第3話 言伝

 中庭に面した回廊にはいくつかの人影が行き交っている。

 巡回警備の騎士、侍従を連れ立つ貴族令嬢、何かしらの荷物を抱えた使用人。年齢も性別もバラバラだ。しかし、「そこのお嬢さん」という呼び掛けは確実にカレンに向けられたものだった。

 カレンのような職員が貴族や要職者とすれ違うときには壁際に避けて頭を下げ、道を譲ることが暗黙の了解となっている。現にカレンもその様式で壁に背を向け、床に視線を落としている。けれども視界に映るのはこちらにつま先を向けて立ち止まっている男性の靴。他に足音も人の気配もない。

 無視をするわけにもいかず、礼を解いて声の主を確認する。壮年期の後半に差し掛かっているであろうその男性は隙のない身なりをしており、回廊に差し込む陽光を浴びた蜂蜜色の髪を鮮やかに輝かせていた。


「何かご用でしょうか?」


 騎士であれば各団に決められた制服を纏っているが、目の前の男性は貴族らしい装いで胸元に朱色の帯が垂れたバッジを付けている。財政部門の文官、それもバッジの作りから見て上の立場の人間だとカレンは察した。


「昼食の配達をしてもらったのだが、席を外していたのでね。礼を伝えておいてもらえるかな」

「はい。承知いたしました」


 それだけを言い残した男性は再び一礼するカレンの前を通り過ぎていく。

 三角巾を締めたままのカレンだから食堂の使用人だということはすぐに察せられたのだろう。しかし、何故?と疑問が湧いてくる。

 先程の男性は昼食の配達をしたのがカレンではないと確信した口ぶりだった。席を外していた、と言ったにも関わらず。


(……考えてもわかるわけがないわね)


 金髪の女性が届けてくれた、と誰かが言ったのかもしれない。

 男性本人がソフィアに直接頼んだのかもしれない。

 いくらでも考えようはあるが、カレンはただ言伝を頼まれただけだ。


(忘れないうちに戻らないと)


 たかだか数分の距離で忘れるはずもないけれど、ソフィアに仕事を任せてしまっていることへの申し訳なさがカレンの足を速めた。

 戻った食堂はいよいよ人影も少なく、騎士や文官が午後の業務に取り掛かりつつあることを知らしめていた。


「おかえり、カレン」

「ただいま。一人にしてごめんなさい」


 カウンター内に戻ったカレンをソフィアが笑顔で迎えてくれる。

 バスケットを軽く持ち上げて、控えめの声で会話を続けた。


「医務室の騎士様がひどく感謝されていたわ」

「あら、私が届けたときにも随分喜んでいらしたけど、そんなに?」

「命の恩人になった気分よ」

「律儀な方ね」


 くすくすと二人で忍び笑う。


「そうね、改めてお礼をしたいとまで仰っていたくらいだもの」

「それはどういうことでしょうか、カレンさん」


 ソフィアのものとは違う、低く通りの良い声が割り込んできた。

 調理台を向いて片付けの手を動かしていたため、唐突な声掛けに思わず肩が弾んでしまう。


「詳しく聞かせていただけますか?」


 カウンターの前に立っているのは、何がそんなに面白いのかと問いたくなるくらいの笑みを浮かべるレグデンバー。手元のトレーには綺麗に平らげられた食器が鎮座している。医務室と食堂を行き来するだけの時間に食事を終えたのかと目をみはるカレンに追撃が飛んできた。


「医務室の騎士……フローランが改めてお礼をしたい、と言ったようですが」


 詳しくも何もレグデンバーの言葉通りで、それ以上でもそれ以下でもない。


「はい、わざわざ医務室に足を運んでもらったお礼を改めてしたいと仰られて……ただそれだけです」

「それで、カレンさんは何と返事を?」

「『お気遣いなく』とお断りをしました」


 それで良かったわよね?と確認の意味を込めてソフィアに視線を送ると、同意するようにコクコクと頷いてくれた。

 それをチラリと横目に捉えたレグデンバーの笑みが一層深まる。


「でしたら構いません」

「不要な接触は禁止と言い伝えておくか」


 話を聞いていたらしいカッツェがガタリと音を立ててカウンターにトレーを置く。二人分の食器は見事に空となっている。またも目を瞠るカレンをよそに騎士たちの会話は続けられた。


「今後、団員の謝意は団長から伝えるという形式を取れば良いのでは?」

「あぁ、そうしよう。面倒がなくて済む」


 一介の職員と騎士との接触はよろしくないものなのだろうか。どうやらソフィアも同じ疑問を抱いているらしく、二人して小首を傾げてしまう。


「団長、そろそろ時間です」

「あぁ。ソフィア、カレン。部下のために手間を掛けさせたな」

「ごちそうさまでした。では、また」


 時間差で休憩に入った彼らもそろそろ昼の任務に戻るらしい。

 先に出入り口へ向かうカッツェとは対照的に、きっちりと挨拶を残していくレグデンバー。去っていくそれぞれの背中はとても広く、騎士団を纏めるにふさわしい威厳を放っている。

 「結局何だったのかしらね」と呟く隣の親友を見て、あることを思い出した。


「そうだわ、ソフィア。あなたに伝言」

「なぁに?」

「昼食を配達したでしょう? 医務室じゃない方。お礼を伝えておいて欲しいと仰っていたわ」

「え?」


 ありふれた伝言にソフィアの空色の瞳が見開かれる。きらりと光を反射する様が美しいと思った。


「その方が直接仰ったの?」

「その方がどの方か私にはわからないけれど財政部門のバッジを付けてらしたわ」

「そう……」


 両手で口元を覆っていてもソフィアが喜びの色を浮かべているのが見て取れる。親友にとって喜ばしい出来事ならば、カレンにとっても嬉しい出来事だ。

 それ以上は踏み込まず、トレーを洗い場に運んで後片付けに取り掛かった。

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