第9話 全ての色をぶちまけて②


「お待ちしていました、皆さん。お呼び立てしてしまい、申し訳ありません」



 相変わらずの、一面鏡の世界。小動物染みた動きで、白姫しろひめがペコリと頭を下げた。

 吹っ切れたような彼女の微笑に、どこか不穏さを覚える。



「聞かせて下さい、白姫」



 くれないの硬い面持ちに促され、白姫は頷いた。



黒姫くろひめの狙いは私――



「正史って……でもそれって、もう終わっとる世界やろ? そんなものを正史とした所で、同じ時間を繰り返し過ごすだけやんか。何でそないなことをする必要があるん?」



「――あの世界は『門螺かどにし 彩美あやみ』という存在にとっても、私達にとっても、生まれた意味だからです」


が、存在意義もぼんやりとしていた私達が――初めて明確な輪郭を持った世界にして、本当の意味で生まれた世界。私と黒姫はこの世界を『第1世界』と呼んでいます……紅さん達からすると、『第0世界』と表した方が正しいのでしょうか」



 ――この話は。



 彩美あやみはバクバクと脈打つ心臓を抑え、素知らぬ顔で山吹やまぶき難原なんばら兄妹に視線を投げた。

 さすがと言うべきか、彼等は一切の動揺も見せず、白姫に真剣な眼差しを向けていた。


 ……いや、むらさきは若干目が泳いでいる。


 飾らない素直さが彼女の良さなのだろうが、余りにも解りやすい。だから、紅のような性悪男に鎌を掛けられるのだ。兄の強かさを見習うべきとは思うが、あおは青で喰えない男なので、見習われてもそれはそれで面倒臭いのかもしれない。


 白姫の話の中心には『門螺 彩美』の存在があるものの、己自身のことではないため、彩美にはどうしても他人事だった。



「……それが俺達にとっての『第0世界』だというのなら、姫ちん達にとっての『第0世界』もあるんじゃないのか?」



 山吹が疑い深い口調で尋ねる。

 いつもはお茶らけていて真面目のまの字もないような男だが、『吾妻屋あづまや 山吹やまぶき』はこういった言葉の裏を暴くのに於いては一流だ。

 優秀な兄姉に囲まれその恩恵に与りたがる卑劣な人間達を見極めるために、培われざるを得なかった能力ではあるのだろうが。

 それが良いか悪いかは別として、今この時に於いて彼の慎重さはなくてはならないものだろう。



「……はい。山吹さんの仰る通り、私と黒姫にとっての『第0世界』も存在します。しかし、私達の『第0世界』は既に破壊されています――当の黒姫の手によって」



「……随分と、すんなり話すのね」



 紅が編入してきた日、そして並行世界の存在を知ったあの日。

 説明を求めた彩美をすげなくかわしたのは、どこのどいつだったかと顔を顰める。

 断じて根に持っている訳ではない。そう、断じて。



「――ここまで来れば、最早隠し立てする必要もありません。自ずと解ることですから。既に、私達の歯車は廻ってしまっているのです」



 ――毛髪同様、睫毛まで白いのか。

 憂いを帯びた顔で目を伏せた白姫を見て、第一に浮かんだ感想だった。


『門螺 彩美』にとっての生まれた意味。

 そして『願いによって生まれた』という白姫と黒姫。

 それが、彼女達の始まりである『第0世界』。


 一瞬何かを掴みかけた彩美だが続く白姫の言葉に気を取られ、朧気だったそれは瞬く間に霧散してしまう。



「そして私が今からお話しするのは、きたる黒姫との最後の戦いについてです。それは――」



 一切の憂慮を振り払ったかのように、迷いのない凛とした声音で――白姫は告げた。
















 自分の荒い息が煩わしい。

 ともすれば止まりそうになる足を叱咤して、無理矢理前へ進ませる。

 続く景色は闇、闇、闇。頭がおかしくなりそうだ。



「――っ」



 歪む視界を、セーラー服の袖で拭う。



『またな、彩美!』


『また明日、門螺はん』


『み~ちゃん、また明日な!』



 紫、青、山吹の、年相応の晴れやかな笑顔が浮かぶ。



『また会おう――彩美』



 最後の最後に、彩美の名を呼んだ紅。


 ――本当に、ろくなことをしない奴だ。


 立つ鳥跡を濁さず、綺麗さっぱり、目の前からいなくなってくれれば良いものを。

 余計な未練を残させて、どうする気なのだろう。次に出会うだろう紅は、彩美の知る『喜多見城きたみしろ くれない』ではないのに。


 戻りたい。彩美のいた世界『第34756世界』に。


 ――でも、もう戻れない。『第34756世界』は白姫の死によって失われる。


 だから、『輪廻りんね』を持つ彩美がここにいるのだ。

 黒姫が残した『第1世界』――彩美達からすると『第0世界』と呼ばれるここに。











「世界が廻る条件は『門螺 彩美の死』。または『白姫の死』。そして『喜多見城 紅の死』。大きくはこの三つとなります」


「しかし、彩美さんよりも紅さんよりも、白姫が真っ先に命を落としたら? そうして黒姫が唯一残した、既に終わってしまった『第1世界』に、未だ時を紡ぐ『第34756世界』の『門螺 彩美』が『輪廻』を持った状態で現れたら? ――これは今まで過ごして来た三万もの世界の中でも、一度も試したことのない大博打です。……それでも、やってみる価値はあると思います」


「私は皆さんの未来が見たい――たとえそこに、私がいなくても」



 黒姫との最後の戦いを目前に、白姫が提案したのは成功する確率も勝率も未知数の作戦だった。

 否、杜撰なこれを作戦と呼んで良いのかは甚だ疑問ではあるが。



「白姫、あんさんの言い分は解った。でも、口で言う程簡単じゃないんやないか? そもそもどうやって、黒姫が唯一残した『既に終わってしまった第1世界』とやらに行くん?」




「――私達の方から、黒姫に仕掛けます」




 白姫の随分と強気な発言に、彩美だけではなく紅達までも目を見開き、二の句が告げない。

 尋ねた青もこの返答はさすがに予想していなかったのか、唇を薄く開けて呆然としている。



「……それは、以前こちらの世界の門螺を黒姫が己の空間へと引き摺り込んだように、ということですか?」



 紅の問いに『第34755世界』の『門螺 彩美』と通じていると疑われ山吹に拘束された上、床に転がされて辛酸を舐めた嫌な記憶が甦る。


 反転した世界に彩美を引き摺り込んだ黒姫と、そこに割り入った白姫。

 拮抗した白と黒の世界から、彼女達の持つ力が同程度であることは明らかだった。



「その通りです。そして厚かましいお願いになってしまうのですが……私が黒姫を抑えている間、彼女にくみする者達の足止めを頼みたいのです」



「『第34755世界』の『門螺 彩美』と『柳田やなぎだ 悠陽ゆうひ』か……恐らくその二人だけではないやろな」



「『藤垣ふじがき 月夜つきや』も『第34755世界』では協力者だった。彼もまた、俺達の前に立ちはだかる可能性がある」



 眉を寄せ珍しく真剣な顔をする紫に、同意した紅が耳馴染みのない人物の名前を上げる。



「『藤垣 月夜』? 誰よそれ」



「……ああ、そうか。お前は今回、全く関わりがなかったな。彼はどこのクラスだ?」



「確か……六組やなかったかな。相変わらず大人しい奴や」



「苛められっ子は健在か~。どの並行世界でも『藤垣 月夜』はそうだから、ちょっと不憫な気はするけどな」



 思案げに答えた青に、山吹が嘆息する。

 どの並行世界でも大人しいが故に苛められっ子というのは、確かに不憫かもしれない。

 しかしそれを知っていても尚、紅達は『藤垣 月夜』を救おうなどと思わないのだ。いつぞやの世界線の報復とかそういう訳ではなく、本当に興味がないのだろう。


 彼等は並行世界に関わる当事者ではあるが物語の主人公ではなく、よってどこぞの漫画やアニメの主人公に有りがちなヒロイズムは持ち得ない。

 彼等の感性は、至って普通の一般人にしか過ぎないのだ。



「それと山吹さんには更にもう一つ、お願いがあるのですが……」



 心底申し訳なさそうな白姫に、山吹はきょとりと目を瞬かせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る