第1世界 奈落に沈む君を追って
奈落に沈む君を追って①
遠くから吹奏楽部の演奏が聴こえる。これは『ラデッキー行進曲』か。
跳ねるようなリズムに、少しばかり気分が上がる。音楽の才能など一欠片もないが、ノリの良い曲は好きだ。
「手伝ってくれてありがとう、喜多見城君。助かったわ」
「副委員長なんだから当然だよ。むしろ椿下さんの方こそ部活があるんだから、僕に全部任せっきりでも良かったんだよ? 吹奏楽部、定期演奏会が近いんだよね?」
「こういうのも見越した上で学級委員に立候補したから。自分のことには責任を持たないとね」
星羅は男女問わず物言いがキツいため、他クラスの生徒からは恐がられているように見受けられるが、関わってみると世話好きで責任感が強く、紅としては好人物だった。
まあ、この真っ直ぐさが気に食わないという者もいるだろうが……それは人それぞれだろう。
「星羅さんって、楽器は何を担当してるの?」
「テナーサックスっていう、こういう形をしたやつなんだけど……喜多見城君、知ってる?」
『こういう形』とジェスチャーで示す星羅の動きが面白く、ついつい笑みが零れた。
真面目な彼女の、意外な一面といった所か。
「テレビで観たことがあるよ。ジャズとかで、首に紐を掛けて演奏する楽器だよね。あれ重くないの?」
「重いよ。集中してると肩が凝っちゃう! ……でも楽しいのよね」
「熱中できるものがあるのって素敵だね。羨ましいな」
「そういえば、喜多見城君は部活に入ってなかったわよね。運動も苦手って訳じゃなさそうなのに」
「うーん……本を読む時間は削りたくなくて」
「ふふ、喜多見城君らしい。いつも図書室にいるものね」
そうなのだ。
この学校に入学してから『紅=図書室』の図式が出来上がってしまい、クラスメイトで休憩時間に紅に用事がある者は、皆まず初めに図書室に行くようになってしまった。
かなり低い確率だが教師に用事があったり、委員会があったりなどで図書室にいない時は、逆に「どこに行ってたの?」と心配されることもしばしばだ。
一度読書に集中し過ぎて授業に遅刻してしまって以来、紅はどこか抜けている人物というイメージが定着してしまったらしい。大変遺憾である。
「――よし、こんな感じで良いかな」
アンケート用紙を纏め終えると、星羅がシャープペンシルを机の上に置き、ぐっと伸びをした。
「これは、僕が職員室に持って行くよ」
紅はプリントを回収し、机の上を片付けて帰宅の準備を始めた。
申し訳なさそうにしていた星羅だが、紅が強めに「任せて」と言うと、渋々といった様子で頷いた。
『ラデッキー行進曲』が流れている間、彼女がそわそわと窓の外を伺っていたのには、紅も当然気が付いていた。
口では何と言おうとも、早く部活に参加したいに決まっている。
「ありがとう、喜多見城君」
「ううん。部活、頑張ってね」
嬉しそうに教室を出て行く星羅に、紅は良いことをしたと気分良く立ち上がった。
現在の時刻は十六時半。この時間のバスはあっただろうか……リュックサックを背負い、無人の廊下を進む。
いつの間にか、吹奏楽部の演奏は最近よく耳にする流行りの曲に変わっていた。
定期演奏会には同じ学校の生徒や保護者だけではなく、近隣の高校の者達や地域の人々も来場する。彼等にも取っつき易いよう、ポップな曲も入る演目となっているのだろう。
「これ、何のドラマの主題歌だったかな……母さんが観てたような気がするんだけど」
ふと洩らした呟きが、廊下に響いた。
運動部に所属している生徒が多いこの学校は、放課後になると校内は静かなものだ。いつもならばホームルームが終わると即座に帰路に着く紅にとって、放課後の静寂は酷く新鮮だった。
(先生、席を外しているといいな。捕まると話が長いし……)
担任の不在を願いつつ、職員室に向かう。
廊下の角を曲がろうとした――その時。
紅の眼前を何か黒いものが過り、大きな音を立てて壁に叩き付けられた。
「いっつつ……クソ、使いこなせねぇ……不便な能力だな、これ……!」
黒いなにか――
その顔に見覚えがある。
一年三組の生徒、
接点はないが、彼の堂々とした校則破り――目立つ金髪とピアスに、紅は呆れると同時に、尊敬にも似た念を抱いていた。
そんな山吹が、何故紅の目の前に吹き飛ばされて来るのか。
「……吾妻屋君?」
思わず洩れた紅の呟きに、山吹が顔を上げた。
絡み合った視線に、彼は顔色を変える。
「『喜多見城 紅』!? 何でここに……!」
副委員長という以外、控え目に言って目立つタイプではない紅のことを何故認識しているのか。
そして何でフルネーム等と思う所は多々あったが、それを突っ込む前に腕を強く引っ張られた。
「こっちだ!」
尋常ではない山吹の様子に、紅は言われるがままに付き従う。
すると今まで二人がいた場所に、クロスボウの矢が突き刺さった。
物音に振り返った紅の目に映ったのは、どこか見覚えのある男子生徒がクロスボウを構えている姿だった。
「くそっ、もう追い付いて来やがった……!」
廊下を駆け抜け様、幾つもの窓硝子を通り過ぎた。
紅達が通った後を追い掛けるように、硝子に波紋が生じる。
今日は雲一つない秋晴れだったというのに、まるで雨でも降っているかのようだ。
「――君、彼に何かしたの!?」
若干上がった息を抑え、駆ける山吹の背中にそう問い掛けた。
「何で俺がやったのが大前提なんだよ! つーか、口より足を動かせ――っと、危ねぇ!」
山吹が血相を変え、掴んだ紅の腕諸とも体勢を低くした。
まるで操られるマリオネットの如く、紅は彼の動きに同調する。
そんな二人の頭上を、クロスボウの矢が風を切って通り過ぎた。
「一体何をしたら、あんなに怒らせることが出来るんだ……!」
「だから違うって!」
気付けば、そこは行き止まりだった。
廊下の突き当たり。高校創立時に寄付されたという大きな姿見が、泰然と構えている。
鏡に映るのは厳しい顔付きの山吹と、間抜けな表情を晒している己の顔。
『何が起こっているのか、全く見当も付きません』という心情が丸解りである。
追っ手は、いつの間にか数を増やしていた。
山吹を追っていたクロスボウの男子生徒だけではなく、手斧を持った女子生徒、釘バットを持った男子生徒……思い思いの武器を手にしたこの学校の生徒達が、五人――紅は固唾を呑んだ。
こんな事件性を感じさせる現場に、どうして自分が居合わせているのか理解不能だ。
百歩譲って山吹が彼等を怒らせたことが原因だったたとしても、さすがに度が過ぎている。これでは一方的な暴力、
(これじゃあ四面楚歌だ。しかもここは二階、飛び降りるにしても……!)
「――吾妻屋、どうするつもり?」
山吹が目を瞬かせた。
紅に認識されていたことが、余程衝撃的だったのだろう。その気持ちは、十二分に慮ることが出来る。先程の紅と同じだ。
不良然とした見た目の彼が、紅のことを知っているとは紅自身思ってもみなかった。全くタイプの異なる二人だ。普通ならば興味の『き』の字すら湧かないだろう。
「――副委員長サマ、アンタに名前を知っていてもらえて光栄だよ。心配しなくとも、これで詰みだ」
それは山吹を含めた、紅達の命運のことだろうか。
男子生徒が、クロスボウを構えた。
矢鱈と様になっているそれに、「ああ、隣のクラスのアーチェリー部の生徒だったかな」と合点がいった。
今更それに気付いたとして、もう遅い。
――黒々とした矢が、クロスボウから放たれた。
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