奈落に沈む君を追って④

 姿見から出るとそこに並行世界の彼等の姿はなく、煙のように消えていた。その痕跡すら残ってはいない。

 くれないの困惑等気にも留めず、山吹やまぶきはさっさと歩んで行ってしまう。

 どうやら、律儀に正面玄関まで送ってくれるつもりらしい。しかし彩美あやみと紅が対面した時以降、山吹の態度にどこか刺のようなものを感じる。

 だが、彼がそれを直接口にすることはない。



「……吾妻屋あづまや君、送ってくれてありがとう。君も用事があるだろうから、ここまでで大丈夫だよ」



「――お前、彩美さんとは知り合いか?」



 礼の言葉などまるで無視して、山吹が紅を上から下まで余す所なく見定める。

 その量るような視線が癪に触ったが、並行世界とやらの者達から守ってもらった手前、何とか穏便に済ませようと努めた。



「いや。彼女とはこの学校に入学してから、合同授業で会ったのが初めてだよ。それは彼女と同じクラスの君も、知っているんじゃないかな」



 ……結局、煽るような言い方になってしまった。

 山吹がぴくりと片眉を跳ね上げたのに、嫌な汗が溢れそうになる。

 いつもの紅ならば波風立てずに穏やかにやり過ごすものを、どうしてこんなにも彼の態度に苛立ちを覚えるのか。


 ――『門螺かどにし 彩美あやみ』と親しげにする山吹に、嫉妬心を抱いているのか?


 ふと、そんな突拍子もない考えが浮かぶ。

 確かに、彼女は今まで紅の周りにいなかったタイプの女性だ。

 まるでロボットかのような、人間味に欠けた硬質な雰囲気は紅の気を引いた。だがそれだけだ。

 周りにいないタイプの人物だから、その物珍しさから彩美が気になっている。それだけに過ぎないはずだ。



「じゃあ、何で彩美さんはお前を気にかけるんだ」



「知らないよ。そんなの、本人に尋ねれば良いじゃないか」



 何故、親しくもない山吹と恋バナをしなければならないのか。

 紅からしてみれば、むしろそんな話を振ってくる山吹の方が謎だった。



「――彼女は答えないさ」



「なら、僕に聞いた所でも一緒だろう」



「……お前、ムカつくんだよ。彩美さんは、お前が並行世界に関わらないよう陰で動いていた。彼女にそこまでさせるお前の存在は、一体何なんだ? どこかで縁があるのかと思ってもいたが小、中学校の学区も異なるし、かと言って親しい訳でもない」



『紅が並行世界に関わらないよう動いていた』。彩美がそうする理由は何だと言うのだろう。

 今まで話したことすらなかった紅に対し、そこまで心を砕く理由は?


『門螺 彩美』――彼女の存在に、俄然興味が沸いた。


 紅の変化に気付いたのだろう。山吹が聞こえみよがしに舌打ちをしたが、本好き故の知識欲を刺激された紅に、そんな嫌味は大した意味を持たなかった。



「君とは――君達とは長い付き合いになりそうだね。よろしく、吾妻屋君」



 紅としては今度こそ皮肉の籠っていない、心からの歩み寄りだったのだが……山吹は先程よりも苦々しい顔で舌打ちを溢した。












「――門螺さんはいるかな?」



 翌日の昼休み、紅は隣のクラス――門螺 彩美と吾妻屋あづまや 山吹やまぶきのいるクラスに突撃した。

 教室の出入り口近くに座る女子生徒にそう声をかけ、お目当ての人物を呼び出してもらう。



「……何でしょう、喜多見城きたみしろ君。私に何か用ですか?」



「ちょっと話せないかな――昨日のことで」



 彩美を呼ぶという一仕事を終えた女子生徒が、仲の良い女子グループに交ざりながら、こちらを興味津々といった様子で窺っている。


 その視線の煩さがどうにも気になり、紅は我ながら大胆ではあるもののそう切り出した。

「ちょっと話せないかな」は告白劇の始まりの常套句でもあるのだが、読書のジャンルがかなり偏っている紅には、如何せん理解し難い機微でもあった。

 それ程大きい声で話していた訳ではないが、聞き耳を立てていたのだろう女子生徒達が、興奮したように囁き出す。



「……解りました。屋上でも良いでしょうか?」



 さすがの彩美も女子生徒達の好奇心旺盛な熱い視線に耐え兼ねたか、紅の申し出を淡々と受け入れる。

 頷く紅の視界の隅に剣呑な顔付きの山吹が映ったが、彩美に促され、颯爽と屋上に向かう彼女の後を追った。

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