06. 婚約者は幼馴染

 ゲームの内容を思い出してから五年。カルをこれ以上好きにならないようにと、どれだけの精神修行を積んだことか。正直キツい。


 聖女のお勤めなんて、それに比べれば屁のカッパみたいなものだ。頑強な肉体さえあれば乗り切れる。


 体力はあまりないけど、そういう試練の方がずっとマシだった。


「来年は卒業だもん。真剣に進路を考えないと」


「俺たちの将来に選択肢なんてないだろ? 国王と王妃。それとも、俺とは絶対に結婚したくないから、卒業後は別の生き方をしたいってことか?」


 そうじゃないけど、そうじゃないんだけど。好きな人と結婚したくないなんて、あるわけない!


 でもね、来週の新入生入学式を迎えたら、カルも私の提案を喜んで受け入れたくなるかもしれないんだよ。


「そりゃ、この国で生きる以上、国王陛下の命令には逆らえないよ。でも、カルが婚約解消したくなったら、私はいつでも受け入れるから!」


 そう言ってみたけれど、それには何の答えもなかった。


 カルはまだヒロインに出会っていない。運命を変えたいほどの恋をしていない。

 だから、それまでは私の言っていることも、きっとよく分からないと思う。


 だけど、その日が来るまでもう少ししかない。来週にはカルも理解する。

 だって、ヒロインに選ばれなくても、攻略対象は全員が彼女に恋するシナリオだから。


 そんな未来を知っていながら、こんなふうに死刑を監獄で待つ囚人みたいな生活はあまりにも疲弊する。心身ともクタクタになる。希望があればあるほど、それが消えたときが怖い。


 大好きな人に失恋するんだもの。ダメージが大きくて当然でしょ?


「おい、顔色が悪いぞ。ちょっと横になれよ」


「大丈夫、本当に疲れただけだから」


 ガタンと音を立てて、カルは向かいの席を立った。あ、怒ったかな。もう自分の部屋に帰っちゃうのかな?


 そう思った瞬間には、私はカルに抱きかかえられていた。これはよく言うお姫様抱っこ! 恥ずかしさに自然と顔が熱くなる。


「いいから、もう寝ろよ。疲れてると変なことばっか考えるだろ」


「重いでしょ。運んでくれなくっていいから! 自分で歩けるからっ」


「少し黙っとけ。お前、本当におかしいぞ」


 おかしいのは、そっちだと思う。国の慣例で決まった婚約者なんて、政略結婚の最たるもの。自分で選んだ相手じゃないんだよ。


 なのに、婚約解消の話をすればするだけ、離れようとすればするだけ、なぜかカルは婚約に固執する。

 この話をすると、カルはいつも怒るか不機嫌になるか、黙り込んでしまう。


 それはまだヒロインに会っていないから。恋をしていないから。分かってはいるんだけど、ジレジレする。


 カルだって、ヒロインと愛を育むことになったら、政略結婚じゃなくて恋愛結婚のほうがいいと思うに決まっている。そして、それはそう遠い未来の話じゃない。


「ごめんね。もうちょっと体力つけたいんだけど……」


「まったくだな。余計なことを考えずに、もっと食って寝ろ」


 言い方は乱暴だけど、カルは本当に私を心配してくれている。なんだか、ちょっと涙が出そうだ。


「うん、ありがと。もう寝るから、カルも帰ってよ」


 私を寝台に降ろした後も、カルはなんとなくその場にとどまっていた。私が本当に大丈夫か、様子を見ているんだと思う。その気遣いは嬉しいのに、やっぱり切ない気持ちになる。


「じゃ、俺は部屋に戻るから。ゆっくり休めよ」


 そう言って出ていくカルを、私はベッドから見送った。


 ドアが閉まる音を聞いてから目を閉じると、猛烈な眠気が襲ってきた。まるで体がベッドに沈み込むみたいに。


 ああ、いつものように、このまま寝ちゃうんだ。そして、きっとまた、いつもと同じ夢を見るんだ。


『シア、好きだ』


 夢の中のカルは、いつもそう言ってくれる。私たちは恋人同士で、これからもずっと一緒にいられる。政略結婚の婚約者じゃなくて、ちゃんと恋愛をしている。


 そして、私はカルにこう答えるの。


『私もよ。ずっと大好きだったの。初めて会ったときから』


 カルは嬉しそうに笑って、私にキスをしてくれる。


 今まで誰ともキスなんてしたことない。なのに、すごくリアルな感覚。舌を使ったことなんて、前世でもなかったのに!


 それどころか、もっと進んだ触れ合いもあったりして。エッチな夢を見るなんて、私って経験ないくせに欲求不満?


 でも、夢なら問題ない。誰にも迷惑をかけることないし、聖職者だって夢でくらい……許して貰えないかな?


 とにかく、この夢を見たいから、私は絶対に毎週のお勤めはやめない。最後の最後まで、このご褒美のために頑張れる。


 そうして私は、今夜もカルの夢を見られるよう願いながら、深い眠りの淵に落ちていった。

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