08. 神殿に避難したい

 スペインは美しい中庭を持つ建築で有名だ。白亜の壁や回廊に囲まれた中庭はパテオという。

 このゲームもそれを模倣してるから、王宮にもいくつものパテオが存在する。


 そして、私たちがいるこのパテオは、たぶん第一王子の専用。王子と王子妃のための特別な空間。

 花が一斉に咲き誇る朝もいいけれど、月が出た夜の美しさは筆舌に尽くし難い。


 日本人の女子が憧れる、ロマンチックのシチュエーションががっつり詰まった乙女ゲーム。


 ヒロインは月夜の晩に、このパテオで王子の愛の告白を受ける。


 それを想像すると、せっかくの美味しそうな朝食にも、全く食欲が沸かなくなってしまう。

 私はヨーグルトだけに口をつけた。


「シア、本当に大丈夫なのか? 人間、食べないと死ぬぞ」


「ごめん、ダイエット中なの。見逃して」


 うまく笑えたはずなのに、カルは納得したようには見えなかった。そんな顔されると、私はどうしていいか分からなくなってしまう。

 でも、本当に無理。もう何も食べたくない。


「じゃ、何なら食べられんだよ? 食べたいものはないのか?」


「うーん、プリンかなあ。プルプル冷たいやつ。卵とお砂糖とミルクを混ぜたのを固めてね。焦がした砂糖でつくったカラメルがかかってるの。黄色と茶色のコントラストがきれいで」


 あ、やばっ。この世界にはなんてない。似たようなものでクレーム・ブリュレっぽいのがあるけど、あれは甘すぎるしプルプルしてない。


 案の定、カルは考え込んでいた。なんと言っても大国の王子。食べたことのないものなんてないんだろう。その中になるものを探しているのかもしれない。


「これ、創作お菓子なの。でも、ダイエット中にお菓子はまずいわ。今の忘れて」


「菓子ねえ。そんなもんじゃ、腹は膨れないだろ」


 まあね。でも、他に思いつかないんだもの。


 とにかく、早くこのどっちつかずの状況から抜け出したい。先が決まってしまえば、きっとそれで諦めもつく。すっきりする。


「あのね、私、学園を辞めて正神殿で暮らしたいんだけど」


「は? なんでだよ。学園に何か問題があるんだったら……」


「ない! ないよ。私、今ちょっと体調悪いし、その、神のご加護がある場所のほうが、癒やされるかなって?」


「お前、神なんか信じてないだろ。今更、何言ってんだよ」


 あ、そうだよね。バレてるよね。だって、前世日本人の記憶持ちだよ。宗教とか信仰には疎くなるし、どちらかというと無宗教。


 でも、聖女が無宗教とか教義的にどうなのかな。ありなの?


「うーん、その、信心が低かったので、えーと、神様の罰が当たってるのかも? だから、悔い改めようかなって」


 苦しい。この言い訳は苦しすぎる。聖女に天罰が下ってどうするんだって話でしょ。それはもう、この宗教の教義自体の崩壊だよ。

 だって。神の恵みの力を使うのが、聖女なんだから!


「とにかく、正神殿はダメだ。あそこに入ったら、簡単に手出しできなくなる」


 え、何それ。まさか、断罪の件? やっぱり、国外追放とか、死刑執行とかくるの?  

 いやだな。カルにそんなことを命令させるくらいなら、いっそ自害したほうがいいような。もちろん、宗教的に自死は絶対ダメだけど。


「怖いこと言わないでよ。たださえ不安なんだから、これ以上ビビらせなくてもいいでしょ!」


「だから、何が不安なんだよ。それが分からないと対処できないだろ」


 カルはいらいらと、前髪を掻き上げた。


 その通りだけど、でも言えないよ。ここはゲームの世界で、カルは攻略対象で、ヒロインと恋に落ちる運命で。だから、いずれ訪れる婚約破棄が怖いなんて。


「それは、その、婚約が……」


「婚約の、何が不安なんだよ?」


「えーと、カルはいずれ立太子するでしょ。そしたら、王太子妃とか王妃とか、私にはちょっと荷が重いというかさ。もっと楽してのらくら生きるのが、私らしい生き方っていうか?」


 うん。真っ当な言い訳だ。これならいけるかも。怠惰な女じゃ、カルの伴侶は務まらない。

 ヒロインみたいに優秀な人だったら、王族の大役もきちんとこなすだろう。


 ちらっと、カルのほうを見ると、なぜか固まっていた。フォークを持つ手が、かすかに震えている。もしかして怒った?


「カル、どうしたの?」


「楽してのらくら生きたいやつが、あんなに努力して聖女修行するか? しかも、もっと戒律が厳しい正神殿で暮らそうって。その理論、全く筋が通ってないだろ」


「え、そうかな。そうだった?」


 やっぱダメか。ここで思いついたことだし、論理的に破綻してたな。


 へらっと笑った私を見て、カルは深い溜息をついた。


「とにかく、正神殿行きはなし。婚約も解消しない。お前は俺と結婚する。これでこの話は終わりだ」


 あーあ、今週もまたダメだった。来週にはもうイベントが始まってしまうのに。


 カルの言葉を聞いて、私はがっかりして、ヨーグルトを食べていたスプーンを置いた。

 もう何も、胃に入りそうになかった。

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