7  体育祭準備

 体育祭は、中等部と高等部の前期(4月~9月)の合同行事だ。

 例年、Aクラスが赤、Bクラスが緑、Cクラスが黄色チームに振り分けられる。


 そして、高等部では頭に栄養がかたよったAクラスが弱く、かたや身体能力自慢が多いCクラスが優勝候補というのが定説だった。

 しかし、昨今は、すべてに栄養がいきわたっている生徒の出現と、Cクラスには亜紀のように戦力外な者がいるから中等部まで混ぜ込むと、うまい具合に各チームの力は五分五分となるそうだ。


「白井、いる?」

 体育祭の練習に亜紀が寮の個室でへばっていると、奥山おくやま部長が遊びに来た。

「体育祭。部対抗リレー、白井、出るよ」

 扉を開けるより早く告げられた。

「げ」

 絶望の見本のような返事を、亜紀は返してしまった。

 

「走るの、苦手?」

「はぃ……。美術部が走るんですか? なぜに」

「本気部門と、おもしろ部門にわかれてるから。美術部は、おもしろ」

「それじゃ、速くなくてもいいんですね」

 少し、ほっとする。

「いや、勝ちに行くよ」

 言うからには本気なんだろう。


「カンベンしてください……」

 小学校4年生の時、亜紀は徒競走で派手に、ころんだのが黒歴史クロレキシだ。ましてリレーなんて他の人に迷惑がかかること。

 

「去年は石膏胸像マルス抱えて走ろうとしたんだけど、ムリだったわ」

「え? あはは、あっ」亜紀は笑いそうになって、自分の口をふさいだ。「す、すいません」

「いや、そこ、笑うとこ!」

 奥山は、ぴっと亜紀を指差す。

「ひっ」

 亜紀は、かすれた笑い声をあげた。母に、「亜紀の笑い方は下品」と、言われてから、なるべく大きな口で笑わないようにしているが、つくづく不意打ちの笑いには弱かった。


「明日から準備。忙しくなるよ」


 


 その言葉通りとなった。

 どうやら、裏方のほとんどを美術部がになっていた。

 亜紀たちは部室の床に大きな布を広げる。体育祭の垂れ幕を作るのだ。 

 

 まず、入江先生が字体をプリンタで拡大印刷してきた。

 奥山部長と井上副部長は、その字体を方眼用紙にはめ込んでから、さらに自作した3×3センチ方眼用紙に拡大していった。

 なんだか職人の域である。


『がんばれ!』

『燃えろ!』

『暁の星になれ!』

 熱いメッセージが横書きで並んでいく。


「『風林火山フウリンカザン』て、これだけ縦書きなんですか?」

 森が井上副部長に聞いた。

「魔法の言葉ですか?」

「まさに。はやきこと、かぜのごとく――、強くなる魔法の言葉じゃ」

「体育祭は爆発だー、みたいな?」

「それじゃ!」



 次に、奥山部長は本描き用の横長の布地にチャコペーパーでレタリングを転写した。布の四隅は緑の養生テープで床に留められて、を事前に防いでいる。


「手順、覚えてね。白井、来年度は、おぬしが筆頭家老だよ」

 井上副部長は亜紀を名指しする。

「はっ」

 そうだったか。高1、亜紀しかいないもの。


 そばでは、奥山がレタリングの主線を迷いなく描いていた。直感で文字の色を決めている。素早い。

 そのあと、主線の中をベタ塗りするのは下級生に任される。共同作業だ。


「ムラにならない絵の具の濃度は、このくらい。手加減で覚えてよ」

 奥山は完璧に、たれないぎりぎりの量の絵の具を筆に含ませている。

 描きやすい濃度はねっとりでもなく、さらさらでもない。


(わかる。そういうの)

 亜紀はココロがふるえた。

(いいな~。みんなで描くの)


「塗ったところに乗っからないように。こっちから塗って。白井さんは左ききだから、右からがやりやすくない? ぶつからないポジションに行って」

 奥山から的確に指示が飛ぶ。



「——体育祭実行委員会、どうだって?」

 垂れ幕製作が、やっと一段落した。奥山部長が井上副部長と話している。


「あと、得点ボード、新しくしたいそうじゃ。部員減少してるのに、仕事量、変わらないとは、これ如何いかに」

 やれやれと、井上は首のコリをほぐした。

「ほれ。来年度は、茶道部のを美術部に強奪してきて、部員を増やそうではないか?」


「——聞き捨てならないことを」

 開けっ放しの教室の扉のところで声がした。

 サラサラ黒髪女子がいた。

 とんでもない美人さんだ。


「失礼します」

 続いて入ってきたのは小日向だった。


「仲村部長、ご用ですか」

 奥山が丁重に、ふたりを出迎えた。


「もしよろしければ、体育祭準備を茶道部もお手伝いしますわ」

 仲村という女子は、そこにいるだけで、まわりの空気を浄化しているようだった。

「部長」と奥山が呼んでいたということは、茶道部の部長にちがいない。


「それは、お気づかいありがとう」

 奥山の口調までが、ちょっと、奥ゆかしくなっている。

「では、ペーパーポンポンをお願いできますか。まず、見本をこちらで作りますね」 


 奥山は、仲村に寄り添って手ほどきする。

「これが基本形です。バリエーションを求めるならペーパーをグラデーションで2色使います。あと大きなペーパーボンボンを作るには――」


 うなずく仲村部長の長い髪は、ふんわりと光をまとっていた。

 6月に入って、衣替えのタイミングは各自の体感に任せられていた。

 仲村は早々に準制服に切り替え、半袖(おそらく)襟付きの白いシャツにチェック柄のスカート、それに紺のカーディガンを羽織っている。

(うわ~、おうつくしいっ)

 亜紀は、仲村から発光するきらめきを両手でさえぎりつつ、指の間から盗み見た。

  

「白井。を狙う目つきになってるよ」

 奥山が、じろりと亜紀をにらんだ。

「はっ?」

 よだれがたれそうなところを、すんでで亜紀は止めた。

「申し訳ない。白井は描きたい対象みつけると挙動不審になる」

 

「わたしを?」

 仲村は、ふふっと亜紀にほほえんだ。

「光栄だわ」


「ひゃぁ」

 亜紀は、うれしさに、つい饒舌じょうぜつになる。

「おきれいです。その前頭筋ぜんとうきん。張りのある眼輪筋がんりんきん。理想的な口角挙筋こうかくきょきん——」


 聞いている仲村の表情が微妙になっていくのに、亜紀は気がつかない。

「ふっ」

 隣りで黙っていた小日向の肩がふるえた。


「逆に」

 奥山が、まだ仲村を讃えようとする亜紀を止めた。

「白井がみつめてこないとなると、対象として、どっこも取るとこないってことで、それはそれで哀しいから」


「ふ、はははは」

 小日向が、決壊したように笑いはじめた。

 笑い出すと、この男子はおさまらないらしい。

「すい、すいませ……、うっ、くっ、く」

 口元を押さえながら、廊下へ出て行った。


「――うちのを、あれだけ笑わせるとは。白井さん? 編入生でいらしたわよね。なかなかの腕前ですわ」


 何だかわからないが、亜紀は仲村に認められたらしい。

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