3・むらさき

持つべきは友とし言ひき君にわが腕も瞼もすでに友なりや


草木さへことふとふに君を前にしてわが喉は夢むごとかり


松かさの転がるなだりの間近にて鳩の見れば意外うつくし


夜の呼気は低きを流れ君の声といふかたちに僕を刺したり


終バスの最も奥なるさびしさに僕は触れ得ず君も触れ来ず


吊されてばかりゐるなり家兎野兎うたによまれてかなし


流れ去るもの皆なべて優しくて膝のあたりまで浸され動けず


深くりかかりたけれどぺたんこの椅子よりほか容れらるるものなし


が町に桜ちるころわが町は辛夷咲きたり辛夷を抱く


取りこぼさないやうくづも上に載せ摘まめる餃子をくづがこぼれつ


おぼつかぬ心もたのし揺らぎせぬ基盤ある日に限りていへば


もしかして地上に届いてをらぬかも知れぬ階段ちかよりのぼる


棚に書物つらつら並び或るところ空白にして影はくぼめり


世の中になべて回鍋肉よりもすばらしきものありやなかりき


雨の日の暗がりにオクラホマ・スタンピードとはかくかしましき映像


豪雪はごうとは降らずしづやかに視程の限り降り占めるもの


働くなら悪事 風やや涼しかる春昼コロナビール飲むなど


端末を耳に押し当てある時に忽然わらふ不気味ぶきみじんをり


  八月、カトリックの洗礼を受ける。洗礼名は「ルカ」。

死の淵に洗礼せる人多かりき加藤周一もその一人にて


何処どこにゐて何を読みしかまどろみの蓮の花咲く束のわれは


街ぢうが森の暗さを思ひ出す頃に踏みしだかれては草


両手もて水くむ一瞬にんげんは湖の虜囚としてありたり


両側に十枚つづりの雪柳つらなりてあり行迷ゆきまよふなり


ゆつくりと立ちのく匂ひ追ひすがりさい花雨かうの奥を見つめ冬終ふ


雨催あまもよひせる久方のギャラクシースーパーノヴァは星も降らむか


幾冊の書物とならむ身を寄せて百日紅ひやくじつかうの幹に語りぬ


レジュメ育ちゆく学生印刷室に手先の動作速めてゆけり


  わたしは人生に罹ってしまった。人生を患ってしまった。

    ――ヴォネガット、浅倉久志訳『デッドアイ・ディック』

ゆふべあるる影さへもむらさきちぬ生きてある皆ふぢかとおもふ


酔ひし眼に見つむる何と問はるれば大鴉の背と答へてみたし


あかあかと今し霧はれ立つ我に身捨つる恋のふたたびは無し


この国の最極端にゆけばつねはだかるる海とは暗き野よ

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