銀鷲と銀の腕章

河原巽

第1話 王城の食堂にて

 昼時の食堂とは慌ただしいものだ。

 市井のとある家庭では家族の腹を満たすため。街では訪れる客に自慢の一品を提供するため。学園では生徒に午後からの活力と憩いを与えるため。

 料理をこしらえ、運ぶ者がいる。



 王国ジグランカの中枢を担う王城は、今日も厳かな空気に包まれてその役目を果たしていた。

 王都のどこからでも望める雄大な白亜の城は王族の清廉さをその色で表しているとされ、その周囲に青々と茂った豊かな木々は国の繁栄を願うものと言われている。ぐるりと囲む強固な城壁は有事に民を抱え込んでも尚安全であるようにと高く積まれており、王都に住まう者たちの心頼みとなっていた。


 国を造り、国を動かすその場所では日夜勤めに励む者がいる。王族のお膝元とあっては働く人々にも規律と廉直が求められる。

 しかし城内の一角は相反して喧騒に包まれていた。

 昼時の食堂とは慌ただしいもので、それは王城であっても例外ではないからだ。


 真に高貴な人々は大きなテーブルを囲んで優雅な笑みのひとつでも湛えているのだろう。しかし文官や騎士など業務に追われる者たちにとってはその日の昼食を食いっぱぐれないことも、速やかに食事を終えて持ち場に戻ることも大切な仕事の一環であった。


 一方、そんな利用客を捌く食堂職員もまた慌ただしさに身を置いていた。



◇◇◆◇◇



「カレン、こっちは盛り終わったよ!」

「はい!」


 厨房から飛ぶ料理人の声に応じたカレンは、カウンターを拭いていた布巾を手早く畳んで隅に追いやる。間もなく訪れるであろう大勢の客のため、ひとつでも多くのトレーを並べるスペースが必要だからだ。

 くるりと厨房に向き直ると調理台にはびっしりと並ぶトレー。それぞれから料理人自慢のシチューが湯気を上げ、添えられた焼き立てのパンと共に食欲を誘う匂いを漂わせている。


(今日も良い香りだわ)


 カレンはたっぷりと盛られたシチューがこぼれないよう、丁寧な手捌きでトレーをカウンターに移していく。王城では早朝から詰めている騎士たちの昼食時間が一番早い。まずは大盛りのトレーを並べることが昼食時の決まりとなっていた。

 そうしてカウンターが湯気と香りで煙る頃、開け放たれた食堂の入り口に屈強な体躯の騎士たちが姿を現し始める。カレンはこれからの繁忙を想像して、頭部の三角巾をキュッと結び直した。


「パンをひとつ追加で」

「はい、どうぞ」


「モントニュク産の食材は入っていないだろうか?」

「全て王都近郊で生産されたものですから大丈夫です」


「モール豆苦手なんだよ。豆抜きの器ある?」

「少しお待ちいただければご用意いたします。少々お待ち下さい」


 おかわりの要求は当たり前、先祖の言いつけで特定地域の食材を拒否する者がいれば、単純な好き嫌いで野菜を回避しようとする者もいる。

 次々に現れる騎士たちによってカウンター上の食事はすぐに捌けてしまうので、多様な要望の声に応えながらもカレンはトレーを運び続ける。


 くるくると動き回っているうちに朝番の騎士たちがその身体に見合う速度で食事を平らげていき、食堂内の混雑もやや落ち着きを見せる。そろそろ文官たちも昼休憩に入る頃合いだとカレンが考えていると、一人の騎士が申し訳なさそうな表情でカウンターの前に立った。


「任務中に足を負傷して医務室で休んでいる仲間がいるんだが、一人分持ち出しても構わないかな?」

「でしたらシチューを小鍋に移しましょうか? 蓋があるので冷めにくいと思います」

「ありがとう、助かるよ」


 騎士の顔つきがほっとしたものに変わったことを見届けて、カレンは準備に取り掛かる。調理人に理由を説明して小鍋にシチューを注いでもらい、パンとスプーン、揚げた肉団子をそれぞれ蝋引き紙で包むと小鍋と共に手提げのバスケットに収める。カウンターに置いたそれをすっと騎士の方へと滑らせた。


「食後はそのまま医務室に置いたままで構いません。後で回収に伺います」

「重ね重ね、すまない。俺も後で食べに戻るから大盛りを一人分残しておいてもらえるかな?」

「はい、もちろんです」


 食堂を訪れて真っ先にしたことが仲間の食事の手配らしい。心優しい騎士に思いがけず感銘を受けていると、不意に別の声が割り込んできた。


「そちらのお食事、私が届けましょうか?」


 カウンターの向こう、眼前の騎士の背後から一人の女性が姿を現す。


「ソフィア」

「ごめんね、カレン。遅くなっちゃって」


 頭部に三角巾を結びながら小さく笑んだ彼女は騎士に向き直ると姿勢を正して改める。


「別件の配達が入っていますから良ければ医務室の方にもお届けしますよ」

「えっ、あ、あぁ。ではよろしく頼むよ」


 優しく語り掛けるソフィアに一瞬ぼうっとした様子で見入った騎士は何とか頷きを返す。そのやりとりを間近で見ていたカレンは、彼の反応も致し方のないものだと一人納得していた。

 カレンの同僚であるソフィアは大変に人目を引く美貌を備えているのだ。艶やかな金髪が眩しく、微笑みは慈しみに満ちていて、真っ直ぐに笑顔を向けられようものならつい見入ってしまってもおかしくない。実際にそんな光景を何度も目にしてきた。

 何より彼女は外見だけの女性ではない。その心根も非常に優しく美しい。

 カレンにとってのソフィアは頼もしい同僚であり、一番の親友でもあった。


「なるべく早く戻るわね」


 調理台に回っていくつかのパンを蝋引き紙に包んだソフィアは、騎士に託すはずだったバスケットをも悠々と持ち上げ、そう言い残して食堂を後にする。その後ろ姿を見送った騎士がはにかむように微笑んだ。


「二人共ありがとう。じゃあ俺もいただいてこようかな」

「はい。どうぞお召し上がり下さい」


 今度こそは彼の食事を受け渡す。これで彼も負傷した騎士もすぐに空腹を満たせるはずだ。


(色々なことがあるものなのね)


 食事の配達を頼まれることは少なくないが、怪我人のための依頼は初めてのことだった。

 数ヶ月前に食堂職員として王城勤めとなったカレンには、まだまだ目新しいことが多い。人と接するということは予測不可能なことが起こり得るものだ、としみじみ実感する。

 しかし食事を終えた騎士が食器を返却しに来たことではっと意識を切り替えた。ゆっくりしている暇はない。まだまだ昼休憩の時間はこれからだ、と。


 文官たちの腹に合わせたトレーの支度に取り掛かる。新たに焼き上がったパンやピッチャーのお茶を補充していると次第に人影が増えてくる。カウンター越しに飛び交う彼らの要望に応えていれば、余計なことを考える隙間などない。


 働くことに不慣れなカレンがこの場にいられるのは、きっと幸運の一言に尽きる。だから巡り合わせた客に真摯に向き合うことを第一に考えた。料理人が作った食事を受け渡すだけの作業であっても、どうか彼らが心地良い時間を過ごせるように、美味しいものを美味しいと純粋に味わえるように、と願って。

 仕事に没頭しているとやがて押し寄せる人の波はさざ波へと変わっていく。一息つきながらカウンターを拭いていると頭上から声が降ってきた。


「こんにちは、カレンさん」


 低音の、しかしとてもよく通る声だった。

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