第42話 自覚
第二騎士団の遠征部隊が隣国へと旅立ってから数日が過ぎた。
食堂を訪れる顔ぶれに見慣れた人々がいない。その事実にもの寂しい気持ちを感じながら昼当番をこなしたカレンが職員寮に戻ったとき、自室の扉前に置かれた配達受けに一枚の封筒が投げ込まれていた。
差出人が書かれていないそれを開封すると中には一枚のカード。見慣れない様式の建物が描かれた美しい風景画の裏面には流暢な文字が綴られていた。
――カレン様
健やかにお過ごしですか?
あと数日でこちらを離れます。
あなたにお会い出来る日を心待ちにしています。
――ドノヴァ・レグデンバー
至って簡潔な文章を何度も何度も読み返す。
この手紙が隣国から王都に届くまでの日数を考慮すれば、レグデンバーが隣国を発つのは間もなくか、あるいはもう出発済みか。
食堂で騎士たちから漏れ聞いた話では護衛対象のいる復路の方が日数が掛かるらしいので、これからが一層気の張る任務になるのだろう。
(どうかご無事でありますように)
忙しない日々の中でカレンを思い出してくれたことを嬉しく思いながらカードを封筒に戻す。以前送られた手紙の収まった引き出しに仕舞ったちょうどそのとき、軽快なノック音が響いた。
「美味しいケーキはいかが?」
小さなバスケットを掲げて朗らかに笑うソフィアを招き入れる。ミラベルトと出掛けた折に見つけたケーキを買ってきてくれる彼女と、カレンの部屋でお茶をするのが最近の慣例になっていた。
「ねぇ、遠征部隊の出立に立ち会ったって本当?」
お茶を注いだカレンが椅子に座るなり、ソフィアはそう切り出した。
「本当よ。どうして知っているの?」
「騎士様がお話しになっているのを聞いたのよ。またお仕事でもお願いされた?」
「そういうわけではないのよ。カッツェ団長から教えていただいたことに違いはないけれど」
「……団長に?」
どこか不安げな声を出すものだから、誤解させてはならないと正直に弁明することにした。
「レグデンバー副団長を送り出してあげて欲しいって仰ったの。それもカッツェ団長からのお願いという形ではなくて、自発的に来てくれれば嬉しいって」
「副団長を?」
「えぇ。だからお見送りに行かせてもらったの」
カレンの言葉を吟味するようにソフィアは何度も頷いている。
「それは少し前に副団長と出掛けたことにも関係しているのね?」
「それも知っているの?」
「あなたたちを見掛けたって職員の人たちが騒いでいたもの」
「……そうね、確かに見られていたわ」
レグデンバーはカレンと連れ立って困ることはないと断言していた。
一方のカレンも彼と並んで歩くことで人々の視線が付いて回ることは仕方のない事象だと納得しているし、それを嫌だと思っていない。
噂の的となるのは予想出来る結果ではあったのだが、回り回って友人の耳に届くというのはなんだか気恥ずかしい。
「カレンの意思で行ったのよね?」
果物をたっぷり使った色鮮やかなケーキを器用に切り分けながらもソフィアの追求は続く。
レグデンバーから告げられた思いを明かすことは出来ないが、自分自身の気持ちをソフィアに隠す必要はない。
「えぇ。出掛けたのもお見送りに行ったのも私がそうしたいと思ったからよ」
「ふふ、何だか意外だわ」
くすくすと笑われてカレンは戸惑ってしまう。
「何かおかしい?」
「おかしいと言うか、副団長が個人的に誰かと出掛けるとかそんな印象がないのよ」
「そう、かしら?」
「私から見たら仕事一辺倒って感じね。だから意外」
ケーキを載せた小皿をカレンの方へ滑らせて、ソフィアは紅茶に口を付ける。ひと息つく親友に倣ってカレンもケーキを口に運んだ。
「甘くて美味しいわ」
「でしょ? たくさん食べてちょうだい」
ソフィアの手土産を味わいつつも、思い出すのはレグデンバーに誘われて食べたキャラメルソースのケーキ。まだソフィアには話していない。
レグデンバーとの外出を意外だという彼女が、彼からケーキを勧められたと知ったらどんな反応をするだろうか。そんな想像をしてカレンも思わず笑みを溢してしまう。
「なぁに、どうしたの?」
「ごめんなさい、思い出し笑いよ」
「副団長のこと?」
「そうね」
ソフィアの空色の瞳がキラリと輝いた。
「やっぱり意外だわ。そんな風に笑えるような思い出があるってことでしょう?」
「そう、ね……」
レグデンバーとケーキを食べたり、手芸用品店に入ったり。そんな出来事を体験して、思い出す日が来るなんて思いもよらなかった。
カレン自身がそうなのだから、ソフィアの言わんとすることもわかる。
「カレンは特別なのね」
「特別?」
「副団長が別の誰かと出掛けているのを見たり聞いたことがある? 私が知るのはカレンだけだもの」
ソフィアの何気ない言葉がカレンの脳内に映像を浮かび上がらせる。
街を歩くレグデンバー、その隣に顔も知らない『誰か』が女性の形を成したとき、胸にもやりとした苦みが広がる。その女性に向かってレグデンバーが甘く微笑みかけるところまで想像して、明確な嫌悪感を抱いた。
(嫌……なのね、私)
あの日、カレンに向けられた想いや眼差しを『誰か』に向けて欲しくない。
彼の気持ちを受け取るのは自分だけでありたい。
「カレン?」
黙り込んでしまったせいか、気遣わしげに名前を呼ばれた。
「……他の誰かと出掛けて欲しくない、って思ってしまって」
「あら、それって嫉妬?」
「えっ?」
「副団長を独占したいって感じかしら。唯一の特別でいたいって思ったんでしょう?」
そんな大袈裟なつもりでは、と反論したかったが出来なかった。ソフィアの指摘は紛れもなくカレンの心情を代弁していた。
無性にいたたまれなくなって両手で顔を覆う。自分の浅ましい一面を知ってしまった。
「ど、どうしたの、カレン」
「自分がみっともなくて恥ずかしいわ……」
「嫉妬してしまったこと?」
表情を隠したまま、こくこくと頷く。
しかしソフィアはカレンが普段見せない珍しい様子に、うーんと唸った。
「そんなに恥ずかしいことかしら?」
「自分で自分を図々しいと思うわ」
「でも、好きなら当たり前のことじゃない?」
好き?
好きなら当たり前?
指の隙間からソフィアを覗き見る。至って真面目な面持ちで彼女はこちらを見つめている。
「好きな男性が他の
「ちょ、ちょっと待って」
彼女の話はカレンが思う一歩先を進んでいる。
「好きって、私がレグデンバー副団長を?」
「カレンの意思で出掛けたって聞いたからそのつもりで話していたけれど。違うの?」
下ろす両の掌を眺めながら冷静に考えてみる。
レグデンバーから送られた言葉、想い。それらに対して戸惑いはあっても拒絶の気持ちは生まれなかった。
偶然耳にしたレグデンバー侯爵の話には混乱と焦りを感じた。縁談がまとまりそうだと知っていながらも手製の刺繍を渡したかったし、レグデンバーが遠征に出ると知って出立前に会いたいと思った。
ソフィアの些細な質問から思い描いた想像に、自分だけであって欲しいと勝手な感情が芽生えた。
嫉妬だと指摘されて否定出来なかった。
笑顔を見て胸が温かくなるのも、目が合って鼓動が早まるのも、隣にいてくれて安心するのも。
全てが同じ感情に起因しているのであれば。
「……違わないわ」
レグデンバーを好きだという事実にカレンはようやく気付いた。
◇◆◇
一人になり、静まった部屋で引き出しを開ける。
今日受け取った封筒からカードを抜き出して短い文面に再び目を通す。
再会を心待ちにしていると書き記した彼は、父親がまとめつつある縁談を知っているのだろうか。
(ご存じない? それともわかっていて?)
カレンが考えたところで答えが出るわけでもないのに、彼への想いを自覚した今、どうしても気に掛けてしまう。
レグデンバーが見据える未来をカレンは知っている。互いの想いが同じであるならば、カレンもまたその未来への一歩を踏み出すことになる。
覚悟が出来ている、と言えば嘘になる。しかし彼の隣に別の『誰か』を考えたくない自分を自覚してしまった。
(私がするべきことはひとつだわ)
彼の目を見て、想いを伝える。
レグデンバーがしてくれたように。
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