第二話 まだら髪

 マキリ衆、というのがある。

 魔斬り、つまり魔物を斬るという言葉が転じてマキリとなったとされ、やはり彼らの生業は世に蔓延っては人に仇成す、魔物どもの退治であった。

 人の身でありながら魔物を相手取る彼らの剣技は人の業を超えており、またその異様な出で立ちからも、人々はマキリに縋ると同時に恐れていた。

 噂には、マキリ衆の者どもは魔物の力を取り込む外法を持ち、その面と毛皮は外法によって恐ろしい異形になり果てた姿を隠す為のものなのだと。

 さて、件のマキリ、その中でもひときわ異端のまだら髪は八景らの思惑など知る由もなく、雇い主の好意ということで『村』の中ではそれなりに上等だと言われた飯屋で食事にあずかっていた。

 飯屋といっても、雨風が辛うじてしのげるかどうかというあばら家で、ほとんど外と変わらぬ有様。それでも腰を落ち着けて食えるだけ、やはり上等と言われるのだろう。

 面をつけたままで、異形の——彼のものは顰め面で牙をむいた紅い狒々の面であるが——それのすこし開いた口の隙間から覗く本物の口へ器用に箸で食物を運んでいく。この面というのは中々凝った造りで、顎が外れて口が開く仕掛けになっていた。

 がり、とういような音が口元からして、吐き出してみると小石が麦飯に混じっていた。

 特に驚くことではない。混じり気のない飯など、それこそ時の帝くらいしかお目にかかれない時代である。

 いや、今は帝でさえそうはいかぬか。

 本来、唯一無二であらねばならぬはずの帝か、この時代には二人いる。

 双方、我が正当なる帝なりとし、国は東西に割れ、あちらこちらで毎日のように戦が起こる。

 この時世が荒ぶ、最たる所以であった。

 当初こそ西の帝が優勢であったが、今はもっぱら東の帝の勝ち戦だ。西東の境では残党狩りと銘打った略奪で、まっとうな村々は酷い有様だと聞く。負け続きの西の帝など、案外ここと同じような食事しか口にしておらぬやも知れぬ。

 ここは東西の境より程遠いためにそういった話は聞かないが、明日はどうなる事やらと、やはり不安は尽きなかった。

 なにも、この話はマキリに無関係なものではない。

 マキリ衆はこの東西の戦に不介入を宣言し、また、人に脅かされるような軟弱者が居る筈もなかったが、しかし無関係ではいられなかった。

 御上が人同士の諍いにかまけている間に、魔物が増えた。

 戦で疲弊した国の守護たちに、魔物を間引く余力がない為だった。

 死ぬマキリも増える一方である。

 人は口々に言う。

 西の帝でも、東の帝でも、もうどちらでも良い。

 早う、戦の時代は終わってくれまいか。

 早う、どちらか死んでくれまいか——。

「……」

 まだら髪は小石を椀の傍に置いて食事を続けた。

 その面の奥は伺い知れぬ。

 他のマキリらは彼から少し離れた場所に固まって、やはりただ黙々と食事を続けていた。

 団子屋の男の言った、気味悪がられているというのは本当のようで、しかしそれは彼にとっては都合の良いことであるらしい。あるいは、まだら髪に近づこうという者がいたとするなら、彼の方から距離を置いただろう。

 奥のほうで飯盛り女たちが時折こちらに目をやっては眉を寄せ、こそこそと何やら話しているのが目に入った。見えていないとでも思っているのか、案外マキリの面は視界が広い。

 白髪の混じったまだらの髪に、大の男と比べるといささか低い身の丈、しゃんと伸びた背筋や、やけに落ち着き払って無口な態度。その上、面のせいで見えぬ容貌は彼を若者のようにも老人のようにも見せた。もっとも、老人と見る者の方が多いようだったが。

 否とも是ともいわぬ、なるほど確かに気味が悪い。

 そうまだら髪自身も思っていたし、それを正そうともしないのならば何を言われようと致し方ないだろう、とも思っていた。

 そう案じずとも食事を終えれば集団から離れる。この『村』に留まることもあるまい。そもそもが徒党を組まぬ変わり者だ。路銀が心許なくなったのと、行く先が途中まで同じであっただけでもとよりここで別れるという話だった。

 護衛の代金はすでにもらってあるし、本当ならばもうすでにこの『村』を立ち去っているはずであった。

 まだら髪が面の所為で手を付けられぬ菜っ葉の汁物を恨めし気に眺めていた時、不意に物音がして、向かいに誰かが腰を下ろした気配があった。

「ここ良いかい、まだらの」

「……」

 声を掛けて来たのは猪の魔物を模した面の、大柄なマキリだった。

 ふいと顔を上げた切り、まだら髪は何も言わなかったが、沈黙を了承ととったか、猪面のマキリはそこで飯を食い始めた。

「その狒々の面、あんた血被りの一派だろう。師は浜木綿だな? あの偏屈が弟子をとったとは聞いていたが、それが噂のまだら髪とはね。いやすまねぇ、他意はねぇんだ。ところであんた、皆と一緒に食わねぇのかい。まぁ、寄せ集まったって何を話すってこともないんだが」

「……」

 よく喋る猪面だ。

 まだら髪はまたしても無言で、水で炊かれた塩っ気のない小魚を、頭の方からばりばり咀嚼している真っ最中だった。

「なんだ、あんたも無口なたちか。弟子とは師に似るものだな。俺は血拭いの一派でな、師は大角殺しの情丸だ、知ってる名か?」

 訊いてもいないことをべらべらと、よくもまぁ相槌さえ返さぬ相手にここまで気さくに話し続けられるものである。

 大方、他のマキリに煙たがられて、ここへ追いやられてきたのだろう。まだら髪としてはたまったものではないだろうが。

 過酷な生業ゆえか、マキリの者は徒党は組めど寡黙な者が多い。気さくでひょうきんで朗らかなマキリなど、海月の骨も同じだ。

 海月には骨が無い。つまり、そんなマキリはいない。

 そんな海月の骨とばかり思われていたような人間が、今まだら髪の目の前にいる。

 とすればこのお喋りなマキリの男も、マキリ衆の中では変わり者ということになろう。

 兎角、孤独を信条とするまだら髪はこの猪面に辟易としたが、それに苦言を呈するのもまた面倒に思えて沈黙を通した。

 すると、沈黙それ即ち了承とする猪面は、さらに調子に乗る。

「そういやあんた、噂だぜ? いもしない魔物を探しているんだってなぁ。確か、確か……」

 話はいつの間にかまだら髪自身のことへと移っていた。

「ぬえ、鵺だろう?」

 己のこととなろうとも、まだら髪は口を挟むことはしなかった。それよりも一刻も早く飯を食い終えて、ここの席を離れることの方が優先だった。

 猪面は話に花を咲かせすぎていて、ほとんど口を付けていない飯が既に冷え切っていることに気付かないでいる。

「けったいなことだなぁ、アレは眉唾だろう」

 そう言ったところで、猪面は顎に——無論、面のだが——に手をやった。

「いやしかし待てよ。何処だったか、鵺を見たと言っていた者がいたような……」

 猪面の一人語りを聞き流すのみだったまだら髪が、その時ふと動きを止めた。猪面はまだら髪の様子に気付くことなく、己の心の赴くままにしゃべり続ける。

「確かなぁ、あれは西の村にオロチ退治に出向いた時。いや、南の山に猩々どもが出た時……。いやいや、都の化け猫退治の時だったか?」

 適当なもんである。

「……その話」

 と、そこでついに、まだら髪が声を発した。

 くぐもった声だ。

 マキリの者は面を被る為にこうしてくぐもって、男とも女ともつかぬ声になる。

「確かなのか」

 まだら髪が続けて問う。

 顔は見えずとも、猪面が面の奥で笑ったのが察せられた。

「やはり、鵺を探しているというのはまことか」

 その声は喜色を帯びている。

「いやはや嬉しいね。こうして答えてくれるとは。いい加減、おれはおまえの口が利けないのかと思い始めていたところだ」

 意外にも、一人語りの虚しさは感じていたらしい。だがまだら髪は、そもそもこの男の御託に付き合ってやるつもりは毛頭ない。

「そんなことは訊いていない」

 と、にべもなく斬り捨てた。

「わかっているとも。訊きたいのは鵺の話だろう。まぁそうがっつくな。何分、偶然小耳に挟んだだけのことだ。詳しいことなど何もわからんぞ? 今の今まで全く忘れていたくらいだからな!」

 と、何がそんなに得意なのか、猪面は溌溂と腕を組んでそう宣った。

「どこで聞いた話だ」

「ううむ。あれは確か……。あぁそうだ! 北の山を二つ三つ越えた先になぁ、咎落谷というのがあってな、確かそこで聞いたのだ。あぁ、おい! 何処へ行く」

 咎落谷という名が出たところで、既にまだら髪は腰を上げていた。

「おい、おいおい。おまえ、訊くだけ訊いておいて、それはないだろう」

 流石の猪面もこれには苦言を呈す。

 まだら髪は猪面の呼び止めに動きを止め、少し考えたあと、手を付けずにいた菜っ葉の汁物を猪面の方へ押しやった。

 これでいいだろう、と言わんばかりの態度に、猪面は面の中で苦笑する。

 汁物の椀を手前に引き寄せて顔を上げてみれば、もうそこにまだら髪の姿は影も形も無くなっていた。

「つれないねぇ……」

 猪面はそうぼやき、すっかり冷えて固まった麦飯に箸を伸ばした。

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