫ぶと、ズボンのポケットから四角いドロップキャンディの缶を取り出した。

 俺が小さい頃から変わらない、色とりどりの缶のパッケージが懐かしい。

「ミツキね、毎日神様にお願いしたの。パパをくださいって。ドロップの白いやつ、スースーしてミツキは食べられなくて、これ神様にあげるから、ミツキのお願いごと、叶えてくださいって」

「あー、白いやつってハッカだからねぇ……俺も小さい頃は苦手だったなぁ」

 幼い頃を断片的に思い出しつつも、頭にはっきりと浮かんだのは、なぜかまひろの実家近くの神社だった。

 何回か、まひろと一緒にお参りしたことがある。

 あそこで祀っていたのは、なんの神様だったっけな……

「で、願いを叶えてあげるって、ミツキちゃんの前に神様が現れたってわけ?」

 ハッカのドロップをくれたお礼に? そんなわけないだろ。

「ううん……願いは叶えられないけど、お手伝いならしてあげるって言われた」

 おい、どこのどいつだ、こんな小さな子に妙な事を吹き込みやがって。

 素直に信じているミツキちゃんには悪いけど、それはきっと神様じゃなくて変質者だ。

「ミツキ、パパが欲しいの。ママの大好きな、パパが」

「……さっき、俺をパパと呼んだのはそれでか……」

 てことは、ミツキちゃんのママはシングルマザーで、なおかつ俺のファンということになる。

 俺は自慢じゃないが上背もあるし、顔も悪くない。歳は三十六だが、女にモテる要素は若い頃から減っていないと思う。

 それにしても誰だろう? まひろに似た馴染の客には心当たりはないんだが。

「悪いけど、俺はミツキちゃんのパパにはなれないよ。それに、そういうことは、やっぱりミツキちゃんのママ自身が行動しないとね」

「ママは……パパの写真、すごく大事にしてるの……ミツキ知ってるんだ」

 ミツキちゃんはボソボソと言った。

「タンスの一番上にしまってあって……椅子に登って背伸びして……頑張ったんだよ、ミツキ……」

 まさか俺、隠し撮りされてた?

「それ、どんな写真だった?」

「パパとママが、楽しそうに笑ってる写真」

 一緒に写ってる……だって?

 それなら、写真の男はただ単に俺に似ている、赤の他人だ。

「あのね、ミツキちゃん……俺は、誰のパパにもなれないんだよ。ミツキちゃんから見たら、俺は元気そうに見えるかもしれないけど、実はそういう病気なんだ」

 俺は、体質を病気に言い換えた。その方が、子どもには伝わりやすいと思ったからだ。

「うん……でも、ミツキはあの人よりパパの方がいい」

「あの人?」

「多分、ミツキの本当のパパはあの人なんだろうと思う」

 ミツキちゃんは、自分の手を俺に見せた。

「わたし、顔はママそっくりで、手はパパに似てるんだって。その人の手……本当にミツキのに似てた」

 俺はミツキちゃんの言っていることが理解しきれないまま、その小さな手を見つめた。

 どきりとした。

 見覚えがある。待て、待て、待て! 思い出すな!

 俺は咄嗟に視線を逸らした。

「……どうして……ミツキちゃんは、もう一人のパパがイヤだったの?」

 おい、そんなことを聞いてどうする?

「その人には、ママじゃないママと……お姉ちゃんたちがいるから」

 ミツキちゃんは手を引っ込め、じっとテーブルを見つめていた。

 だめだ。どんなに止めようとしても、俺の中にはアイツの顔しか浮かんでこない。

 落ち着け、真実はなにもわかってないんだから!

「ミツキにはよくわからなかったけど、わたしのパパはこの人じゃないって思った。やっぱり、写真の人がわたしのパパなんだって。探そうってなったら、神様がパパのお仕事してるところに連れてきてくれたの」

 出た、変質者め。

「神様ねぇ……もし目の前にいたら、ちょおっと話がしたいなあ、いろいろと」

「いるよ、そこに」

 きょとん、とした表情かおでミツキちゃんは俺の後ろを指さした。

 ばっ、と振り返った先に見えたのは、カーキ色のフード付コートを着た細い背中だった。

 癖っ毛の短い髪は、手入れ不足に見える。

「あ、パパ!」

 俺はミツキちゃんの声にかまわず、その背中に駆け寄った。

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