20. 一生に一度だけ

「誰の気が変わるって? 変わるわけないだろう! なんで分からないんだよ。俺の身代わりになって、お前が危険に晒されるなんて。もう、こんな思いはごめんなんだ!  お前が心配なんだよ」


「ちょっと待って! 狙われたのは、カルなの?」


「ああ、そうだ。俺が死んだら、誰がお前を守るんだ。こんな危険な場所には置いておけない」


「どういうこと? 危険なのはカルで、私じゃないでしょう?」


「お前が目的じゃなかったら、俺を殺す理由なんてないだろ。危険なのはお前なんだよ」


「それって、カルが狙われたのは、私のせいってこと? 私のせいでカルが……」


「いや、違う!  そうじゃないんだ。僕が狙われたのは、お前のせいじゃない!」


「じゃあ、なんで私が心配なの? 身代わりの護符を施したのは私よ。今回のことは私の責任でしょ? なのに、私を学園に置いておけないと思うのは、どうしてなの? 今回のことに、何か私が関わっているからじゃないの?」


 カルは、そこで黙ってしまった。そうか、私を、大聖女を婚約者にしていることで、カルは何かの困難に巻き込まれているんだ。もしかしたら、この力のせいで?


「カル、私のせいで危険な目に合ってるなら、ちゃんと教えて。私こそ、カルが心配なの。ねえ、やっぱり私、正神殿に行ったほうがいいと思うの。婚約も解消すれば、もうカルに迷惑がかかることも……」


「なんだよ、それ。何が迷惑なんだよ! 俺を迷惑に思っているのはお前だろ。俺をかばってこんな目に合って。そりゃ、逃げたくもなるだろうよ」


「違うよ!  そういう意味じゃないの。これはカルのせいなんかじゃない。カルが心配で、私が勝手にしたことなの!」


「なんで俺が心配だったんだよ。負けると思ってたのか?」


「そうじゃないよ。勝つと思ってたよ。でも、心配だったの。カルに何かあったら、私……」


「俺に何かあったら、お前はどうなるって言うんだよ?」


「だから、その……、そんなこと、考えられなかったって言うか」


「それは、俺を死なせたくないって思ったからだろ? お前は、俺が好きなんだろ? なら、なんで結婚してくれないんだよ。それとも、俺が嫌いなのか」


「そんなわけない! カルが嫌いなんて。そんなこと思ったこともないよ」


「じゃあ、なんで結婚できないんだ! 他に好きな男がいるのか?」


「違うよ! 他の人を好きになるかもしれないのは、カルのほうなんだよ」


「なんの話だよ。俺が誰を好きになるって言うんだ! 俺に気持ち、分かってないのか?」


 どう言えばいいんだろう。カルはもうすぐヒロインを好きになる。サラちゃんがカルを選ぶかどうかは分からないけれど、カルの幸せに私が邪魔になる。


 優しいカルに、婚約破棄なんてことをさせたくない。だから、先に婚約を解消しておきたいのに。


 スペインはカトリックの国。離婚は認められない。この世界も、もちろんその倫理感が生きている。今、結婚なんてしてしまったら、カルはヒロインと結ばれなくなる。一生、私に縛られてしまう。


 婚姻無効を申し立てるとしても、還俗した聖女との結婚を反故にしたら、カルは神殿から破門されてしまうだろう。そんなことになったら、この国どころか、神殿勢力圏から追放されることになる。


「頼むよ。一生に一度だけの願いだ。二度とこんな我儘は言わない。今すぐ、俺と結婚してくれ」


「結婚は、今すぐにはできない。卒業まで待って。それで、カルの気が変わらなければ」


「だから、なんで俺の気が変わると思っているんだよ。理由を聞かせてくれよ!」


 カルは私を両肩を激しく揺さぶって、そう訴えかけてくる。どうしたらいい? どう言ったら、分かってもらえるの?


「カルロス、そこまでだ! 聖女さんは安静が必要だ。乱暴をするようなものは、出ていってもらう」


 私たちの口論が診療室の外にも聞こえたんだろう。鬼畜医が戻ってきた。


「先生、違うんです。ちょっと、意見の食い違いがあって。カルは乱暴なことなんて……」


 私が慌ててそう言うと、鬼畜医は珍しく真剣な顔をした。


「暴力というのは、精神的なものも含むんだ。カルロスは君に結婚を強要している。これは立派な暴力なんだよ。彼は頭を冷やすべきだ。さあ、出ていけっ!」


 カルは私の肩を掴んでいた手を離すと、そのまま何も言わずに診療室を出ていってしまった。ああ、これで終わりだ。これで私たちは、もう婚約者じゃなくなるんだ。


「君は、本当にバカだな。泣くくらいなら、なぜ素直にプロポーズを受けないんだ。後悔するぞ」


 そう言われて、私はやっと自分が泣いていることに気がついた。


 カルが好きだから、愛しているから、彼の恋の邪魔をしたくない。でも、それはちっとも楽しいことなんかじゃない。


 鬼畜医は何も言わずに、嗚咽を漏らして泣き続ける私のそばにいてくれた。この人は本当は鬼畜じゃないのかもしれないと、そのとき私はそう思った。

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