39. 彼女が愛した国(カルの視点)


 シアが、俺を愛していると、愛していると言った!


 信じられない。天にも昇る心地だ。やっぱりここに連れてきて正解だった。俺はシアに愛されているんだ。そう叫び出したい気持ちだ。


 ここは俺の母のお気に入りの街。幼い頃は何度となく一緒に訪れた。たぶん、父と喧嘩をしたときに、母が好んで引きこもる場所。

 そして、たいていは数日後に、母の機嫌が直った頃を見計らって、父が自ら迎えに来ていた。


 朝早くに目を覚ますと父が来ていて、母とテラスでのんびりと語り合っていた。その光景を見ると幼い俺は安心して、またベッドに戻ったものだった。


 ここには、いい思い出しかない。微笑み合う両親に慈しまれた記憶。


 シアがクローゼットから選んで身につけ、そして俺に脱がされている服は、すべて母のものだった。


 でも、それは秘密にしておこう。王妃の服だと知ったらシアは恐縮してしまうだろう。汚してしまったと気に病むかもしれない。


「この景色を見ると、誰でもつい素直になってしまうのよ。だから、カルに好きな子ができたら、ここに連れてきてあげなさい。きっと、本当の気持ちが聞けるから」


 母は幼い息子の俺を抱き上げて、よくそう言ったものだった。


 それが本当なら、あれはシアの本心だ。言葉で伝えてもらえることが、これほど嬉しいとは思わなかった。


 もっと早くに連れてくればよかったのだけど、どうしても泊まりになるし、関係が進まないうちは踏み切れなかった。思い余ってシアを襲ってしまったら、一生後悔すると思ったから。


 彼女に嫌われたら、生きていけない。


 遅い朝食兼昼食をとってから、シアを連れて近くの街に出かけた。母のお気に入りの白壁の民家が立ち並ぶ街。


「素敵な街ね。とても静かで」


「この暑さだ。みんな昼寝中だろ」


「そっか、どの窓の戸も閉めっきり。中は涼しいの?」


「湿気がないから、日光が当たらなければ過ごしやすいだろ」


 石畳の道に沿って、白い壁の家々が立ち並ぶ。この白壁は、暑さよけだ。そして、どの窓も緑の扉で固く閉じられている。

 この町並みの美しさは、ただの観賞用ではない。熱い国に住む庶民の生活の知恵が生み出したものだ。こうして暑さをしのぎ、生き抜いていくための。


 それでも、こういう街は女子に人気らしい。高い壁に挟まれた迷路のような路地を、ただ馬に乗って散策しているだけなのに、シアはものすごく嬉しそうだ。


「私、この国が好きだわ。初めて来たときにも感動したの」


「へえ、どこが?」


「大地よ。空からみると赤いでしょ? だから驚いたの」


「空から? 飛んできたみたいな感想だな」


「えっ。あ、ううん。違うの。そうじゃなくて、えっと、丘の上から見たって意味ね」


 一瞬、シアが空から降り立ったような錯覚をした。空を飛べるのは鳥くらい。だけど、シアが天使で羽があったとしても、俺はさほど驚かなかったと思う。


「痩せた土地なんだ。オリーブくらいしか育たないところも多い」


「うん。でもそのオリーブの葉の色も素敵だと思ったの。空の青に映えるでしょ」


「緑なのにくすんでいるだろ。汚れているように見えないか?」


「あれは灰緑色って言うんですって。葉の裏側が白っぽいから、混ざってそう見えるの」


「へえ、あんまり気にしたことなかったな。そこら中にあるから」


「私の国には、この灰緑はなかったわ。緑はもっと深くて濃くて重いの。土も黒くて。だから、この国に来たとき、なんて言うのかな、異国情緒? それをすごく感じたの。浪漫だなって」


「8歳の子供が、いろいろ考えてるもんだな」


「えっ。あ、まあね。うん、思慮深い子供だったのよ」


「そうか? どっちかというと、ぼんやりした子供に見えたけど」


「……なんか言った?」


「いや、別に」


 シアはおっとりした子どもだった。その異質な見た目のせいか、ずいぶんと人見知りで、俺と屋敷が隣同士だったニナくらいしか、友達はいなかった。


 だから、頻繁に王宮に遊びに来ていたし、いつでもどこでも俺の後をついてきて、俺が大好きだと言っていた。ものすごく可愛かった。


 そんなシアが急に大人びたのは、10歳頃になって聖女の力が宿ってから。それを機に、なぜか急によそよそしくなってしまった。俺はそれがかなり寂しかった。


 理由は分からない。ただ、無理をしているように見えた。屈託ない笑顔が消え、いつも何か心配事を抱えているみたいに、物思いに耽っていた。


 それをただ見ているしかなかった。俺はまだ子供だったから。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る