第7話 落ちる、色

第7話 落ちる、色①


 柳田やなぎだ 悠陽ゆうひは焦っていた。


 昨夜はついついバラエティー番組に現を抜かしてしまい、夜更かししてしまった。

 いつもならばすっきり起きられる健康優良児なのだが、日頃規則正しい生活を送っているためか想像以上に寝不足が堪えた。


 目覚ましでも起きられず、最終的に痺れを切らした母に叩き起こされ、普段の時間よりも二十分遅れで家を飛び出して来た。

 朝食は落ち着いて食べている時間がなかったので、古風な少女漫画のように食パンを咥えながらの登校だ。

 食パンは口に一枚、両手にそれぞれ一枚ずつの計三枚仕様。それぞれ苺、マーガリン、チョコと、味のバリエーションに抜かりはない。悠陽は部活にも食にも全力なのだ。勉強面は……まだ本気を出していないだけである。


 起床後早々に朝練の時間に間に合わないことを察し、部活仲間には既に遅刻の連絡を入れてある。

 しかし一分でも長くバスケをやっていたい自分にとって、急いでいる理由はそれだけで十分だ。


 正面玄関に到着すると、悠陽は行儀悪くローファーを脱ぎ捨て、中履きを下駄箱から取り出した。


 ふと下駄箱内の砂利が目に付き、今度掃除しようと心に決める。


 普段の言動から意外に思われることが多いのだが、悠陽は案外まめだし、綺麗好きだったりする。

 悠陽はローファーの靴裏を叩き合わせてある程度砂利を落とすと、中履きと入れ換えるように下駄箱に押し込んだ。


 面倒なのでこのまま真っ直ぐ体育館に行ってしまおうと、人気がないことを良いことに走り出す。

 朝練が行われるのは教師もほとんど来ていない時間帯なので、うるさく見咎められないのが良い。



「……あれ?」



 前方を、友人の彩美あやみがゆったりと歩いていた。


 部活動に入っていない彩美が、何故こんな朝早くから学校にいるのだろう。

 テスト前になると奇特な生徒の何人かが、勉強するために朝早く登校して来ることもあるにはあるが……中間テストはまだ先だし、どの教科も小テストは予定に入っていなかったはずだ。

 悠陽が聞き落としただけだろうか。それは大いにあり得る。


 朝一の、それもこんな早い時間に会う友人の姿に嬉しくなり、悠陽は弾んだ声を上げた。



「おはよう、彩美! 早いな、今日って何かあったっけ?」



 悠陽に肩を叩かれ、彩美が緩慢な動作で後ろを振り向く。

 唇に薄く笑みを乗せた目の前の彩美に、悠陽は酷い違和感を覚えた。


 ――コイツ、本当に彩美か?


 確かにこの『門螺かどにし 彩美あやみ』は悠陽の知っている彩美と同じ顔だが……何かが根本的に違う。


これは彩美の見た目をした、別人だ。


 悠陽は本能的に後ずさっていた。警戒心を露にする悠陽に、眼前の『門螺 彩美』が嗤う。



「――あら。そういう所は、やっぱり鋭いのね。本当、動物みたい」



『門螺 彩美』は小馬鹿にした口調で吐き捨て、悠陽の、更に後ろへと視線を投げた。



「――



 仲間がいたのか。

 その可能性に思い至らなかった己の迂闊さを恨みつつ、後頭部を襲った鋭い痛みに悠陽は昏倒した。







「おはよー!」



 一年二組の教室に、悠陽の賑やかな声が響いた。

 相変わらず朝からテンションが高い。実は高血圧なのではないかと、彩美は踏んでいる。


 時計を見ると、時刻は八時二十五分を少し過ぎている。ホームルーム開始ギリギリの時刻だ。

 バスケット部は朝練をいつも八時までに切り上げているので、悠陽がこんなに遅い時間に姿を見せるのは珍しい。


 クラスメイト達もそう思ったのか、彼女に「今日は遅いんだね」といった言葉を口々に掛けている。



「片付けに手間取っちゃって……」



 歯切れ悪く言いながらクラスメイト達の追及をかわす悠陽は、彩美と目が合うと「おはよう、彩美!」と小さく手を振った。

 さすがに、衆目がある中では無視も出来ないので振り返してやる。すると悠陽がいつも以上に嬉しそうにするので、彩美は居心地の悪さを感じた。



「おはようございます。ホームルームを始めますよ」



 担任の桜井さくらい 明子あきこの登場により、悠陽の意識が教室の入り口に向けられる。

 それを良いことに彩美は悠陽から視線を外し、一時間目の授業の準備をしながら、始まった明子の話を聞き流した。






 昼休憩に入った途端、彩美の席に真っ先にやって来た悠陽が口にしたのは――



「天気も良いし、屋上でご飯食べないか?」



 ――だった。


 当然屋上に誰がいるのか解っている彩美は、屋上の「お」の言葉を耳にしただけで苦虫を噛み潰したような顔になる。

 自分からくれない達に関わる等、彼等にとっては飛んで火に入る夏の虫だろう。

 しかし悠陽のごり押しに負け、彩美は渋々悠陽の先導に従った。






 案の定屋上では紅をはじめとした四人が、今まさに昼食を取ろうとしている矢先だった。

 運悪くコミュニケーション能力が天元突破しているむらさきに捕まり、同じくコミュニケーション能力が高い悠陽の裏表のないやり取りに丸め込まれ、結局昼食はご相伴することになった。

 こうなる展開が読めていたので嫌だったのだ。



「柳田の弁当、すっごい手込んでるな! 手作りなん?」



「その飾り切り、凄いなぁ。どうなっとるん?」



「母さん料理が趣味でさ!……つーか難原姉弟、二人してよく食うな。そんな細いのに、どこに入ってんだ?」



「いやいや。柳田さんも負けてないからな!?」



 ……喧しい。


 回転が早い彼等の会話を聞き流しながら、弁当のウィンナーを口に含む。

 紅も口を挟むことなく、形の悪い握り飯を片付けていた。恐らく自作だろう。赤音が作ったものならば、握り飯一つで済むはずがない。

 しかも、海苔どころか恐らく具すら入っていない塩結びだ。梅干し位入れればいいものを。

 紅の食事量の少なさに気付き、悠陽が絶叫する。



「うぇええ!? 喜多見城、昼それだけか!? 小学生のアタシの弟ですら、もっと食べるぞ!?」



「……あんまり量が食べられないんだ」



 悠陽の前だからか、よそ行きの顔で紅が微笑む。

 普通の女子ならばここで一発ノックアウトだが、相手はバスケ馬鹿柳田 悠陽だ。傾国の微笑にも、一切ダメージがない。



「柳田はん、弟がおるん?」



 同じく兄妹がいるあおが、興味深そうに問う。

 はんなりとしたそれとは裏腹に、彼は四個目の菓子パンの袋を開け放った所だった。



「そ、小学五年生。これがすっげー生意気でさ」



「柳田の弟も運動得意なん?」



「サッカー馬鹿だよ。あんまりに夢中になってサッカーばっかりやってるもんだから、成績が悪くてさ! 学校の先生に怒られてんの!」



「そっくりじゃない」



 ついついいつものノリで口出ししてしまい、彩美ははっと口を閉ざした。

 皆の視線が彩美に集中する。特に青は目を丸くし、驚愕を露にしている。


 普段ならば彩美の突っ込みに即座に反応するはずの悠陽が珍しく大人しいため、不思議に思って彼女の顔色を伺う。

 彩美の辛辣な反応に慣れているはずの悠陽が、何故か唖然とした表情を浮かべていた。



「……何よ、その反応」



 ばつが悪くなり憎まれ口を叩くと、悠陽がはっと取り繕うように「い、いや……彩美、アタシの弟と会ったことあったっけかな~って思っただけ」と早口に言った。

 らしくない悠陽の様子に引っ掛かりを覚えるも、彼女が変なのはいつものことなので特に気にしないことにした。



「……そういう意味の『そっくり』じゃないわ」



「そうだよな! ちょっと勘違いしちゃったよ!」



 悠陽の様子をどこか観察するような視線で見詰めていた山吹やまぶきが、ふと「そう言えばさ」と洩らした。



「二組って日本史の小テスト、もうやった?」



「えっ!……うーん、あれ、やったっけか? 彩美どうだったっけ?」



「アンタね……一昨日の話でしょ。バスケ馬鹿も大概にしなさいよ」



「――あぁ、そうそう! 源義経がチンギス・ハーンになって開国するんだよな! それで弁慶は脛が弱点!!」



「それ何か、色々混ざってるんやない? 柳田はん、テストの点数大丈夫なん……?」



「大丈夫! アタシはまだ本気出してないだけだから!」



「いつ出すのよ、その本気は……」



 呆れ交じりの溜め息を溢し、最後に取っておいた卵焼き(勿論市販のもの)を口に含む。甘めの味付けがされているこの卵焼きを、彩美は結構気に入っていた。

 彩美の対面に座っていた紅が、彼女と悠陽のやり取りに唇を綻ばせる。



「仲が良いんだな」



「……別に」



 優しげなそれに彩美は尻の座りが悪くなり、弁当箱を片付ける振りをして紅から目を反らした。

 ふと悠陽の食事の手が止まっていることに気付き、珍しいこともあるもんだと横目で見る。



「……」



 今この時を噛み締めるような、どこか大人びた表情を浮かべる悠陽はまるで別人のようだった。

 どうしてそんな表情を浮かべているのかは解らないが、矢張今日はいつも以上に様子がおかしい。

 柄ではないが、後で尋ねてみるべきか。別に心配している訳ではないが、大人しい悠陽というのは調子が狂う。



 しばし流れた微妙な空気を破ったのは、彩美の左隣に座る紫だ。



「……あ。彩美、背中にゴミ付いとるよ」



 言うが早いが結構な力で背中を二、三度叩かれ、彩美は思わず噎せた。



「私の許可を取ってから叩きなさいよ……!」



「堪忍な。でも取れたで~」



「む~ちゃんの一発、本当効くよな……」



 経験者は語ると言った風に、山吹が真剣な顔で呟いた。


 ――それにしても、こんな風に紅達や悠陽と昼食を取るのは変な感じだ。


 ずっとこんな日常が続けばいいのにと、どうしてか詮のないことを考えた。

 紅達と出会ったことで『門螺 彩美』として、何か引かれるものがあるのか。

 所謂遺伝子レベル、というもので覚えているのかもしれない。彼等のことを。

 そんな彩美の内心を見透かしたようなタイミングで、悠陽が彩美を見て笑った。



「――何だか楽しいな、彩美」



 しみじみとした口調のそれに彩美は皮肉を言う気にもなれず、いつも通り「別に」と返す。

 素っ気ない彼女の返事にも悠陽は構うことなく、にっと歯を見せて笑った。

 向日葵のようなその笑顔は普段と変わることはなかったが、山吹が目を細めて二人のやり取りを眺めていたことに、彩美は気付けなかった。

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