5  お近づきの薯蕷(じょうよ)まんじゅう

 5月の定期試験が終わった。

 高1は大番狂わせの結果にわいていた。

 各学科、上位5名は成績優秀者として発表掲示されるのだが。

「国語の順位、見た?」

「見た。編入生でしょ」


「Cクラスの白井って子が、2点差で不敗の小日向こひなた、抜いたって」

「小島って編入生も、数学のトップ群に食い込んでる」

「げー、〈特進Aクラス〉、面目、まるつぶれだな!」


 A特別進学クラスにかけられる教師の発破が、「そんなんじゃ、Cクラス行きだぞ」だから、Aクラスの生徒にとってCクラスの生徒に負けるのは、なんとも遺憾なのだ。



(あ~、国語はトップを守ってきたのに!)

 小日向は叫びはしなかったが心の底から、ため息をついた。


 高等部の屋上は、晴れた日の昼休みと放課後にも解放される。屋上は、よい息抜きの場所だ。

 生徒たちが語り合うことのできるスポットは他にもあるが、「ばかやろぉぉぉ」とか叫びたいときは、やはり屋上だろう。遠くに、日の光にきらめく海も見える。


「精鋭Aクラス、小日向理央こひなたりおが、うぞーむぞー有象無象Cクラスの編入生にやられるとはね~」

 憐憫れんびんの表情で、青木は小日向を見ていた。

「ま。仮にも、編入生試験を突破して来てるんだもんな。中だるみ真っただ中の内部生とは気合がちがったんじゃない」


「——白亜紀はくあきさんって、ゆるキャラかと思ったら」

 小日向は油断した自分を許せなかった。あの、ほんにゃり女子、見た目とちがいすぎだろ。


「国語だけ鋭いタイプな。数学なんて、しどろもどろ」

「うぅ」

 慰めにはならない。小日向は頭を抱えた。




「白井さん、すごーい!」

 かたや、亜紀は急にクラスの女子に話しかけられるようになった。

 中でも、爪をぴかぴかに磨きあげた女子には、ハグされた。


「ど、どちらさま?」

「ひーん。山崎由良やまさきゆらだよ。私も編入生だよ」

「そ、そういえば……」

 入学式の日は、いたような気がする。


「入学式の次の日に親知らず痛くなって、熱出ちゃって。それから、抜歯のために入院してねー。顔、れたから休んでたー」

 それで、亜紀の記憶に残らなかったのか。


「白井さんは、お昼、教室で食べないの?」

「オープンスペースで食べてる。寮生用のお弁当を、そこで受け取るから」


 その弁当は、オーロラ寮の厨房が作っている。

 オープンスペースは、いわゆる多目的室だ。生徒の飲食可能な場所で、弁当を受け取って、そこで食べると空の弁当箱を返しやすいし、そのまま、そこで昼休憩できる。


 亜紀は、壁際のベンチで本を読んでいた。

 その亜紀の前に人影が止まった。


「白井さん、探したよ」

 青木が立っていた。

 座った亜紀の目線から見ると、あごのラインが、うつくしい。


「Aクラスの、小日向こひなたが話したいって」

 青木は男子を伴っていた。

「こんにちは。この前はごめんね」

 男子は眉をやさしく下げて言った。


 亜紀は固まった。トラバーチン模様の天井と共に、この男子のことを思い出した。

(この前)とは、放課後、教室ですっころんだときのことしかない。 

 かっと、ほおに血がのぼった。

「こひなた、くん」


 ♪べ、べんべん。


 脳内かどこかで、琵琶の弦が鳴った。

 そして、断片的な情報のカケラがつながっていく。


 ——入学したとたん。

 ——女子に、モテモテ。

 ——おかげで、文化部は壊滅状態。


 茶道部の、小日向こひな・た

 亜紀は目の前の男子を、ほぅっと見上げた。

(たしかに乱、起きるかも)


 やさしげだ。とにかくやさしげ。口角に笑みがある。日差しのあたたかみを集めて人型を作ったら、こんな感じだろうか。

「国語トップ、おめでとう」

 男子の言葉は澄んでいた。

「ありがとう、ございます」

 亜紀も、できた感触はあったものの驚いていた。

 

「それで白亜紀はくあきさんは、どんな本、読んでるの?」

 男子は立ち姿もしなやかに、質問してくる。


(伏せ目がちな視線、まつ毛長~い)


「どうぞ?」

 亜紀は自分の膝に置いていた本の表紙を、ふたりに向けた。

 父の本棚から抜いてきた本だ。


「『ずかい じんたい』」「『図解 人体』」

 青木と小日向は、それぞれ、つぶやいてしまった。 


(女子が昼休みに読む本が)

 小日向は動揺したが、押しかくした。

「えぇと。これ」

 話題を変える。


「これ。駅前の〈お多福堂たふくどう〉の季節の薯蕷じょうよまんじゅう。白井さん、1コ、どうぞ」

 手のひらに乗るほどの懐紙の包みを、亜紀に差し出した。


「あ、ありがとう?」

 どぎまぎと慣れない様子で、亜紀は小さな包みを受け取った。


 懐紙にくるまれていた小さな透明パッケージの中には、むっちりした、まんじゅうが収まっていた。

 白いまんじゅうは近くで見ると端がほんのり紫がかっていて、焼き印で素朴な藤の花が押してある。


(きれい)

(おいしそ)

(うれしい)

 たくさんの思いが亜紀の中にあふれ、とたん、涙がこぼれた。


「え、まんじゅう1コで泣く?」

 青木は、びっくりした。


「う」

 青木の隣で、感極まった声がした。

「え、小日向、おまえも泣く?」

 つられたのか。小日向も涙ぐんでいた。

「文系の心の琴線、すげぇな」


「他意は、ない、です」

 亜紀は口ごもった。

(申し訳ない。の顔がくもっている。でも、朧月夜おぼろつきよのように、きれいだ)




 この日も下校時間になって、青木と小日向はバス通りへの坂道を下っていた。

 

「――『図解 人体』」

 小日向のつぶやきに、青木がツっこむ。

「次のテストに、そこ、出るから」


「は~」

 小日向は、地面を掘るぐらいのため息をついた。

理央りお、なんで、いっしょに泣いてんの」


「驚いてしまって。あんなふうに、涙ってあふれるんだなって。ぼくは自分を恥じているんだ。白亜紀はくあきさんに近づいて、手の内を探って、次回は首位を奪還したいと思った。それが、あんな和菓子1コで泣くなんて」


「小日向、おまえ、やっぱり腹黒かったんだな。白井さん、まんじゅうもらって、おまえのこと好きになったんじゃないの」


「好きって言われたのは美馬みまだろ」

 小日向が、にやりとする。

「——『鎖骨さこつ、手首、アキレスけん』」


「それ、何べん言うつもりだよ!」

 青木は本気の一歩手前で怒った。


「一生かな」

 小日向は、青木がムキになるのが楽しくて仕方ない。

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