第9話 全ての色をぶちまけて

第9話 全ての色をぶちまけて①

 月曜日の早朝。

 今の時間帯はまだ運動部の生徒位しか登校しておらず、校内は随分ひっそりとしていた。

 早朝の、冷たさすら感じさせるしんとした空気は嫌いではない。

 早起きは三文の徳とはよく言ったもので、普段と異なる静けさは殊更特別なもののように思える。

 休日ならば喜んで読書に勤しんでいる所だが、生憎今はそんな場合ではない。


 くれないがそこまで得意ではない早起きをしてまで登校したのは、白姫しろひめと話すためだ。


 教室に鞄を置き、慣れた足取りでいつも出入りしている姿見を目指す。

 そうして無感動に鏡を潜り抜けた紅は、一面鏡に覆われた静謐の世界を音も立てずに歩んだ。


 ――いつ訪れても、ここは静かだ。


 黙々と足を進めていると、突如として開けた場所に出た。

 全面鏡に覆われた空間の中心に、巫女服の少女が一人立ち尽くしている。紅の存在に気付いていないのか、彼女は背中を向けたまま微動だにしない。


 無色透明な世界に白と赤のコントラストは鮮烈な印象を与え、人が触れてはならない神聖さすら感じさせる。



「――白姫」



 白姫が白髪をさらりと揺らし振り返った。

 真ん丸に開かれた赤には、困惑の色がありありと窺えた。紅がこの時間に訪ねて来たことが、余程珍しいのだろう。



「おはようございます。突然すみません」



「おはようございます。紅さんがこの時間にいらっしゃるのは、珍しいですね」



 白姫と紅は三万回もの世界を共に過ごしてきたが、彼女の見目が親戚の赤音あかねと同程度ということもあり、気を抜くと年下の少女に接するような態度になってしまう。



「俺がここに来た理由は、もうお解りですね?」



「……はい。お知りになりたいんですよね、黒姫くろひめの言った意味を」



「おや?」と紅は内心で首を傾る。

 白姫に、いつもの悲観的な様子が見られない。落ち着いて泰然自若としている様は、老成した雰囲気すら感じられる。



「……随分と、落ち着いていますね」



 胸の内に芽吹いた疑問は、無意識に溢れ落ちていた。

 白姫は、大人びた笑みを浮かべると首肯する。



「私がどうしたいのか、どう在りたいのか……決めましたから」



 その微笑みに、どうしてか見覚えがあるような気がした。

『第34756世界』ではなくどこか遠くの、数多に存在する並行世界の中で。



「白姫、貴女は……」



「――紅さん。今日の放課後に、またいらして下さいませんか? 他の皆さんにも、聞いて頂きたいんです」



 凛と響いたそれに、紅は出かけた言葉を呑み込む。そして真っ直ぐに己を見詰める赤に、気付けば引き込まれるようにして頷いていた。

 ほっと相好を崩した白姫は、いつも通りハの字眉の彼女に戻っていた。見慣れた様に、紅の表情も綻ぶ。



「……そうですか。貴女は選んだんですね」



「はい。私がここまで来られたのは、紅さんが、山吹やまぶきさんが、あおさんが、むらさきさんが――皆さんの存在があったからです」



「……貴女がどんな選択をしようとも、俺達は従います。この並行世界という事象に抗う術を与えてくれたのは白姫、貴女だ。――俺は、俺達は貴女に感謝しても仕切れない」



「そう言って下さるのですね……矢張、貴方は優しい人です。紅さんは、そして恐らくは他の皆さんも、『門螺かどにし 彩美あやみ』という存在だけが持ち得る『輪廻りんね』の特異性、世界が何故繰り返されるのかについて……正解に近い考えを、既に持っているでしょうに」



 紅は明言せず、微苦笑を浮かべるだけに留めた。

 そう。山吹達は、白姫だけではなく紅にも隠し通そうとしたが……紅とて三万回以上もの並行世界を繰り返せば、確信は持てずとも予想は出来る。



『輪廻』が発動する条件には『門螺 彩美の死』だけではなく、『喜多見城きたみしろ くれないの死』も織り込まれている。



 今まで繰り返してきた世界、その全ての記憶が紅の中にはあるが――時折虫に食われたように、ぽっかりとした空白の世界がある。


 そこは恐らく、『喜多見城 紅』そのものが存在しない世界。


 山吹達とて『輪廻』が『喜多見城 紅』の死もトリガーとしていることには、当然気付いているだろう。

 そして紅自身が持つ能力『因廻いんね』を使用した後のことを、山吹達が頑なに語ることがないのを踏まえると……自ずと答えは出る。


 だが彼等がそれを今の今まで当の紅に伝えてこなかった、その理由は――。



「――随分とまあ……我ながら甘やかされている」



「何か仰いました、紅さん?」



「いいえ……持つべきものは良き友だなと思って」



「――ふふ。それは、何よりも代えがたいものですね」



 眥を下げた白姫に笑い返し、紅は来た道を戻った。放課後になれば、必ず答えは得られる。ならば焦ることはないだろう。

 まるで永遠にも似た、三万もの世界を過ごして来たのだ。放課までのほんの数時間など、紅にとっては待つことにすら入らない。







「お。おはよう、彩美あやみ!」



 相変わらず朝から元気一杯な悠陽ゆうひに身振りを返してやりながら、いつもならばまだ空っぽのはずの席が、既に埋まっていることに目を見張る。



(喜多見城きたみしろ。いつもは、ホームルームに間に合うようなギリギリの時間にしか登校して来ないのに……珍しい)



 着席して静かに読書に勤しむ紅の姿は、朝の慌ただしさから解き放たれ、一人別世界にいるようだ。

 全身包帯塗れの奇異な見た目だが、顔の造作が整っているのは包帯越しにすら解るため、幾人かの女子生徒がちらちらと熱い視線を送っている。

 その熱視線の中には真面目で大人しいタイプの女子のものもあり、「あれは本気のヤツね」と確信する。



「何なに、彩美。喜多見城をじっと見ちゃって。やっぱり気になるんじゃん?」



 ニヤニヤとした笑みを浮かべる悠陽に鼻を鳴らし、「別に……何を読んでるのか、ちょっと気になっただけよ」と答える。

 紅を見ていたことは確かなのでそう付け加えると、悠陽がうんうんと頷いた。



「あ~。彩美も、結構本好きだもんな。喜多見城の部屋、本たくさんありそう」



 ――実際、壁を埋め尽くすレベルでたくさんあった。


 しかしそれを言うと「何で知ってるんだ? まさか家に……!?」という展開になるのは目に見えているため、彩美は曖昧に濁すだけに留める。

 本の世界に没頭しているのか、紅が彩美達の会話に反応することはなかった。











 四時間目が終わると、教室の空気が一気に賑やかなものへと変わる。

 彩美の席の近くに集まって昼食を取り始める女子グループを横目に、弁当箱を取り出そうとスクールバッグに手を伸ばす。



「――門螺かどにしさん」



 教室内が一瞬静まり返り、クラスメイトの興味津々といった視線が彩美に突き刺さった。



「……何?」



「社会科の先生が呼んでたよ。日直の君に、手伝って欲しいことがあるんだって」



 にっこりと笑みを浮かべる紅におざなりに礼を伝え、席を立つ。

 後を付いてくる彼に訝しげな顔を向けると、「手伝うよ」と善意百パーセントといった微笑を向けられた。

 妬みの籠ったねっとりとした視線を背中に感じて、彩美は『紅の申し出を断る』という選択肢を即座にゴミ箱に放り捨てた。この視線の持ち主達を敵に回せば、噂を立てられるに違いない。



「そう、ありがとう。助かるわ」



 紅に対抗するように、彩美も微笑んでやる。若干口の端が引き吊った。

 紅と連れ立って教室を出ると、背後でクラスメイト達のざわめきが戻る。……悠陽が上手いフォローをしてくれていることに、期待するしかない。不安しかないが。



「門螺。放課後は空いてるな?」



 予定を伺っているというよりも確認の意味合いが強いだろう疑問符に、彩美は眉を寄せた。



「すまない、教師が呼んでいるというのは嘘だ」



「――アンタのそういう所、本当に嫌。それで用件は何?」



 彩美達の会話は、昼休みの喧騒に紛れる。

 並行世界などという非現実的な話をしているというのに、彩美を取り巻く日常には目に見えた変化がない。そこに住まう彼等も、いつも通りの日常を享受している。

 異質なのは自分達の方。それをまざまざと感じた。



「白姫が呼んでいる。放課後、一緒に来てくれ」



「……私を呼んでるのは嘘じゃないのね。教師じゃないけど」



「根に持つな」



 苦笑する紅にこれ見よがしに鼻を鳴らし、彩美はつんけんどんに「話はそれだけ?」と返す。

 紅の顔を見ていると『第1世界』の『門螺 彩美』と『喜多見城 紅』の話が脳裏を過る。一言で言って気不味い。



「――もしかして、山吹達から何か聞いたか? どこかの世界の『門螺 彩美』と『喜多見城 紅』に関する話を」



「な……にを」



 確信めいた口調で告げられたそれに、彩美は言葉を失った。

 そしてやってしまったと即座に頭を抱えた。これでは自ら白状してしまったようなものだ。

 動揺を露にする彩美に、紅は可笑しげに目を細める。



「紫と同レベルだな。朝会った時に様子が変だったからアイツにも鎌をかけたんだが……青に睨まれてしまった」



 快活な紫の顔を思い浮かべ確かに嘘は吐けなそうだと納得し、彼女と同程度と称されたことに幾ばくかの屈辱を覚える。



「どこの世界の俺達の話を聞いたのかは知らないが……まあ良い。いずれ、並行世界などというしがらみは失われるのだからな。黒姫の言った通りに」



「――アンタは……アンタ達はそれで良いの? この並行世界が誰かの思惑によって作り上げられ、ここまで繰り返してきたのだとしても……そこにあったアンタ達の感情は本物でしょ? 失くなるのよ。今まで積み上げてきたもの、全てが。世界が失われるって、そういうことじゃないの」



『第1世界』の『門螺 彩美』に想いを寄せていた『我妻屋あづまや 山吹やまぶき』。

『第1世界』から今まで、『門螺 彩美』という存在を救おうと愚直に手を伸ばし続けていた『喜多見城 紅』。


 それをそんな、いとも簡単に放り投げるような口調で片付けて良いのか。




「……そうだな、そうかもしれない。だが最早、俺達にとっての世界の崩壊は、僅かな眠りに就くようなものでしかない。『人間は夢を見ることができる唯一の生き物である』。だから少しの間だけ、眠ることにするよ。……だがお前は、お前だけは」


「――どうか生きて、見届けて欲しい。この世界の結末を。恐らくは白姫も、それを望んでいる」




 彩美と紅の傍らを、女子生徒達が通り過ぎて行く。

 話が盛り上がっているのか、甲高い笑い声が姦しい。それは彩美と紅、二人だけが存在する隔絶された世界を壊すのには、十分だった。



「――ああ。『彩美さん』……あの時の君も、こんな気持ちだったのか」



 頑ななまでに彩美を『門螺』としか呼ばない紅が、彼女の名を口にした。

 しかし紅の言う『彩美さん』が、目の前の彩美でないことは明らかだった。紅の瞳は眼前の『門螺 彩美』――彩美のことを、一片足りとも映してはいない。

 その代わりアルバムに目を通すかのように、過去の『門螺 彩美』に想いを馳せていることにつきりと胸が痛んだ。



「それじゃあ門螺。放課後、忘れるなよ」



 再度繰り返した紅は、そう言い残すと彩美の前から去って行った。

 真っ直ぐ屋上に向かうのだろう。数日共に過ごし、彼の行動が何となく解るようになってしまった己が悔しい。

 適当に返事をし、彩美は教室に戻る。とんだ無駄を食った。


 彩美の歩調がどんどん早足になる。

 紅の口振りから彼等が、白姫がどういった選択をするのか、嫌でも理解できてしまった。


 彩美の持つ『輪廻』という力が彼等の運命を玩んでいるというのに、彩美は『門螺 彩美』の記憶を持たないが故に当事者には成り得ない。

 深い悲しみから忘却を選んだ『門螺 彩美』を勝手だと思い、紅達と共に在れないことに、ほんの僅かな寂寥を覚える。




「捨てる選択をしておいて……これもアンタの感傷なのかしら『門螺 彩美』。本当、私もアンタも喜多見城達も――皆、身勝手ね」



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