きのこ狩り

 孤児院の生活は、時計に例えることができる。孤児院が、長針で、町が、短針だった。その間をぐるぐると、秒針の孤児達が巡る。規則正しく、休むことなく、ぐるぐると巡る。

 ――起床、

 ――掃除、

 ――食事、

 ――基礎学科、

 ――社会実習、

 ――休憩、

 ――沐浴もくよく

 ――就寝、

 全てが、時計盤の数字だった。

 その日、ルシは、社会実習の一環で、森へ行った。森の一角を、孤児院が所有している。そこが、きのこの栽培場だった。丸太がバリケードの如く組まれ、その中で埋め込まれた菌がふくらんで、茸となる。その茸の定期的収穫が、孤児達の仕事だった。籐籠とうかごを、茸で満たすと、孤児達の自由時間が訪れる。

 新緑のステンドグラスがざわめいて、光と影の中間の色が、やわらかな腐葉土ふようどを染めてゆく。香る土と、数千数万の、くすぐるような木洩れ日。おびただしく、そして、心地よくひびく鳥達の声。大きな灌木の上で、孤児達が並んで座って、たわいもなく、愚痴ぐちや雑談をして、時が流れる。時間そのものがまどろんで、舟を漕ぐような、そんなひととき。

 ルシも、家族同然の、十四才の孤児達の輪の中で、喋って、遊んで、散策をして、しばらくすると、いつもゆく場所へ、一人足を運んだ。

 古城の跡地。

 高らかな柱、崩れている石垣、そんな朽ちてゆく遺跡が、過去の栄華の残光をくすぶらせながら、草の間で眠っている。いくらか、木の伐採が行われている。光が多く、丘も高く、そんな跡地を、風が巻いてゆく。ひときわ、巨大な石材が、土の中で半分植わって、そびえている。その上で、足をぶらぶらさせながら、座ることが、ルシの森での日課だった。

 渓谷けいこくをわたる風が、森を撫でてゆく。ここから、町の姿が見える。まるで、石の割れ目の中で犇めく、鉱物のような、建物の数々――、光と影でつつまれた路地の模様――、そして、孤児院。

「ルシ、また、ここなの?」

 と、少女の背後から、声がする。純白のエプロンが、やや土で汚れている。茸の選別で、汚れたのだろう。カスペリア孤児院の、若き院長――、つまり、ルシの伯母が、丘の草を伝って、巨大な石材の上へ、歩いてくる。初夏目前の、適度な陽気であたためられた石の感触が、冷徹な日向だった。ルシの横で、腰を据えて、同じく足を宙へ放って、渓谷を――、町を眺めるジョーン。頭巾でまとめられた、真鍮色しんちゅういろの髪が、ふわ、と花のような芳香をただよわせる。その横顔がまるで、硬貨の女王のレリーフだった。なんて、凛然りんぜんとしているんだろう。ルシは、視線をはぐらかして、遠く、空の上でかすんでいる雲の横断幕を眺める。

「ここ、不思議な場所よね」

 と、ジョーンが口を開く。

「昔、王様が住んでたんだと思う。そして、滅んだ」

 と、ルシが呟く。

「うん、そうね」

 と、ジョーン。

 熊蜂たちの羽音が、平和な沈黙を運ぶ。

「ねえ、ジョーン。なんで、そんな奇麗きれいな髪の色なの? 艶なの? 私も、そんな髪がよかった」

 と、ルシが訴える。

「あなたにも、素晴らしい髪が、あるでしょ?」

「これ、売れ残った絹みたい」

 と、ルシが、髪をなでながら言う。

 艶が乏しく、くすんだプラチナ・ブロンドの、なめらかな波が、その貝のような形の耳を、そっと包んでいる。

「それ、多分、あなたのお父さんの血よ」

 と、ジョーンが言う。

「知ってるの?」

「知らない」

 と、ジョーンが答える。

「前も言ったように、一度も、あった事がないの」

「ねえ、お母さんの話、して?」

 と、ルシが頼む。ジェーンが、微笑む。

「あの孤児院で、育ったんだけれど、姉さん、悪戯いたずらばっかりで、よく、院長先生に――、そう、あなたのお祖父さんに、怒られてたなあ」

 と、ジェーンが、遠くでそびえる孤児院の棟を見ながら言った。

「お母さんは、お転婆てんばだったのね?」

「私たち、孤児でもなくて、院長の子だったけれど、関係なく、怒られたなあ。いい教育方針だと思わない?」

 と、ジョーン。

「だから、私も、みんなと生活するのね?」

 とルシ。

「カスペリア家の伝統ね」

 そう答えるジェーンの口角が、微妙な形をえがく。

「……私は、ファウエル。顔も知らないお父さんの名前」

 ルシが、独りごちる。それが、会話の門の閉ざされた、孤独なひびきを含んでいる。

「最後、あなたのお母さんと会った時、あなたを抱えていたわねえ」

 と、ジョーンが、遠くを見ながら淡々と述べる。

「数年間、音信不通だったの。現われたと思ったら、あなたを抱えてた。ファウエル――、スペルのつづられた手紙が、おくるみの中で、挟まってたわ。その名前が、あなたの出生の、唯一の手がかり……」

 そこまで言って、ジョーンが黙った。涙をこらえているんだと思う。ルシは、悟った。そして、沈黙を守った。ジョーンは、明るく、気丈で、感情豊か。その豊かさを壊すことが、言葉だった。感情の舟をとどめるための、海底のいかりが、言葉だった。それは冷たく、沈黙すべきものだった。

「でも、あなたは、立派なカスペリア家の一員よ」

 ジョーンのふるえる声が、哀しみ一滴交えることなく、そう言った。

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オパールの目 @inugamiden

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