02. 皇帝の求愛


 森を抜けた先は国境の街だった。宿で私を待っていたのは、ニコライ皇帝陛下。私の母方の従兄だ。


 輝く金髪と煌めく碧眼を持つ、北の大帝国の皇帝。若くしてその地位についた美貌の貴公子は、まさにおとぎ話の中の王子様という風采だった。


「アリシア! 無事でよかった。顔を見るまで、生きた心地がしなかったよ」


「ニコ兄……様、ご心配をおかけしました。でも、どうしてここに?」


 お兄様は私に駆け寄って、優しく抱きしめてくれた。そのたくましい腕に、私はほんの少しだけ安らぎを得た。


 少なくとも、ここには私の居場所がある。愛する人に拒絶された私を、やさしく受けとめてくれる人がいる。


「詳しい話は後だ。明朝には我が国に向けて出発する」


 何もかもが急過ぎる。まるでジェットコースターような展開。まだ夢を見ているみたいだ。


 だから、きちんと説明してほしい。一体、何が起こっているのか。

 どうして、自国にいるはずのお兄様が、ここで私を待っていたのか。


「とにかく、すぐに式を挙げよう」


「何の……式ですか?」


「お前は今宵、私の花嫁となる」


「まさか。私は皇妹いもうとです。妻にはできません」


「実際は従兄妹いとこだ。しかも、血は繋がっていない。私は遠縁からの養子」


「そんなこと言ってはいけません。血筋に疑いが出れば、皇帝の地位が危ないのに!」


「言ったろう? 地位も権力もお前を得るための手段だ。いつ手放しても惜しくない」


 どうして。なぜ今になって、私を花嫁になんて言い出すの?


 お兄様からの求婚は、すでに断っている。私にその気がないことは、知っているはずなのに。


 それなのになぜ、こんな危険を侵してまで私を助けに来たの?


「私のために、これ以上の無理はしないでください」


「言ったはずだよ。お前のためなら命をかけて、どんな奇跡でも起こしてみせると」


「私にはお返しできるものがないんです。お兄様とは結婚できません」


「こんなことになっても、まだカルロスを愛しているのか?」


 どうして、こんなことになってしまったんだろう。何もかもが予想と違ってしまった。


 それでも、私は彼を恨んでいないし、今も変わらず愛している。


 愛されたから愛し返したんじゃない。愛はずっと私の中にあった。だから、彼の愛を失っても、私の愛は消えない。


「私が愛するのは、彼だけです」


「愚かなことを。あいつはお前を捨てたんだぞ」


「分かっています」


「私の庇護がなければ、お前の命が危険なんだ」


「それでもです」


「私を拒めば、死ぬのはお前だけじゃないとしたら?」


「それは……、どういう意味ですか?」


 その質問には答えずに、お兄様は私の顎に指をかけて顔を近づけた。


 こんなに間近で見ても、この人の美貌は損なわれることがない。思わず見惚れてしまうほど美しい。


「それ以上は、近づかないでください。噛みつきますよ」


「できるものなら、やってごらん」


 お兄様はそう言うと、そのまま私に口づけた。それは、息もつけないような激しいキスだった。


 それに抗うために、私はお兄様の舌と唇を容赦なく噛む。


「……くっ」


 痛みで怯んだ瞬間を狙って、私はお兄様を突き飛ばした。握った手の甲で、お兄様は唇を押さえた。かなり出血しているだろう。


「言ったでしょう。私は本気です。聞き入れてくれないなら、聖女の力を使います」


 その言葉に反応して、お兄様は動きを止めた。聖女の神力は強大だった。間違って使えば、多くの命を奪い、国を滅ぼす。


「お前はもう、聖女ではない」


「神殿に破門されても、能力は健在です」


 この力はチート。強すぎる能力は、この世界のギフトじゃない。こんな無双みたいな能力、転生チート以外にはありえないから。


 壁際に追い詰められた私は、星のように煌めく彼の瞳を、キッと睨みつけた。


「後悔しますよ」


「しないよ。後悔しないために、私はここに来たんだから」


 お兄様は私の腕を掴んで強く引き寄せる。不意の出来事だったので、私はその力に逆らうことができなかった。反動で部屋の中央にあるベッドへと倒れ込む。


「何をするんです!」


 ベッドの上で私を組み敷いたお兄様は、また私に口づけた。今度のキスは、かすかに血の味がした。


 そして、お兄様は辛そうに顔を歪めてこう言った。


「あいつを思って、一生苦しめばいい。私の腕の中で」


 晩秋の暗い夜に、窓からぼんやりと月明かりが入る。明日は『諸聖人の日』。その前夜イブは悪霊は追われるハロウィン。


 そして、私は今夜、学園パーティーで婚約破棄を言い渡された。


 幼い頃からの婚約者だった第一王子カルロス殿下は、平民出身ヒロインのサラ・オーランドを伴っていた。


 こんなことになったのは、私が乙女ゲームの悪役令嬢に転生したから。逃れられない運命とゲームの強制力。それは私が思っていた以上に、強い縛りだったのだ。


 どこで間違えたのか。私はこの半年ほどの出来事に思いを巡らせていた。

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