第4話 カレンの過去
ソフィアとの出会いは半年ほど前、王都に古くからあるモベノ修道院での出来事に遡る。
カレンの
この国で最も多いとされる青みを帯びた金の髪を持つ父と母、その間に生まれたのが紫黒色の髪をしたカレンだった。
開いた瞼から覗かせた緑がかった灰色の双眸は、父の灰色の瞳に母の瞳の青葉色を一滴垂らしたような色彩だったけれど、子爵家当主は妻の不貞を疑った。
母親は必死に否定した。「真実あなたの子だ」と何度も訴えた。
しかし母が婚前から親しくしていた彼女の従兄弟が黒髪の持ち主だったこともあり、父の疑惑が払拭されることはなく。
「私の前に姿を現すことは許さない」
カレンが思い出せる父との最も古い記憶は自身を拒絶する言葉だった。
母が産んだことに違いはないので子爵家での生活は許されたが、父からはいない者として扱われた。
対外的には病弱な子として吹聴され、社交の場に出ることは認められず、年頃を迎えても社交デビューもさせてもらえなかった。
伴侶に責め立てられて蓄積した母のやり場のない気持ちが娘に向けられるのは必然だったのだろうか。
カレンに物心がつく頃には「あなたのせいで疑われたのよ」と何度も何度も言い聞かされていた記憶がある。時には叫ぶように、時には嗚咽の合間に。父が王都に出て領地に寄り付かなくなると、言葉に一層憎しみの色が滲んだ。
誰が真の父親かなどカレンにわかるはずもない。
それは子爵家で働く使用人も同じだったようで、ずっとずっと腫れ物のような扱いで育ってきた。
(せめて茶色の髪だったなら……違う目で見てもらえたのかしら……)
詮ないこととわかっていても、思わずにはいられなかった。
転機が訪れたのはカレンが二十一歳を迎えた半年前のこと。
外出を一切禁じてきた父が領地から王都へカレンと母を呼び寄せた。タウンハウスに足を踏み入れることも王都へ訪れることも、馬車に乗ることすらも生まれて初めての経験だった。
前日の夜から馬車に乗り通しであるにも関わらず、休憩する間も与えられずに身なりを整えられ、応接間に入るよう促される。父親との接触は皆無に等しかったため、右も左もわからないまま、ただ黙って従う他なかった。
応接間にはすでに客人がおり、対面に両親と並んで座らされる。
「そちらが子爵のお嬢さん?」
恰幅の良い客人は父よりも一回りは上であろう年嵩の男だった。値踏みするようなじっとりとした視線がカレンの背筋をぞくりとさせる。
「えぇ、病弱なもので長らく領地の方で静養させておりました」
父の言葉に内心で驚愕する。ろくに会話を交わしたこともない彼が人前でカレンを娘と認めたからだ。隣から母が息を呑む音も聞こえた。
何事かと緊張で息を詰めるカレンだったが、客人の視線がすっと横に流れる。母を見て、父を見て、そしてカレンの元に戻ってくる眼差し。そこには嘲りの色がありありと浮かんでいた。
「いやはや、そういうことですか」
唇をにんまりと歪めて客人は続ける。
「良きご縁をと思ったのですが、子爵家の正統な血筋でなければこちらには迎え入れられませんなぁ」
「伯爵! 髪色はこうですが、これは私の娘で」
「奥方も随分と肝の座ったお方だ」
不貞の子を堂々と人前に晒すなんて。
言葉にせずとも
「では失礼するとしようか」
伯爵と呼ばれた男が侍従から杖を受け取り、立ち上がる。その後ろ姿に父が追い縋った。
「伯爵! 娘を娶っていただくお話は、そちらのご三男を養子にいただけるというお話は……!?」
「後妻とは言え、不義理の子を娶るなど私の評判がどうなることか。このお話はなかったことに」
カレンは状況を飲み込むことに精一杯だった。
父と客人の会話から察するに、カレンが客人――伯爵の後妻に入る話が進められていたらしい。当の本人の与り知らぬところで。
そして伯爵家から養子を迎えるのだとも言っていた。
カレンの誕生が両親の間に亀裂を生み、子爵家に子が続くことはなかったから。
しかしたった今、目の前で破談となってしまった。
カレンの紫黒の髪色を原因として。
縁談も養子も、新たな跡継ぎが望めなかったのも。全てがこの黒に起因していた。
綺麗に編み上げられたその黒髪が唐突にグイと引かれ、頭部に鋭い痛みが走る。
「お前が……お前のせいで……!」
数えるほどしか見たことがない父の顔がカレンに向けられている。頬を怒りに紅潮させ、目を恨みの色に染めて。
「どれだけ私に恥をかかせれば気が済むんだ!!」
ガクガクと揺さぶられる痛みに顔を顰めながら、一縷の望みをかけて母に視線を投げる。しかし膝上でドレスを握りしめた母もまた憎しみの眼差しをカレンに向けていた。
ぎしぎしと髪の軋む音が聞こえる。腫れ物として扱われていたとは言え、それでも子爵令嬢として暮らしてきたカレンには感じたことのない痛みと恐怖が降り掛かってくる。
一際強く引かれたかと思えば、薙ぎ払うように床に倒された。
「お前たち、我がイノール家に娘はいない。病に臥して帰らぬ人となった。そうだろう?」
母と使用人に向けて発された言葉はまるで高らかな宣言のようだった。
思惑を理解しかねた使用人たちが困惑の表情を浮かべる中、カレンの胸中は絶望に塗り潰されていた。
カレンの存在は完全に消されようとしている。
このままでは殺されてしまうかもしれない、と。
咄嗟に立ち上がり、扉をこじ開けて廊下にまろび出る。
深い関わりを持たない使用人たちは止める素振りを見せないため、勢いのままに玄関ホールへと向かう。
カレンの背中に「二度と顔を見せるな」と悪態をついた金切り声がどちらのものかも判別出来ないほどに、逃げ出すことに必死だった。
住み続けた領地ですら土地勘がないカレンに初めて訪れる王都の地理などわかるはずもない。ただひたすらに
すぐに息切れを起こすが、それでもよたよたと足を進めた先で見つけた、歴史を感じさせる古びた修道院。躊躇いもなく門戸を叩くカレンを出迎えてくれたのは同じ年頃の美しい女性。
後に親友となるソフィアだった。
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