第8話 平和な日常風景

 爽やかな風が、カーテンを静かに揺らしている。


 男の子の幽霊を浄霊した翌日の午後。

 冬夜たち三人はいつもと同じように、のんびりおやつの時間を楽しんでいた。


「相変わらず暇だなー」


 志季がテーブルに手を伸ばす。そこに置かれた冬夜お手製のクッキーを一枚取って口に運ぶと、


「志季は今日バイトじゃないでしょ」


 冬夜は愛用のマグカップをデスクに置いて、苦笑いを浮かべた。


 志季のバイトはだいたい週に五日程度だが、休みの日でもかなりの頻度で暇つぶしがてら事務所にやってくる。

 今日も休みだが、大学帰りに事務所に顔を出しているのだ。


 そしてコハクとゲームをしたり、文句を言いながらもしっかり事務所の片づけなどをして、適当な時間に自由気ままに帰っていく。


 いつもと同じく暇つぶしに来ていた志季が、手近にあった雑誌を取ろうとした時、所長用のデスクに置かれた冬夜のスマホが大きな音で鳴った。


「この着信音、協会からか?」

「そうだと思うよ。今確認するから待ってて」


 冬夜の返答に志季が素直に頷き、隣に座っている人間姿のコハクに顔を向ける。


「多分、昨日の報酬の件っぽいよな」

「昨日のは浄霊でしたから、あまり報酬は多くないですよね?」

「まあそうだろうな」


 そんなことを二人で話していると、メールの確認を終えた冬夜が顔を上げた。


「浄霊を確認できたので報酬を振り込んだ、だってさ」

「やっぱその件か。で、今回はいくらよ?」

「んー、ちょっと待って」


 志季の言葉に促され、冬夜は早速ネットで残高を確認する。

 今日も志季とコハクは、その様子を黙って眺めていた。


 ややあって、スマホから視線を外した冬夜が、残念そうに眉尻を下げる。


「今回は浄霊だったから、やっぱりあまり多くはないかぁ」

「昨日は全然苦労してないもんな。むしろオレは何もしなかったから、仕事としてはめちゃくちゃ楽だった」


 志季がそう言って、最後の一つだったクッキーを口に入れると、


「まあ、そうだよね」


 冬夜も納得するように頷いた。


「あれ、でも今日の夕方にならないと、本当に事件が解決したかはわかんないんじゃねーの? まだ一日経ってないよな」


 言いながら、志季は掛け時計に視線を向ける。昨日、調査に向かった時間よりも少し早い。

 志季が言った通り、まだ男の子が浄霊されてから一日も経っていなかった。


「今回は先に浄霊の方だけ確認したみたい。夕方の事件については、これからちゃんと協会で確認するんだと思うよ。で、解決できてなかったら、また再調査の依頼が来る感じかな」


 そうなったら今度はただ働きだけどね、と冬夜は付け加えながら、困ったように笑う。


「そっか。ま、もし再調査の連絡来たら電話でもしてくれ。てことで、そろそろオレは帰るわ」


 志季がマグカップを手に立ち上がり、そのまま事務所専用のキッチンへと向かった。


「今日は早いね。また靴屋?」

「そう。ちょっと気になるスニーカーがあってさ」


 その背中に冬夜が柔らかな笑みを含んだ声を掛けると、志季は振り返ることなく、素直に返事をよこす。


「志季のスニーカー収集も、俺の通販とそれほど変わらない気がするけど」

「言っておくが、オレはアンタほど買ってないからな。靴屋を眺めるだけでわりと満足できるし」


 志季がゆっくり振り返り、冬夜を軽く睨みつけた。どうやら、冬夜と一緒にはされたくないらしい。


「その辺はちょっと羨ましいよ。俺はやっぱり色々と買いたくなるもん」

「そういうもんかね」


 小さく嘆息しながら、志季はキッチンへと消えていく。


「俺には『見るだけで満足』っていうのがよくわかんないなぁ。ね、コハク?」

「ボクはどっちもよくわかんないですけど……」

「そっかぁ。でも、いつかコハクもわかる時が来るかもしれないよ」

「そうなんですかね?」


 冬夜とコハクが話していると、マグカップを洗い終えたらしい志季がキッチンから戻ってきた。

 そのまま、ソファーに置いていたバッグを掴むと、


「じゃあな」


 志季は冬夜とコハクに背を向け、手をひらひらと振りながら事務所を後にする。


「うん、また明日」

「車に気をつけてくださいね」


 残された二人は笑みを浮かべながら、その姿を見送ったのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る