第12話 合同訓練開始

 飲食用の天幕に戻ったカレンが目にしたのは軍議用テーブルを埋め尽くす食事の数々だった。持ち運びやすいようにと蝋引き紙に包まれたパンやおかず、果物が用意されており、それらが所狭しと並べられている様子にニコライの迅速な仕事ぶりが窺えた。

 その上「もっとゆっくり見てくりゃ良かったのに」とまで気遣われるものだから、一層自分の至らなさに申し訳なくなってしまう。

 間もなくレグデンバーを伴ったカッツェが天幕に入ってきた。


「ニコライも今日は世話になる」

「はい。息子が楽しみにしてますんで格好いいところをよろしくお願いしますよ」

「それは大儀だな」


 軽口で返すカッツェは迷うことなくパンを掴み上げ、手早く包みを剥き始める。


「燻製肉が挟んであるぞ。ドノヴァ、騎士団の携行食でもこれを採用するか」

「団長、立ったままでは行儀が悪いです。市民に見えてしまいます」

「わかった、ここで食っていく」


 大口を開けてがぶりと齧り付くその様に、彼の食事が消えるように早くなくなる理由が垣間見えた気がした。


「すみません。まだゆっくりしていられる時間だったでしょう?」


 力強い咀嚼に呆気に取られていたらレグデンバーが眉尻を下げて詫びてきた。

 「いいえ」と首を振ると、頭部の三角巾が衣擦れの音を微かに立てる。そこでカレンはようやく思い至った。


(先日の非礼をお詫びしていないわ!)


『申し訳ありません。あまりご覧にならないで下さい』


 三角巾を隠すように言ってしまったあの日から顔を合わせる機会がなかったため、当然謝罪も出来ずにいた。

 たった今身に着けている三角巾にも刺繍を施してある。けしてまじまじと見られることはないけれど、どうしたって視界には入っているはずだ。

 しっかりと頭を下げて詫びたい気持ちは確かにある。しかし天幕にはたった四人しかおらず、外の喧騒が聞こえるとは言え、この場で謝罪するのは目立って仕方がない。


「よし、行くか」


 ガサガサと蝋引き紙を丸める音が聞こえた。綺麗にパンを平らげたカッツェにニコライが手を伸ばし、不要となった蝋引き紙を受け取っている。どこまでも気の利く人だ、と頭の片隅で考えているとレグデンバーが腰を折った。


「お邪魔しました。行ってきます」

「いいとこ見せて下さいよ」

「い、いってらっしゃいませ」


 ひらりと手を振るニコライの横で慌てて頭を下げる。

 応えるように片手を上げたカッツェとにこやかな微笑みを残したレグデンバーは、軽快に踵の音を響かせながら眩しい天幕の外へと消えていった。


「さぁ、行進が終わったら慌ただしくなるぞ」


 そんな同僚の声も素通りしてしまうほどに。


(あぁ、自己保身に走ってしまったわ……)


 何も言い出せず機会を失した自らを深く反省するカレンだった。



 彼らが去ってしばらくは誰の訪れもなく、遠くに雑然とした音を聞きながら時間を持て余していたカレンだったが、唐突に鳴り響いたラッパの音に身体を大きく弾ませた。一瞬にして周囲が静寂に包まれる。

 何事かと目を泳がせるカレンをニコライが出入り口に誘う。そっと外を覗き見たのと時を同じくして地鳴りのような跫音きょうおんが響いた。

 

「行進が始まるぞ」


 同僚の囁き声も掻き消す勢いの足音だった。

 第一団から第五団まで色分けされた隊列は、一糸乱れぬ足並みで広場を闊歩していく。カレンのいる場所からも確認出来る数十名の騎士はその誰もが食堂で見知った顔であるはずだったのだが。


 先程パンを平らげていった団長も、困り顔で謝罪していた副団長も、特定の野菜を嫌う騎士も、調味料に一家言持つ騎士も、猫舌で冷めたスープを好む騎士も。

 その真剣な眼差しは見知った顔であるのに知らない誰かのようだった。


 再び響いた軍用ラッパの音を合図に隊列は歩みを止め、真紅を身に纏った第一騎士団長が合同訓練の開催を宣言する。たちまち盛大な拍手と歓声が広場を支配した。歓喜に沸く市民も凛とした佇まいの騎士たちもとても眩しく見えた。



◇◆◇



「あ、ケニーの今の打ち込み、少し早くないか」

「リットン副団長が上手く受け流したぞ」

「あの戦鎚で咄嗟に受け流せるのはさすがだな」


 広場からは金属同士がぶつかり合う鈍い音が絶え間なく聞こえ、それに合わせて観客の悲鳴やどよめきが波のように押し寄せる。負けじと声を上げるのが天幕内で呑気に食事をしている騎士たちだ。

 合同訓練は複数人による演武形式で行われ、数組が入れ替わりで観客の前に立つように日程が組まれている。そのため、自らの出番まで待機する者が多い。直近で出番を控えている騎士たちは打ち合わせに精を出しているが、時間に余裕のある者たちは各々自由に過ごしているらしい。揚げた芋に齧り付きながら駄弁っている彼らのように。

 その傍らをすり抜けるようにして深緑の制服が姿を現した。


「こんにちは」

「やぁ、フローランくん」

「フロ……イグニさん、こんにちは」


 カレンの挨拶に一瞬だけ苦い顔をしたフローランはすぐに気を取り直す。


「果物ありますか? 切ってあってもなくても構わないので」

「あぁ、この包みにベリーが入ってるよ」

「ありがとう、いただいていきます」


 みっつの包みを難なく片手で持ち上げる。蝋引き紙が乾いた音を立てた。


「行進ではお見掛けしませんでしたけれど、イグニさんもいらっしゃったんですね」

「今日の俺は裏方です。これも馬のためにもらいに来たんだ」

「馬ですか?」

「馬上槍術の演武があるから俺はその馬番役。副団長が乗る馬の世話をしてる」


 彼の言う副団長に当てはまるのは一人しかいない。

 カッツェも槍はレグデンバーが得意な武器だと言っていたか。


「騎馬戦は広場を駆け回るから、ここに立っていても見えると思うよ」


 立場上、持ち場を離れて観覧することは出来ないので天幕の奥に控えるカレンには聞こえてくる物音と食事をしながら実況している騎士たちの言葉でしか合同訓練の様子は想像出来ない。

 これまで騎乗する騎士を見る機会はなかったので、フローランの助言に密かに心が踊る。


「じゃあ俺はご機嫌取りに行ってきます」


 ベリーの包みを軽く振ったフローランは足取り軽く天幕の外へ消えていく。


「馬上槍術は最後の目玉だから、それまで頑張んないとな」


 にやりと笑うニコライの表情から察するに、カレンの浮ついた気持ちはどうやらお見通しらしい。

 言い当てられた気恥ずかしさを隠すようにベリーの包みを机上に補充した。

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