奈落に沈む君を追って②


「――よくやった、吾妻屋あづまや!!」



 凛とした少女の声が生じる。

 くれないの背後――姿見の中から。



「「合技あわせわざ――『壺中夢幻回廊こちゅうむげんかいろう』」」



 姿見の中から狐耳を生やした男女が現れたかと思うと、彼等を起点として空間が歪む。

 すると対峙していた五人の生徒が一瞬動きを止め、突然同士討ちをし始めた。

 彼等は紅達の姿など一切目に入っていないかのように、お互いを傷付け合う。



「一体何が……?」



「幻覚だよ」



 心からの安堵に、紅は呆然と座り込んだ。

 そんな彼の独白にも似た呟きに答えたのは、鏡から抜け出して来た少女。恐らくは先程の声の主。

 続いて彼女と同じ顔を持つ男子生徒が、当然の顔をして鏡の中から現れた。


 難原なんばら むらさき難原なんばら あお

 学年でも有名な双子だ。主にその美形さが。


 青は紅の存在に気付くと、目を丸くした。



「『喜多見城きたみしろ くれない』? 何でこここに……」



 何故、彼等は紅をフルネームで呼ぶのだろう?

 語呂が良いのだろうか。


 ――いや、そんなことよりも。



「……この人達はどうするの?」



「このまま同士討ちしてもらうさ。俺も貰ったばかりの能力を使いこなせてないし、難原達が使役する狐も攻撃力皆無だからな」



 あっさりとそう口にした山吹が、姿見に近付いて行く。

 彼は持ち上げた腕を鏡に伸ばすと、指先を鏡面に触れさせた。


 ――次の瞬間、山吹の指先が鏡の中に沈んだ。


 有り得ない光景に、紅は今度こそ絶句する。難原兄妹が鏡から現れたのは、矢張現実だったのだ。



「あたし達のこと、教えちゃって良いのか? 巻き込むなって話だっただろ?」



「見られたものはどうしようもないしね。むしろ事情を教えて、こちらにくみさせた方が俺達にとっても良いんじゃないのか? 戦力は足りてない訳なんだし」



「あたしは、喜多見城が強そうには見えないけどな。見るからに筋肉なさそうじゃん?」



 同じ顔が繰り広げる訳の解らない会話(後半が悪口ということだけは解った)に、紅は一人取り残される。

 双子は結論を出すことなく、山吹を顧みた。彼等の中では、山吹がリーダー格的存在なのだろう。



「取り敢えず、彼女に聞いてみようぜ――行こう」



 鏡に身体の半分を沈み込ませた山吹が、一片の未練も見せずに足を踏み出した。騙し絵でも見ているかのようだ。


 そして、彼の姿は鏡の中に完全に吸い込まれた。


 鏡面を揺るがす微かな波紋だけが、山吹が確かに存在していたことの証明だった。



「ほら。君も行くんだ」



「怖いなら、あたしが手を握ってやろうか?」



 善意百パーセントだろう紫の台詞に、紅は素早く首を振った。

 彼女の兄、青のチクチクとした視線が痛かったのだ。

 それに、女の子の手を握るのは普通に恥ずかしい。


 紅は姿見へと手を伸ばした。

 幾ら矯めつ眇めつしても、ただの鏡だ。

 しかしこれが山吹を呑み込み、難原兄妹達が出入りしていたのも事実。


 ――戻って来られなくなるかもしれない。


 それは文字通りか、それとも紅の直感が告げる予感めいたものだったのか。

 恐る恐る伸ばしていた腕が、鏡面の直前で止まる。


 ……怖い。この先に何が待っているのだろう。


 その時。鏡の向こう側から学ランに包まれた腕が現れ、紅の腕を引っ張った。

 心の準備すら出来ないまま、あれよあれよと鏡に引き摺り込まれる。

 声すら上げる間もない紅を襲ったのは、一瞬の浮遊感だ。



「うわ……!」



「何びくびくしてんだよ、早く来い」



 腕を掴む狼藉者――呆れた様子の山吹と共に、紅は下へ下へと降りて行く。


 ようやく足が着いたそこは、やはり鏡のように透明な場所だった。


 御上りさんのように忙しなく辺りを見回す紅を置いて、山吹はさくさく歩んで行ってしまう。

 後からやって来た難原兄妹が、立ち止まる紅を軽やかな足取りで追い抜かして行った。

 遠ざかる彼等の背に、紅も仕方なく歩き出す。


 凪いだ海にも似た静謐が乱れ、足元に幾つもの波紋が生じる。

 しかし、中履きが濡れている様子はない。

 不思議な場所だ。紅の、いや。人間の人智など遥かに越えた、そんな場所なのかもしれない。


 紅の動きに伴い、周囲が薄明かるくなっていく。センサーライトでも設置されているのだろうか。

 すると突如として空間が開け、一等明るい場所へと辿り着いた。


 そこには先行していた山吹、難原兄妹と――。



「――君は」



 紅の誰何すいかに少女が学校指定の黒いプリーツスカートを揺らし、振り向いた。

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