奈落に沈む君を追って③
「……
隣のクラスの
隣のクラス故に合同授業等で一緒になることがあるため、彼女のことは知っていた。
いつも能面のような顔をした、物静かな少女。
彼女が誰か友人といる所を見たことがない。
年頃の少女が気にするだろうお洒落には無頓着なのか、毛先が整っていない明るい黒髪は肩口辺りでバッサリと切られ、更に傷んでいるのかパサついていた。
彩美は無感動な瞳で紅を一瞥すると、山吹を見上げる。
「――どうして、彼をここに?」
「現場を見られたのと、あのまま放っておけば『並行世界』の連中に殺されそうだなと判断したまでだ」
「……把握しました。なら、仕方ありませんね」
まるで、機械とのやり取りを聞いているかのようだ。
山吹は兎も角、彩美も間違うことなく人間であるはずなのに。
抑揚のないそれは、どこかロボット染みている。表情が一切変わらない彩美の顔からも、妄想とは切って捨てられないようなリアルさがあった。
山吹と彩美、二人のやり取りが理解できず、紅はその場に立ち尽くすしか出来ない。
目線だけで周囲を伺っていると、黒い制服の彼等に囲まれて
中学生位だろうか。
真っ白な毛髪に、赤い瞳。日本特有の品種である兎のようだ。
困ったように眉を下げる少女から伝わって来るのは気弱さだが、しかしこの場にいる時点で、普通の少女ではないことは解り切っていた。
少女と紅の目線が重なると、彼女は微かに眉根を寄せた。
「矢張、こうなってしまいましたね……彩美さん」
「廻ってしまったものは、もう戻せない。ならば新たな選択肢を取るまでです。
頷いた少女――白姫が、紅との距離を詰める。
一歩一歩ゆっくりと歩み寄る彼女に、紅は無意識に半歩足を引いていた。
少女が持つには、どこか圧がある存在感。
白姫もこの鏡に覆われた世界同様、紅如き子供の矮小な考えになど、理解しきれぬものなのだろう。
白姫がもおもむろに紅の手を掴むと、それを起点として白く目映い輝きが生まれた。握り締めた細く華奢な手を通じ、何か温かなものが紅の中に入り込んで来る。
強い視線を感じて顔を上げると、彩美が先程とは打って変わって労るような目を紅に向けていた。何か、不確定要素があるのだろうか。
それよりも、突然手が光ったのは何だったんだろう。首を捻る紅に答えたのは白姫だった。
「――『
「しかし使い方を間違えれば、貴方に訪れるのは死――忘れないで下さい。世界は廻る。カラカラ、カラカラ。糸を紡ぐように、まるで風車のように。でも『この世界』の『貴方』は貴方一人です……どうか、それを忘れないで」
憂いた瞳が、切実な色を持って紅を射抜く。
抽象的なそれを全て理解することなど出来るはずもなく、そもそも『因廻』などという拗らせたどこぞの子供が考えそうな、そんな馬鹿げた能力など信じられる訳がなかった。
――そんなものを勝手に授けられても困る。
不満げな様子が顔に出ていたのか、白姫が申し訳なさそうに頭を下げるのにばつが悪くなった。
親戚の
怒気を収め、なるべく冷静な口調で問い掛けた。
「……質問しても良いかな?」
「どうぞ」
答えたのは彩美だ。
「『並行世界』と言うからにはこの世界と良く似た、しかし全く別の世界線の話なんだよね? 道中僕と吾妻屋君を襲って来たのは、この学校の制服を着た生徒達だったし、中には僕も知っている顔がいた。君の言う『並行世界』はこの学校を起点としていて、彼等は何らかの目的を持った上で……えっと、白姫さん? の言う『この世界』――謂わば僕等が今生きている世界とでも言い換えるべきか――に、やって来ている。ここまでは合ってる?」
「……肯定します」
彩美が首肯した。
山吹の目が微かに見開かれる。少しだけ胸の透く思いだった。
突然のことに驚いていたのは事実だが、紅とてただただ言われるが儘に付いて行った訳ではない。
逃げ回りながらも、思考だけは止めていなかったのだ。
「そう、なら良かった。それじゃあ、彼等の目的は何?」
「そうですね……『未練』とでも称した方が良いのでしょうか。――いいえ、正しくは『帳尻合わせ』の方が正しいのでしょう」
「『未練』?『帳尻合わせ』?」
彩美が何を言っているのか、紅には見当も付かない。
彼女は紅の問いには答えることなく、困ったように小首を傾げる。その動作すら事前にプログラミングされた動きのように、完璧なタイミング、角度で行われた。
「彼等は彼等の物語を紡いでいるだけです――『この世は舞台、人は皆役者だ』。そう、戯曲の登場人物のように」
彩美は一度口を閉ざすと、切なげに目を伏せた。
そして微かに呟く。
「『人は所詮、記憶の奴隷』――当然、私も」
「――全て、シェイクスピアの作品に出て来る台詞だね。好きなの?」
「ええ――とても」
その時彩美が浮かべた微笑みは唯一、人間味を感じさせる優しいものだった。
しかし彩美がそのような人間らしい表情を浮かべたのはほんの一瞬のことで、彼女は直ぐにいつもの無表情に戻ると、淡々と言った。
「申し訳ありませんが、喜多見城君。しばらくは私達と共に行動してもらいます。『因廻』の能力で勝手をされては困りますので」
「監視ってこと?……一応、僕は君達に巻き込まれた側なんだけどな」
精一杯の皮肉を発するが、彩美には響くことがなかった。
「『因廻』は、並行世界が関わる全ての事象を引き寄せることができる。物事だけではなく、それは怪我なども同様です。並行世界の相手から受けた他人の傷すら、認識を歪め己の身体へと移すことが可能なのです」
「――貴方に死なれては困ります」
真剣な瞳にまんじりと見詰められ、紅は言葉に詰まった。
荒唐無稽な話だというのに、彼女の真摯さがそれを嘲ることを許してはくれない。
「……君はとても簡単に、死という言葉を口にするんだね」
「そうですか?……いえ、そうでしょうね。私自身、経験済みですから」
「それは、どういう……?」
彩美はその問いには答えず、難原兄妹達へ視軸を向けた。
目線一つ取っても、矢張ロボットのように正確だ。
「外はどうなりましたか?」
「……同士討ちで幕を閉じたみたいだ。吾妻屋、もう少し『
「無茶言うな。俺に百科辞典でも読めって言うのかよ」
「刃物の種類だけ増やしたらいいんじゃないか?」
「日本刀、偃月刀、シャムシール……ってか。世界史の教科書を漁った方が早かったりしてな。難原達こそ、物理攻撃の手数を増やしたらどうだ? 空手とか、柔道とか」
「俺はもう実践中だよ」
「
「何でそのチョイス……」
まるで、新作ゲームの攻略を話しているかのような気軽さだ。
彼等との温度差に、強い違和感を覚える。
紅がおかしいのか。それとも彼等とは、住む世界が違うのか。
しかし『因廻』という理解できない力を渡されてしまった以上、紅も彼等の関係者――共犯だ。
だからこそ、紅は問わずにはいられなかった。
「『因廻』だっけ……どうしてこの力を、僕に? 僕はただ巻き込まれた、ただそれだけだろう?」
「――いいえ」
やけに人間味を帯びた、強い否定だった。
「貴方も登場人物の一人。『因廻』を持つのに、貴方程相応しい人はいない。この物語も、貴方がいなければ始まらない……でも、出来ることなら巻き込みたくはなかった。これだけは、どうか信じて欲しい」
「『登場人物』ね……傍迷惑な脚本を書く人もいたものだ」
紅の呟きを耳にして、彩美がうっすらと苦笑のようなものを浮かべた。
「本当に、全くその通りです。独り善がりな、とんだ戯曲もあったものです。――まるで道化のよう」
彩美の視線が、ここではないどこか遠くに向けられた。
一体どこを見ているのか。読めないそれに、紅は苛立ちにも似た胸のムカつきを覚えた。
それと同時に、『門螺 彩美』の人形染みた在り方が無性に気になった。彼女の視線の先に、その答えがあるのだろうか。
――不思議な少女だ。
同世代の女子生徒達と比べ、彩美はまるで大人びている。
老成していると言い換えても良いのかもしれない。彼女に関わる山吹や難原兄妹も、他生徒よりは子供らしさに欠けるのかもしれないが……そういうものとはまた違う。
今まで数多の本を読むことに時間を費やしてきたというのに、彼女を表す上手い言葉が見付からない。
「――彩美さん。『話はお仕舞い』で良いか?」
割って入った山吹の問い掛けに、彩美の唇が今度は紛れもない微笑を形作る。
「『ハツカネズミがやって来た』……ふふ。粋な尋ね方をするのですね、吾妻屋君。『クリック? クラック!』――私の物語自体は始まったばかりなのですが、この場は『お仕舞い』と言って差し支えないでしょうね」
彩美は誰にともなく語ると「吾妻屋君、喜多見城君を送って頂けますか?」と、再び温度のない平坦な声音で言った。
頷いた山吹が促すのに、紅は彼の後に慌てて追従する。最後に振り返った彩美は白姫と何事か話しており、紅のことなど全く見向きもしなかった。
唯一目が合った
――訳の解らないことだらけだ。
門螺 彩美、白姫、
夢ならば良いのに。
紅はいつも通りに帰路に着き、バスの中でついついうたた寝してしまっただけ。
帰宅すると父の好物である、母お手製の鯖の味噌煮が待っていて、近所に住む親戚の少女、赤音が遊びに来る……そんな穏やかな白昼夢であったなら。
山吹の案内に従い、まるで鏡地獄のような非日常的空間を抜けながら、細やかな日常に思いを寄せた。
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