18. 誰よりも大切な(カルの視点)

 いよいよ、競技の順番が回って来た。思った通り、俺の獲物だけ何かが仕込まれている。興奮剤か増強剤か。何らかの薬物だということは分かる。


 無駄な細工だ。その程度のことで、俺に危害を加えられるか! 愚か者のすることだ。だが、裏にいる人間を特定する必要はある。


 シアの神力を狙う不穏な動きがある。聖女がその地位を下りると、その力は徐々に失われていく。そうなる前に略奪しようという輩は掃いて捨てるほどいる。


 大聖女を王室の花嫁に迎えるのは、その神力を独り占めするためだけじゃない。彼女の力を悪用する者から守るためでもある。


 だから、俺はシアと結婚する正当な理由があるんだ! いや、もし大聖女が別の人間だったら、俺ではなく隣国の従兄に嫁がせることになっていたが。


 父上も母上も昔からシアを気に入っていたし、俺が彼女以外とは結婚しないだろうということも知っていた。一人息子の望みだからというだけじゃないと断言する!


 とにかく、今はこの竜を倒す! ゆっくりと慎重に回り込んで、コイツの癖を見極める必要がある。


 一直線に突進してくる竜を、ギリギリまで引き付けて躱す。ただ避けるだけでなく、ジャンプや側転、バク転などで技を見せる。


 ただ仕留めるだけじゃダメだ。優雅さと余裕を示さなくては勝てない。シアは力では縛れない。彼女を勝ち取るには、その心をつかむしかない。


 そうして、よく観察すればコイツの弱点が分かる。右にわずかに軸がズレるのは、右のどこかに故障があるからだ。そこを攻めればいい。


 そう見極めた瞬間、肩に何かが刺さった。吹き矢?  即効性の毒か。毒には耐性があるとはいえ、こんな状況を狙ってくるとは。姑息なことを!


 なんの症状も出ない。 毒は塗っていないのか。なぜだ。では、何のために矢を?


 そのとき、救護テントから悲鳴が上がった。何があった?  まさか、シアか?


 対戦から気を逸らした、その一瞬の隙を突いて、竜は速度を増して突進してきた。すんでのところで避けたが、角が頬を掠った。

 

 確かに傷が付いたはずなのに、頬からは血が出るどころか、痛み一つ感じない。そして、その瞬間、またテントからの叫び声が上がった。


 間違いないシアだ。シアに何かあったんだ!


 もう勝敗など、どうでもいい。高く飛び上がって、後頭部の急所を剣で一突きする。竜はそのまま前足を折って、その場にドサッと音を立てて倒れた。


 会場からの割れんばかりの拍手と喝采の中、俺は真っ直ぐに救護テントに走った。


 シアは、シアは無事なのか。


「殿下! アリシア様が血を吐いて急に倒れてっ! 頬に傷がっ」

「何だって!  毒か? 万能解毒剤を持てっ」

「もう飲ませました! でも効かないんですっ」


 どういうことだ。なぜ解毒剤が効かない?


 吐血の海の中で、シアはどんどん冷たくなっていく。彼女を抱き抱えたまま、俺は叫んだ。


「誰かっ! 助けてくれ! シアが死んでしまうっ」


「カルロス! お前が解毒剤を飲めっ。毒は聖女じゃなくて、お前の体にあるっ」


 走ってきた養護教諭が投げた小瓶を受け取って、俺はそのまま飲もうとした。だが、すぐに側近に阻まれた。


「殿下! 成分も確かめもせずに、ものを口にしてはいけませんっ」

「黙れっ。シアのためなら、毒でも食らってやるっ!」


 小瓶から液剤を飲むと、体の中に染み込むように広がっていく感覚があった。同時に、腕の中にいるシアが、ほんの少しだけ動いた。


「カルロス、すぐに診療室に!聖女には輸血が必要だ。毒は抜けても出血多量で死ぬぞっ。急げっ」


 シアを抱えて、養護教諭の後を走った。シアは絶対に死なせない。俺を置いて逝くのは許さない。


「魔力を少しずつ注入しろ。少しずつだ。一気に入れると、ショック死する。できるか?」


「やる。少しずつだな」


「命を繋ぐだけの、ほんの最小限の量だ。診療室まで持たせてくれ。あそこまで行けば、なんとかなる」


「頼む。シアを助けてくれ」


「言われなくても、死なせる気はない。一時休戦だ。僕を信じてくれ」


 今、この場で頼れるのは、医師である彼だけだ。


「俺ができることを教えてくれ。何でもする」


「神に祈るんだな。あとは任せろ。僕はヤブじゃない。こういうときのためにいるんだ」


 頼む、持ちこたえてくれ。シア、死ぬな! どうか、こいつを連れて行かないでくれ。俺から取り上げないでくれ。何でもする。お願いだ。


 彼女を抱える手から少しだけの魔力を注入しながら、俺は生まれて初めて、信じたこともなかった神に本気で祈ったのだった。

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