17. 勝ち取りたいもの (カルの視点)

 学園の診療室だというのに、つい本気でキスをしてしまった。寝ぼけていないシアに、あんなことをしたらマズい。


 いつも王宮では、眠るシアにこっそり魔力を補給している。バレたら取り返しがつかない。シアに嫌われたら生きていけない。


 救護テントにシアがいる。それだけでも、驚くほどに心が浮き立つ。シアが笑ってくれると、天にも登るような心地になる。まるで、世界中が俺の味方になったみたいに。


 どんなに遠くからでも、シアの輝く美しさは、人の目を引き付ける。その美貌だけじゃなく、聖女としての慈愛も立ち上る静謐なオーラも。


 彼女がいるだけで、灼熱の太陽も月の光のように柔らかく照り、大地は癒されて凪ぐ。聖女が神に愛された存在だと、誰もが認めずにはいられなくなる。


 稀代の聖女と呼ばれ、世界中がシアを手に入れようと躍起になっているのに、本人はそれに気付きもしない。それどころか、まるで自分が厄介者みたいに、いつも小さくなって、人が嫌がる仕事ばかりを率先してやっているんだ。


 シアはそれを、聖女としての経験を積むための偽善だと言う。いつも人のためにギリギリまで力を使い果たし、ボロボロになるまで働いている。とても、自分のためだけにしている行為だとは思えない。


 彼女の力で救われたものは後を絶たない。本人の知らないところで、聖女の信奉者は増え続けている。


 そして、そんな彼女の婚約者である俺は、王位継承権第一位に生まれたというだけで、大聖女を得られる世界一幸運な男だと言われている。

 または、身分を笠に着て、彼女を縛り付ける極悪人だと。もちろん、俺にはその自覚はある。


 シアと一緒になるためなら、どんなことをしても王太子になってみせる。もし俺が王位継承権を失えば、聖女との婚姻は白紙になってしまう。


 だから、シアとの婚約に漕ぎ着けてから、立太子に向けて全てに努力を重ねて来た。誰もシアとの結婚に異議を挟めないように。誰からもシアに相応しいと言われるように。


 国技である闘竜もその一つだ。誰にも負けない。


 それなのに、去年は側近たちに止められて、競技にエントリーしなかった。まさか、優勝者にシアがキスをするなんて。そんなことは全く知らなかったから。


 あれは、大失敗だった。あの後、俺が暴走したのは大目に見て欲しい。


 俺だって、シアからキスされたことなんてなかったんだ。他の男に先を越されて、黙っているなんてできるか!


 だから、あれから死ぬほどシアにキスをしている。もちろん、シアに気づかれないように寝ているときだけ。こっそりだけど。


「殿下、お手柔らかにお願いしますよ」


「バカ言うな。シアの前で手抜きなんかできるか! お前たちも手加減したら殺す」


「はいはい。期待した僕がバカでしたよ。それにしても、なんでそんなに必死なんです? アリシア様は殿下の婚約者でしょう。そんなに執着しなくても、いずれは手に入るんだから」


「うるさいな。余計なお世話だ」


「まあ、気持ちは分かりますけどね。この世界で、彼女に心を奪われない男はいないでしょう。女だって、みんな彼女のファンだ」


 いちいち言われなくても、そんなことは分かってる。俺が失脚すれば、シアをめぐって殺し合いの争奪戦が起こる。だから、絶対に失敗は許されない。


「シアに、誰よりも俺が一番だと思わせたいんだ。他の男が付け入る隙を与えたくない」


「そこなんですよ。アリシア様が、殿下以外に靡くとは思えないですけどねえ。なんでそんなに拗れてるんですか?  傍から見たら、ただのバカップルですが」


 シアは俺を好きだ、とは思う。実際、寝ぼけているときには、彼女から愛の言葉が聞けるし、俺が何をしても、喜んで受け入れてくれる。拒絶されたことは、ただの一度もない。


 それなのに、覚醒しているときのシアは、俺から離れることばかりを望む。婚約解消だったり、正神殿行きだったり。


 何が彼女にそうさせているのか、何度聞いても明確な答えはない。特に今年度が始まってからは、顔を合わせる度に別れを懇願される。


 その度に思いが募って、俺がどんどんマズい方向に加速していくのは、もうしょうがないと思う。


「あいつは、そんな簡単に手に入る女じゃないんだ。いつ誰にかっ攫われるか。色んな罠が仕掛けられているんだ」


「ああ、お気づきですか。この闘竜でも、何かありそうですね」


「それを明らかにするのも、俺の仕事だ。国家転覆を狙ってる輩は、根絶やしにしないとな」


「うわっ! 恐ろし。殿下を怒らせるとは、賊も愚かですね」


 ベンチでそんな話をしている間も、競技者たちは、次々と華麗な技で優雅に獲物を仕留めていく。


 俺が射止めなくてはいけないのは、竜ではなくシアだ。あいつに格好いいところを見せたい。それを叶えるために、今は競技に集中する必要があった。


 

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