第14話 動向
「ちょっとあの言い方はどうかな、と思っちゃったのよね」
「……そうね」
ソフィアと肩を並べてなだらかな坂道を下っていく。商店や民家は徐々に減り、代わりに豊かな自然が顔を覗かせ始める。吹き抜ける風が木々を揺らして奏でる音色は心地良く、小さな拍手のようだと思った。
かつてカレンが無心で走り抜けた道。救いを求めて突き進んだ道。
二人はモベノ修道院に向かっていた。
合同訓練から数日後、食堂での勤務を終えたカレンが職員寮に戻ると部屋の前の配達受けに一通の手紙が入っていた。
差出人はリース。毎月寄付のために修道院に顔を出しているが、こうして手紙を受け取るのは初めてのことだった。何事かとすぐさま自室に入り、封を切って中身を検める。
簡単な挨拶の後に続くのは、会って直接話したいことがある、近いうちに修道院に顔を出せないか、という心当たりのない内容だった。
何にせよ次の給金日は近く、寄付のために修道院を訪れることはあらかじめ決めてある。ソフィアに院長から手紙が届いたこと、次の訪問で少し時間を取りたい旨を伝えると快く承諾してくれた。
迎えた訪問日は雲ひとつない快晴で、爽やかな陽気に道中の会話も弾むことになった。
「副団長に悪気はなかったのかもしれないけど、少し配慮を欠いてると思うの」
話の種は先頃の合同訓練、終わり際のレグデンバーの言葉についてだった。
やはりソフィアもあの発言には怒っていたらしい。
「騎士団からお願いがあって非番のカレンがお手伝いすることになったんでしょ? 『危ない』なんて言葉、聞かされたくないわよね」
カレンのために怒りを発する親友を嬉しく思う。
しかし、カレンとソフィアの引っ掛かる部分が微妙にずれていることをソフィアは気付いていないだろう。
ソフィアは単純に『危ない』と称した場所でカレンに仕事を手伝わせたことに怒りを覚えている。
カレンとしては、レグデンバーがソフィアを心配するが故に『こんなところにいては危ない』と発言したこと、カレンにあの場での手伝いを頼んだ側にも関わらずにそう言い切ったことに引っ掛かりを感じてしまっている。
裏を返せばカレンに対しては『こんなところ』にいても構わない、と思っていることになるからだ。
「わかっていて引き受けた仕事だし、気にしないことにするわ」
「心配してもらった私が怒るのも筋違いなのよね。わかってるんだけど」
そう言って肩を落とすソフィアを優しい人だとカレンは思う。
「それにしても私ったら副団長に楯突くようなことを言ってしまったわ。私こそ怒られないかしら」
「大丈夫よ」
そんな狭量な人ではないはずだ。ソフィアへ送る視線を見てきたからこそ確信がある。
やがて坂道は平坦な道へと変わる。修道院はすぐそこだった。
「どうぞ、そこに座って下さい」
カレンとソフィアが差し出した硬貨を大事そうに金庫に収めた院長は、年代物の長椅子を指し示してそう言った。
寄付金を渡した後、退席しようとしたソフィアを引き止めたのはリースだった。「カレンが良ければソフィアにも聞いてもらった方が良い」と言われ、これから聞かされる話が重要なものであることを悟ったカレンが親友に伺いを立てると、即座に快諾された。
隣り合って座る二人の前にリースも腰を落とす。
「イノール子爵がカレンの動向を探っていらっしゃるようです」
どきりと心臓が弾んだ気がした。
何故?という言葉が頭の中を踊り狂う。
「離籍届はこちらの修道院を通して提出したので、受理の通知は私が受け取っております。あなたは確かにイノール家からの離籍を国に認められています」
慈悲深くも強さを感じさせる眼差しが真っ直ぐにカレンを捉えている。リース院長の言葉を脳裏に刻み込むようにカレンは頷いた。
「こちらは長きに渡って救いの手を求める女性に寄り添い、功績を認められてきた修道院です。ですから受理された届け出をイノール家が一方的に撤回することは不可能と言っても過言ではありません」
強制的に戻らされることがないと知って僅かに安堵する。たとえ頭を下げられたとしても二度と戻るつもりはないのだから。
「ですが、どうか気を付けて下さい。貴族とは時には親を時には子を、残酷な形で利用しようと立ち回るものです。血の繋がりよりも自らの利を選ぶことも珍しくありません」
院長の言葉が身に染みる。
(あのときも厄介者を追い出そうとしていたものね)
知らないところで決まっていた縁談と養子縁組。結果的に破談となったが、カレンの意思どころか確認さえ必要とされていなかった。
「どうしてカレンの動向を探っていることがわかったんですか?」
一連の話を黙って聞いていたソフィアがおずおずと問い掛ける。
「お母様がこちらに訪れになったのですよ」
「え……」
「少し前のことです」
市街地から外れたモベノ修道院は緑に溢れた長閑な場所にある。
そこに一台の馬車が乗り入れた。小ぶりだが細部まで装飾が施された造りで、見るからに貴族所有の馬車とわかるものだったそうだ。
「その方は降りてこられず、私に馬車まで来るようにと使いの者をお寄越しになりました」
カレンの頬が朱に染まる。もう表立って母と呼べる相手ではないが、血の繋がった人間として彼女の振る舞いが恥ずかしい。
リース院長は呼び出しに応え、門前に止まった馬車の元に向かったという。
「こちらにカレン・イノールはいますか」
御者が開いた扉から垣間見える車内の奥、扇子で顔の半分を隠した婦人が挨拶もなしに用件を切り出した。
「カレン嬢はイノール家からの離籍がすでに認められております。該当するお嬢さんはいらっしゃいません」
「では家を捨てたカレンという名の恥知らずな娘はいますか」
「こちらにはいらっしゃいません」
「どこへやったの!?」
淡々と事実を述べるリースに苛立ったのか、扇子をかなぐり捨てて叫んだ婦人の髪は青みを帯びた金髪。誰何するまでもなくイノール子爵夫人だと察せられた。
「お答え出来ません。ご婦人がカレン嬢に干渉する権利もございません」
「あなた……私を、イノール家を馬鹿にしているの?」
「離籍は国によって認められたものです」
きっぱりと言い切るリースを子爵夫人は睨め付ける。
居丈高に振る舞えば相手を思いのままに操れると思い込む者の何と多いことか。こうして虐げられて自分を押し殺してしまった女性を何人も預かってきた修道院長の前では夫人の睨みなど何の役にも立たなかった。
無駄を悟った夫人は御者に言い付け、さっさと馬車を走らせて去って行った。
それが数日前に起こった出来事だという。
「大変ご迷惑をお掛けいたしました」
「前に申しましたでしょう。あなたが責めを引き受ける必要はないのです」
下げた頭に思いやりに溢れた言葉が降ってくる。
「しかしこのまま済むと楽観視も出来ません。どうか気を付けて下さい。ソフィアも気に掛けてあげて下さい」
「はい」
「お気遣いありがとうございます。ソフィアもありがとう」
この出会いに改めて感謝しながら礼を述べた。
◇◆◇
修道院に寄付をした後は街のカフェに通うことがお約束になっている。今日も二人で顔を寄せ合ってケーキ選びにひとしきり盛り上がった。
「今日は付き合ってくれてありがとう、ソフィア」
「私は横で話を聞いていただけよ」
「それでも事情を知ってくれている人がいるのは心強いわ」
ほんの少しだけソフィアの表情が曇った気がした。
「あの、ごめんなさい。ソフィアからすれば厄介事に巻き込まれているのよね」
「え、そんなことないわよ。ただ私には話を聞くくらいしか出来ないなと思って」
ふるふると首を振って気遣わせまいとする彼女の心根は本当に優しい。
紅茶のカップで指先を温めながら、カレンはぽそりと吐き出した。
「ソフィアに出会えて私は幸運だわ」
しみじみとした物言いがおかしかったのだろうか、プッとソフィアが吹き出す。
「カレンったら前にも同じことを言ってたわよね」
「そうだったかしら?」
「覚えてない? 初めて寄付をしてこのお店に来たときよ」
数ヶ月前のことだ。目を閉じ、首を傾けて思い起こしてみる。
修道院で世話になり、何故か王城の食堂職員として採用され、自らの働きで得た初めての給金。修道院に寄付を行い、立ち寄ったカフェで好きなメニューを選ぶ経験を得たのも初めてのことだった。
新たに体験したその記憶には必ずソフィアがいて、カレンの過去を知る彼女には取り繕う必要もなかった。
『ソフィアに出会えた私は幸運だわ。これ以上ないくらいに大事な存在よ』
そうだ。気分が高揚していて、そんなことを言った。
その後、『カレンったら恋人が出来ても同じことが言えるかしら?』とからかわれたことも思い出した。恋人なんて想像もつかないと困り果てると『私もカレンと出会えて良かった』と微笑まれた。
「……思い出したわ」
気持ちを伝える言葉ですら少ない数しか持ち合わせていない自分に気恥ずかしくなって、赤らんだ頬を両手で押さえる。今度はくすくすと笑われた。
「私だって同じ気持ちなんだから恥ずかしがらないで」
そう言ってケーキをぱくりと頬張るのでカレンも真似をして大きく掬ったケーキを口に運ぶ。栗のクリームは甘くて美味しい。好きなものがひとつ増えた。
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