38. タイタニック
そっと居間へ移動して、カーテンを開けてみた。目の前の絶景に、私は悩んでいたことなんてすべて忘れてしまった。
どこまでも広がる大平原。もうすぐ夜明けなのか、地平線が黄金に光っている。その光が徐々に強まって、空に色のグラデーションを作っていく。
そして、すぐに地平線上にオレンジの光の帯が重なった。この世のものとは思えない光景に、おもわず息を飲む。まるで、船の上から朝焼けを見ているよう。
どうしよう。あれ、やりたいかも。
私は急いでテラスに移動して、その柵によじ登った。地平線には楕円形の真っ赤な太陽が出て、朝焼けで本当に空が燃えているようだった。それなのに、大地にはまだ日が当たっていないので、まるで夜の大海原。
うーん、こんな早朝に叫ぶのはダメだよね。でも、あれ、言ってみたい! 小さな声だったら、いいかな。叫ぶのはダメだけど、ここは言っちゃうところだよね!
「I’m the king of the world!」
「それを言うなら、
後ろから腰をガッと掴まれて、カルに耳元でそう囁かれた。彼の気配に全く気が付かなかったので、驚いた私はひぃっと変な声を出してしまった。
「や、やだ。カル、起きてたの?」
「ああ。こんなところに登ると危ないぞ」
「え、へへ。ちょっと、景色に夢中になっちゃって」
は、恥ずかしいな、これは。でも、せっかくカルがいるんだったら、やっぱりあれだよね。あれ! あれをやっておかなくちゃ。ここまでしたなら、最後までやり通す!
「ね、カル。ちょっとだけ、支えてもらっていい?」
「いいけど、変なことするなよ」
私はカルに腰をささえてもらったまま、羽を伸ばすようなイメージで両手を広げた。
太陽が登るにつれて、地平線からこちらに向けて、すこしずつ大地も薄オレンジに色づいていく。まるで、光の波が寄せるようだ。吹き抜ける風が心地いい。
「
やったあ! 言ったあ! このセリフ! 前世で大好きだった映画。特にこのシーンに感動した。
処女航海の豪華客船が、氷河に当たって沈んでしまう話。パニック映画という人が多いけど、あれは絶対に恋愛ものだと思う。何十回も観たから、英語のセリフもある程度は丸暗記してるの!
すごく感動したけど、作り物の世界くらいハッピーエンドがいいなと思ったのも事実。だって、現実には辛い恋がいっぱいあるんだもの。
だから、この乙女ゲームは最後はハッピーエンド。ヒロインが幸せになって終了。それが女の子の夢だから。その夢を私が壊しちゃいけないんだ。
「ありがと、カル。すごくいい経験ができた。この景色、一生忘れない」
「大げさだな。この大地はお前のだよ。俺たちが二人で守る国の一部だ。これから、何度でも見ることになるんだから」
「うん……。そうだね」
次に、カルとこの景色を見るのはヒロイン。私じゃない。それでも、この景色が、この大地が守れるのなら、それでいい。何もかも、それだけでいいんだ。
私は広げた両手から、大地へ祝福と癒やしの力を流した。この地が永遠の豊穣と幸福に包まれるようにと祈りを込めて。
「シア、ひまわりが……」
太陽を向いて咲くはずのひまわりが、太陽とは反対のこちら側に向けて、一斉に首をもたげた。ああ、よかった。花たちも喜んでいるんだ。
どうか、ずっとカルを見守って。大切なあなたを、大地が永久に祝福するように。
「カル、愛してるわ」
思わず本音が口をついて出てしまった。でも、これ以外に言葉が思いつかなかったから。こんな美しい自然の中で、嘘をつける人間なんていない。
カルは、後ろから私をギュッと抱きしめてくれた。彼もきっと、この景色に酔っているんだ。今だけ、私はヒロインの代役をしていいんだ。
映画のようには、その後にキスは続かなかった。キスじゃなくて、もうちょっと濃厚な触れ合いになってしまったのは、私のプリン・メンタルのせい。
声が漏れないように唇を噛むと、カルが私の口に指を差し入れた。もう春とはいえ外でなんて。聖女どころか人間失格! 盛りのついた猫! 人に見られたら恥ずか死ぬ!
でも、カルと愛し合う時間は、今の私には一番の宝物だった。これでいいのかもしれない。カルが望んでくれるうちは、図々しく一緒にいても。
満足そうなため息をついて体を震わせたカルを、私はいたわるようにそっと抱きよせた。このひとときの夢が、少しでも長く消えないでいてくれるようにと願いながら。
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