第13話 失言
合同訓練中であっても騎士たちはよく食べる。飲食用の天幕は常に
彼らの専らの話題は仲間たちによる演武なので直に観戦をしていないカレンも一緒に楽しんでいる気分になる。
入れ替わり立ち替わりでやって来る客に食事を提供、補充している間にも広場からは絶え間ない歓声が湧き、合同訓練の日程を着々と進行していった。
「いよいよ最後の見せ場だぞ」
ニコライがそっと教えてくれる。合同訓練も大詰めらしい。
「もう食べに来る騎士さん方も少ないだろうし、気負わず外を見てな」
「ありがとうございます」
現状、用意されていた軽食は粗方捌けており、天幕内に留まる人影も減りつつある。申し出を素直に受け取った。
知らず高鳴る鼓動に合わせるようにカツンと硬質な音が響く。次第にカツカツと音は重なり、その数は増えていく。蹄の音だ。
不規則に打ち鳴らされる蹄鉄の音色でさえも心地良く、耳を澄ませていると市民の起こす拍手がわっと押し寄せた。それは広場を覆い尽くすような音の波で心だけでなく身体さえも浮遊感に包まれる。
ふわふわした気持ちは誰かの咆哮で雲散した。
咆哮ではなく開始の合図だと気付いたのは、不規則だった複数の
石畳を蹴る音が小気味良いリズムを刻み始めると、捲られた天幕の向こう、逆光で白く煙る空間に鮮やかな色が飛び込んできた。
真紅、深緑、紺青、紫苑、白。各団の制服を纏った五人の騎士がそれぞれ長さの異なる槍を片手に持ち、もう一方の手で器用に手綱を捌いている。騎乗する騎士と同色の馬鎧を着けられた馬たちはそれに逆らわず、縦一列の陣形で軽快に広場を疾走していた。
(レグデンバー副団長もいらっしゃるわ)
普段乱れを見せないチョコレート色の短髪が風に煽られている。いつもの柔和な雰囲気は鳴りを潜め、遠目からでもわかる真剣な面差しはまた別人かのような錯覚を生む。
半円に仕切られた広場を何周か巡った馬たちが、途端に散り散りの方向へと走り出した。カレンの居場所から全ては見渡せないが、互いが大きく距離を取るように離れたようだ。飲食用の天幕からはレグデンバーの駆る馬が一番よく見えた。
観客の詰め寄る目一杯まで離れた馬たちの足取りはゆっくりしたものに変わる。やがてその場で足踏みをして留まると広場の中央に向き直る。
固唾を呑んで見守るのはカレンだけではない。広場は蹄鉄と石畳がぶつかる音しか聞こえないくらいに静まり返っている。
その静寂を破ったのは、またも咆哮のような掛け声だった。
一瞬にして馬が駆け出すとカレンは度肝を抜かれた。
レグデンバーが手綱を放して両手で槍を握り直したかと思えば頭上でぐるりと円を描き、器用に持ち手を変えながら右へ左へと振り下ろしたからだ。
レグデンバーだけではない。向こうに見える騎士もまた空気を切り裂くような動きで演武を披露している。
その間にも馬は地を蹴り、次第に騎士たちの距離が狭まっていく。各々が馬上で槍を構えたまま接近する様子をカレンは拳を握り締めて見守っていた。
(あぁ、どうかご無事で)
修道院で捧げた祈りよりも気持ちがこもる。
腿で鞍を挟み込んだ騎士たちがグッと上体を低くして、いよいよすれ違う瞬間を迎えた。
最初に動いたのは第一騎士団の真紅の制服だった。長槍を握った両腕を背後に引くように大きく上半身を捻じり、反動をつけて力強く薙ぎ払う。ガン、と鈍い音を響かせてその一太刀を受け止めたのはレグデンバーだった。
立てた槍の柄で受けた穂先を横に受け流すと、その勢いのままに頭上へと振りかぶる。間を置かずに振り下ろされた一撃を弾いて凌ぐのは紺青の制服、第三騎士団の団員。
ここでカレンの視界では騎士たちの動きを追えなくなってしまう。天幕に遮られてしまったからだ。
依然として打ち付ける重い音と馬の駆ける音は聞こえてくる。恐らく彼らの動きは事前に決まっているもので失敗しない限りは美しい連携を見せるのだろう。
しかし間近で鋭く光る穂先を目の当たりにしたカレンの胸中は穏やかではない。
知らず両の手を組み合わせて息を詰めていると、再び天幕から望める視界に騎馬が飛び込んでくる。槍から外した手で手綱を繰り寄せると巧みに操り、馬首を広場へと向けたのは深緑の制服に銀の腕章を輝かせた巨躯の騎士。
(すごい方だったんだわ)
この僅かな時間でも演武に参加している騎士たちの実力は推量出来る。レグデンバーに至っては、そんな騎士たちを纏める副団長という地位に就いている。平素の温厚な姿からは想像出来ない凛々しい横顔はカレンの視線を釘付けるには十分だった。
その後もしばらく続いた打ち合いの音が止み、五人の騎士がゆったりとした速度で馬を走らせ始めたことで演武が終わりを迎えたことを知る。
綱で仕切られたぎりぎりの場所を進む騎士たちは、にこやかな笑みで市民の声援を浴びている。握りっぱなしで強張った指先の力がゆるゆると抜け落ち、カレンも安堵の息を吐いた。
「さて、もう一踏ん張りだな」
ニコライが背伸び混じりに零す。合同訓練が終われば騎士団所有の天幕は速やかに撤去される。その前に片付けを済ませなければならない。
残った軽食は食堂に持ち帰るために木箱に詰め、使用済みの蝋引き紙は麻袋に収めて処分する。その作業に取り掛かろうとしたカレンをニコライが制した。
「カレン、これを広場に立ってる騎士さん方に持っていってくれないか?」
指し示されたのは木製の
「こんなに晴れた天気の中を長丁場立ちっぱなしは大変だろう」
「そうですね、皆さんお疲れでしょうね」
「こっちの片付けは任せてくれりゃいいから頼めるか?」
「わかりました。行ってきます」
バスケットを手に天幕の外へ出た。いくらか人の波が引いたとは言え、まだ興奮冷めやらぬ広場は雑然とした空気に包まれている。そんな中を歩くのはなかなか勇気が要ることだが、今回の仕事を引き受けたのはこんな状況に慣れるためでもある。意を決して石畳を踏みしめた。
「お疲れ様です。果実水はいかがですか?」
「ありがとう。助かるよ」
凛とした立ち姿の騎士に吸筒を見せると、ふんわりと顔を綻ばせた。綱を持つために両手を使えない騎士を不便に思い、蓋を抜いて手渡せばグイと一気に呷ってみせる。
空の吸筒を受け取って再度「お疲れさまです」と頭を下げ、そうして綱を張る全ての騎士に声を掛け終わり、天幕に戻ろうとしたとき。
雑踏から聞き慣れた声が上がった。
「カレン!」
「……ソフィア?」
人混みを掻き分けて姿を現したのは紛うことなき親友の姿。
淡い金髪を頭上で華やかにまとめ、若葉色の上品なワンピースを着こなす彼女は大勢の人が行き交うこの場所でもとても眩しく見える。人垣の最前列まで来たソフィアと綱越しに対峙すれば一層輝かしさを感じた。
「こんな日に制服を着て何をしているの?」
「何ってお願いされた合同訓練のお手伝いよ」
「お願い? 誰に?」
「マーリルさんよ。騎士団から要請があったから非番の職員にお手伝いを頼んでいるって仰っていたけれど」
「……私、そんな話聞いてないわ」
綺麗な眉を小さく顰めた彼女がぼそりと吐き出す。
「そうなの?」
「えぇ。どちらにせよ今日は予定があったからお断りしたけど。早く予定が片付いたから見に来たのよ」
ソフィアが合同訓練に触れなかったのは元より観覧の予定がなかったからか。
「そうだったのね。ソフィアは興味がないのかと思っていたわ」
「そんなことないわよ。予定がなければ最初から見たかったし、頼まれたならお手伝いだってしたかったのに」
「ちゃんと見学は出来た?」
「最後の騎馬戦だけ少しね」
肩を竦めて唇を尖らせる。本当に手伝いに出たかったのだと伝わってくる。
「予定が重なるなんて残念だったわね」
「そうね。だからと言って先約を断るわけにもいかないし……」
「こちらで何をしていらっしゃるのですか?」
不意に大きな影に横から覗き込まれて、喉の奥がひっと鳴る。同じく驚きに身体を震わせたソフィアと共に見上げた影の正体は先程まで見事な演武を披露していたレグデンバーだが、その顔付きはいつもよりやや険しい。
止まない喧騒に近付く足音すら気付かずにいたが、周囲の市民には大柄な彼の存在は一目瞭然で人目を集めている。会話が漏れ聞こえないように自然と三人は小声になった。
「お疲れ様でした、レグデンバー副団長」
「カレンさんこそ、お疲れ様です」
「こんにちは、副団長。演武お見事でした」
「ありがとうございます。ところでこちらで何をしていらっしゃるのですか?」
同じ言葉を繰り返すレグデンバーの視線はソフィアに注がれている。カレンは口を噤み、会話の邪魔をしないことに徹する。
「合同訓練の観覧に来ました。少ししか見られませんでしたけど」
「こんなところにいては危ないではないですか」
それは咎めるような嗜めるような口ぶりだった。表情も依然として硬い。ソフィアの身を案じてのことだと察する。
しかしカレンの心には何か引っ掛かるものがある。上手く表現出来ないけれど、何かチクリとしたようなザラリとしたような。
何とも言いようのない気持ちが胸を去来する中、ソフィアの表情までもが険しくなった。
「こんなところってどういう意味ですか?」
「ご覧のように人が大勢いるでしょう」
「危ないってどういうことですか? 騎士団主催の催し物が危険なんですか? なのに市民を集めているんですか?」
「そういう意味ではありません。合同訓練は万全を期して開催されています」
「でも危ないと仰いましたよね? そんなところにカレンをお手伝いに呼んだんですか?」
(そう、それだわ)
レグデンバーの好意の矢印がどこに向いていようと口を出すことではない。
しかし相手を想うがあまりにその他を蔑ろにするような発言はどうなのだろう。カレンの立場からすれば『こんなところ』と称される『危ない』場所での仕事を依頼されている。それも騎士団から。
副団長の立場である彼はカレンがここにいる経緯を十分に理解しているはずなのに、その物言いは無配慮ではないだろうか。
(せめて私のいないところで言って下さればいいのに)
不要なものとして扱われるのは慣れている。
慣れてはいるが何度味わっても気分の良いものではない。
騎馬戦で感じたときめきが急速に萎み、カレンはすっかり鼻白んでしまった。ソフィアの的確な指摘が嬉しいが、冷めた目になるのは仕方のないことだった。
そんな様子にレグデンバーも気付いたのだろうか。
「カレンさん、誤解です。けしてそういった意図があったわけではありません」
「いえ、仕事ですのでお気遣いなく」
答える声は必然的に冷たいものになる。
結局のところ、納得をした上で引き受けて給金を得ることになっているのだからそう言うしかない。
ソフィアの瞳にも怒りの色が滲んでいるせいか、レグデンバーの表情が困惑したものに変わる。少し言い淀んだ態度を見せたが、やがて言葉を絞り出した。
「怪我をされては大変ですから速やかにお帰り下さい。お二人とも」
そう言って頭を下げると天幕が並ぶ正門へと足早に去っていく。
カレンが歩くのは綱で遮られたこちら側なので、実質的には人混みに紛れるソフィアに向けた言葉に違いない。何となく二人で顔を見合わせ、同じような溜息を吐いた。
「仕事が残っているから戻るわね」
「私もこのまま帰るわ」
互いに手を振り合って別れの挨拶とした。
(ニコライさんにお仕事を任せているのに私ったら……)
仕事だと言い切った割には疎かになっている。
その事実にも落ち込むカレンが精一杯の駆け足で戻った天幕では、すでに荷物は完璧に片付けられた後で。
笑顔で出迎えてくれたニコライに更なる申し訳なさが募った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。