第2話 銀の腕章、金の腕章
カレンは布巾を持った手を止めて、声の主を仰ぎ見る。
最初に目を引いたのは深緑の制服と銀色の刺繍が施された豪奢な腕章。更に顔を上げると短く切り揃えられたチョコレート色の髪の下で穏やかな笑みを浮かべた騎士がカレンを見下ろしていた。
「こんにちは、レグデンバー副団長。今日は皆さんとご一緒ではないのですね」
見知った顔にカレンも頬を緩めて挨拶を返す。
深緑の制服が示すのは第二騎士団員の身分、銀の腕章が
そこにいたのはジグランカ王国第二騎士団の副団長に就いているドノヴァ・レグデンバー。誰だと怪しむ余地もない騎士団の実力者だった。
「任務中に部下が負傷しまして。後始末に追われていたらこんな時間です」
カレンよりも年上で騎士団の上位に籍を置いているというのにその物腰は柔らかく、引き締まった大きな身体からも威圧感はない。笑顔のときに下がる眉尻も彼の柔和な雰囲気を作る一役を買っているのかもしれない、とカレンは思った。
「医務室に運ばれたとお伺いしました」
騎士用に多めに盛られたトレーを調理台から運んでくる。追加でパンをふたつ、皿に足した。パン食の日に決まってふたつ追加を頼まれているうちに自然と覚えてしまったのだ。
「酒に酔った男が割れた空き瓶を振り回して暴れていたそうです。止めに入った部下が足を刺されてしまいました」
「まぁ……」
「浅く切れただけで大事に至らなくて良かったですよ」
カレンが手配した昼食を医務室で食べたであろう騎士を思って深く頷く。誰が誰と判別がつかずとも身近に接する騎士に危険が及ぶのは悲しいことだ。
カウンターに差し出したトレーを引き寄せたレグデンバーだが、すぐにはその場を離れない。ぐるりと食堂のホールを見渡し、ある場所で視線を止めた。
「素敵ですね、あの髪飾り」
カレンだけに聞こえる声で発した彼が藍色の瞳をふんわりと細めて見つめる先。テーブルに残された食器を片付け、天板を丹念に磨く働き者の後ろ姿がそこにあった。
三角巾の下で淡く輝く金髪は薄紅色の髪留めで纏められている。
「ソフィアさんの髪色によく合っている」
遠目からではよく見えないが、手に取ると小さな花形のレースが寄せて作られている髪飾り。レグデンバーの言葉通り、ソフィアにとても似合うその代物は他でもないカレンが選んで勧めたものだ。休日に二人で出掛けた際にひと目見てソフィアにぴったりだと直感した。
その気持ちを共有するかのような褒め言葉に、カレンの胸の内がほんのりと喜びで温かくなる。
「私もそう思います」
「可愛らしいケーキのようですね」
ふっと息を吐くように呟かれたのは強靭な肉体を持つ騎士からはかけ離れた甘い言葉。カレンに同意を求める眼差しにも甘さが滲んでいる。
本当にその通りだ、と心の中で同意する。
ふんわりと柔らかい金色と砂糖細工のような優しい紅色は見るだけで幸せになるお菓子のようだ。
(ソフィアだからこそ、ね)
雑貨屋で髪飾りを見つけたあの日、ソフィアにお揃いにしないかと購入を勧められたが断ってしまった。彼女にぴたりと合致するものでもカレンには浮いてしまうように感じられたからだ。
そんなことを思い出しているとレグデンバーが思いがけない言葉を放った。
「カレンさんもお似合いですよ」
「え?」
「葡萄色がとても似合っています」
大柄な彼が小首を傾げて覗き込むような仕草を見せる。
そこで合点がいく。淡色の髪飾りは断ってしまったが、それならばとソフィアが選んでくれたのが今身に着けている葡萄色の髪留めだった。
ソフィアが光を透かしてしまうかのような金糸の髪を持つ一方、カレンはその光さえも吸い込んでしまいそうな紫黒色の髪をしている。互いに背中の半分ほどまで伸びた髪だが、ソフィアの軽やかな印象に比べるとカレンはしっとりと落ち着いていて、まるで正反対だ。
(気を遣わせてしまったかしら)
それとも物欲しそうな顔になってしまっていたのだろうか。親友に対する賛辞は真実喜ばしいものだったのだが。
羞恥を隠すような曖昧な微笑みで礼を述べてカレンは作業に戻ろうとした。しかし、またも別の声に呼び止められる。
「カレン、二人分頼む」
太く力強い声に振り返ると、レグデンバーの隣にやや長めの赤毛を乱雑にかき上げる大男の姿があった。
「こんにちは、カッツェ団長。トレーはふたつのままで構いませんか?」
「あぁ、問題ない」
カレンを一瞥して頷き返す男は深緑の制服に金の腕章を装着した第二騎士団団長のレオ・カッツェだった。レグデンバーの上司である彼もまた部下の負傷事件で食事が遅れたのかもしれない。
調理台に向き直り、大盛りのトレーをふたつ引き寄せていると背後から男たちの話し声が聞こえてきた。
「まだ食ってなかったのか、ドノヴァ」
「今来たところですから」
「何だ、お前。パンの追加だけで足りるのか」
「団長が食べ過ぎなだけでしょう」
上位に就く騎士の子どものようなやりとりに緩む頬を引き締めつつ、シチューを波立たせないよう慎重な手つきでトレーをカウンターに運ぶ。一仕事やりきったカレンが顔を上げると、カッツェの視線は離れた場所に注がれていた。
やはりそこにも働き者の後ろ姿。
カッツェとレグデンバーにつられてソフィアを眺めているうちにテーブルを拭き終えた当の本人がこちらの視線に気付いた。
「団長、副団長、こんにちは」
「あぁ」
「こんにちは、ソフィアさん」
置き去りの食器を携えたソフィアが戻ってくると目立つカッツェやレグデンバーの存在も相まって、益々華やかな一画と化す。
「お二人とも今日は時間をずらしていらっしゃったんですね」
「部下が事件に巻き込まれてゴタゴタしていたからな」
「医務室にいらっしゃる騎士様のことですか?」
「何故ソフィアが知っている?」
カッツェの眉根が微かに寄るのをカレンは見た。精悍ではあるが幾分強面の騎士団長が少し表情を険しくするだけで迫力が増す。本人に威嚇するつもりはないとわかっていても、逃げ腰になってしまうのは仕方ないことだと思う。
「さっき、お食事の配達をさせていただいたんです。ね、カレン」
「えぇ。別の騎士様が持ち出したいと仰っていたところにソフィアが配達を申し出てくれました」
カレンはレグデンバーからも事情を聞いたが、団長としては事件が外部に漏れるのを厭うのかもしれない。親友が悪く思われないよう、事の経緯を説明するとカッツェは得心した様子で頷いた。
「そうか。手間を掛けさせたな」
「いえ、別の配達のついででしたから」
ソフィアとカッツェのやりとりの傍らで、医務室にいる騎士のことを思う。もう随分と時間は経過しているからおそらくは食事も済んでいるはずだろう。食堂内の混雑が落ち着いていることを確認してカレンは切り出した。
「ソフィア。私、医務室の食器を回収してくるわ」
昼食が終われば間もなく料理人たちが夕食の仕込みを始める。その前に食器や調理器具の洗浄を済ませなければならず、それはカレンたち職員の仕事となる。雑用は早めに終わらせておきたかった。
「団員に届けさせますよ」
「これも私たちの仕事のうちですから」
「私が行くわよ、カレン」
「ソフィアは配達と片付けで動き回ったでしょう?」
レグデンバーとソフィアの申し出をやんわりと断る。
親友の後ろ姿に見入る二人の視線を目の当たりにすると、余計なお世話だと知りつつも自身が残るよりソフィアに残ってもらう方が良いと思えたから。
「すぐに戻るからお願いね」
「わかったわ。任せて」
カウンターを抜け、レグデンバーとカッツェに会釈をして食堂を出る。
怪我人への配達は未経験だが、待機医宛てに医務室へ配達したことはあるので道筋は把握している。
迷うことなく辿り着いたそこには件の騎士が太腿に包帯を巻いた姿で寝台に腰掛けており、食器の回収に来たことを伝えるといたく感謝されてしまった。
改めて礼をしたいと言い募る騎士に「どうかお気遣いなく」とだけ返し、サイドテーブルに置かれたバスケットを持ち上げた。
「どうぞ、お大事に」
「本当にありがとう!」
去り際の背中に掛けられる感謝の言葉が心地良い。
感謝をされるよりもする側の立場だった頃には、こんな気持ちは知らなかった。
そう思うとソフィアとの出会いに感謝の祈りを捧げたくなる。
「そこのお嬢さん」
一介の使用人だとしても王城にふさわしい振る舞いを心掛けるカレンが今日幾度目かの呼び掛けを受けたのは、食堂へ戻る道中のことだった。
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