2  美術女子

 夕刻、あかつきほし学院からバス通りに続く坂道を、高等部生徒たちの下校がはじまった。

 青木あおき小日向こひなたも、その中にいる。

 小日向は、さっきから思い出し笑いが止まらなかった。

「——青木が言ってたコ、ふっ」


 うしろを上級生とわかる女子が、まとまって闊歩かっぽしてきたので、男子ふたりは道路の脇によって、その集団に先をゆずった。

 

 高等部の下校時間、坂道の男女比率は圧倒的に女子が多い。

 高2、高3は、暁の星学院が共学になる前の女子校時代の生徒だからだ。女子しかいない。

 共学になったのは、青木と小日向が中1の時。

 男子一期生が今の高1だ。


 「鎖骨さこつ、手首、アキレスけん……、うっ」

 おねえさまの集団をやり過ごしている間も、小日向は肩をふるわせた。


「やめろ」

 青木が渋い顔で、小日向の背中をはたく。

「オレがカンちがいして、カラ回りしてたのが、楽しくってしかたないかよ」

 中等部1年生のときからの親友を、かるくにらむ。


「だってさぁ。編入生女子がオレの方ばっかり見てくる。れられちゃったかもーって、美馬みま、先週から、うっ、くっ、くっ」

 小日向は笑いすぎて、涙まで浮かんできた。

 

 青木によると、白井亜紀しらいあきは自己紹介の時もうつむきがちで、編入生の緊張が伝わってきた。

 その亜紀が青木を見たとたん、ぱっと瞳を輝かせたのだという。


「もう絶対こっちばっか見てるし。口数少ないけど、いい子かもしんないし。いや、グループが出来上がってる高等部に編入して心細いだろう。ちょっと気持ちをほぐしてやろうと思ったら、オレのカラダ、見てたんかーい、だよ」

 ふだん、ご陽気な男子も、さすがに少し落ち込んだ。

「おっと」

 青木が立ち止まる。

「数学のプリント、机に忘れてきた。理央りお、先、帰ってて」

「いっしょに帰れる日なんて、そうないだろ。ぼくも行く」



 

 そして、白井亜紀は教室に誰もいなくなるのを待っていた。

 自分ひとりになったところで、おもむろに、机の脇にかけていた、黒ナイロンのトートバックから藁色わらいろのスクエアサイズのクロッキーブックと、デッサン用鉛筆が入った筆箱を取り出した。


 左手に2Bの鉛筆。

 自分の右手がデッサン対象。

 夕方の、ぬるいお湯のような光が描きたい。

 放課後の教室は、からっぽ。だけど、カーテンのひだに、まだ、誰かの残像が、かくれんぼしているような気がする。そんな空気だ。

 深呼吸してから、はじめる。


「——」

 

 

 少し時間がたったのかもしれない。


「――白亜紀はくあきさん、左ききなんだ」

 亜紀が集中していたところに、急に誰かの声が響いた。


「ぎゃっ」

 動転。

 水に潜っていて、いきなり水面に引っ張り出された魚のように。が、たーん。亜紀は椅子から立ちあがって、なぜだかバランス崩して、どたーんと倒れた。

(……うぅ)

 床にひっくり返った亜紀には、トラバーチン模様の教室の天井が見えた。その次に、視界に入って来たのが〈虹色男子〉だった。


「ご、ごめん。急に話しかけて」

 小日向は、亜紀の驚きっぷりに驚いていた。



 青木と小日向が連れだって、放課後のCクラスに戻ってきたら編入生が、ひとりで絵を描いていた。

 声かけたら、編入生がひっくり返った。

 というのが、今の現場の状況。


「……」

 しかめ面で、ゆっくり亜紀は上体を起こした。頭は打たなかったが、腰が痛かった。

「わた、し……」

 中学の時もこれをやって、おかしな子だって噂がひろまってしまったのに。やってしまった。だから、絵を描くときは、ひとりのときにしようって決めていたのに。

 素早く、クロッキーノートと筆箱をトートバックに突っ込む。

「ごめんなさいっ!」

 学校鞄とトートバックをひっつかみ、亜紀は廊下へ飛び出した。

 あとに呆然ぼうぜんと残された男子、ふたり。



「——なんか、おもしろい人みたいだね?」

 小日向は、床にころがった2Bの鉛筆をひろいあげた。

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