雪の女王 ⅩⅢ

 あおのメッセージに一番最初に気付いたのは、山吹やまぶきだった。

 彼は送られて来たそれに返信することなく、スマートフォンを学ランのポケットに仕舞い直す。



「……あ~ちゃん、ちょっと遅かったな。もう目の前にいるんだもんよ」



 山吹の前には、憎々しげに彼を睨み付ける藤垣ふじがき 月夜つきやの姿があった。

 彼の背後には姿見がひっそりと佇んでいる。


 そもそも、山吹が三階にいたのは音楽室に向かっていたためであって、月夜の姿を見掛けたのは本当に偶然だった。


 真っ先に思ったのは『彩美と青のクラスは理科の授業だったはず』ということである。

 次いで浮かんだのは、彼女達のクラスメイトである月夜が、何故理科室のある一階ではなく三階にいるのだろうということだ。当然、山吹は彼の跡を付けた。


 そしてその先で、月夜が黒姫くろひめから貰ったと思われる能力を発現させたのを目撃し、こうして現行犯と相成った訳なのだが……山吹の知っている『藤垣 月夜』とは大分様子が違うため、「本当に本人か?」と首をひねる。

 三万回も繰り返していれば、学年のほぼ全員と同じクラスになったことがある。それは月夜も例外ではない。


 だが彼はどの世界でも大概虐められっ子で、話し方もおどおどと自信なさげの、気弱そうな少年のはずが……今は決意、いや熱意だろうか。

 固い意思をその黒目がちな瞳に秘め、強張った表情ながらも山吹に相対している。



「あー……藤垣君だよな、一体何してんの? 学校の備品を壊すのは、真面目なアンタでも怒られると思うんだけどな」



 白々しい口調で話し掛けながら、山吹は月夜の手に握られている武器を然り気無く観察する。

 彼が黒姫から与えられた能力は、恐らく武器生成。山吹と同種のものだろう。それも、山吹の上位互換である可能性は高い。


 山吹の能力『刹羅せつら』は、正直に言って利便性が余り良くはない。

 山吹が頭に思い描いた武器を創造することが可能だが、その反面銃といった彼自身が構造を知らない複雑な武器は、生み出すことができない。


 だが今、月夜がその手に握り締めているものは。



「どう見ても銃なんだよ、なっと!」



 向けられた銃口、撃った際に生じるだろう多少のブレ等も想定し――山吹は頭を下げた。

 今まで山吹の顔があった辺りを、銃弾が掠めて行く。

 頭よりも、的の大きい胴体を狙った方が的中率は高いのだが……敵に塩を送ってやることはあるまい。


 サプレッサーを装着しているのか、発砲音がかなり抑えられている。硝煙の臭いが鼻を突いた。

 月夜がオタク気質で銃好きなのか、黒姫の与えた能力が優秀なのかは不明だが、サプレッサーまで再現出来るとはお見逸れした。

 ちなみに月夜が持つ銃はサプレッサーが装着できる『ナガンM1895』というリボルバーなのだが、門外漢の山吹には知る由もない。



「罪のない善良な一般人にいきなり銃口を向けるのは、俺としてはどうかと思うんだよな」



「……本当に一般人なら、僕が銃を持っている時点で逃げると思います」



 控え目ながらも論破され、山吹は「そりゃそうだ。アンタが正しい」と肩を竦める。

 そして山吹はシャムシールにも似た、反りの入った剣を出現させた。

 銃を幾ら精密に思い浮かべることが出来ようとも、実戦に関して月夜は素人だ。

 ならば山吹に軍配が上がる――伊達に三万回も時を過ごして来た訳ではない。



 山吹は予備動作なく駆け出した。月夜が銃を連射する。


 一発、二発、三発――全部で七発か。


 月夜が発砲を止めたためそう判断した山吹だが、甘かった。即座に向けられた銃口に、山吹は舌打ちする


 リロードまでの時間が短い。

 いや、そもそも


「魔法じゃねぇんだぞ、何でもありかよ」と内心悪態を吐きつつ、月夜との距離を詰める。


 ――殺しはしない。


 腹に一発叩き込む。それこそ彼のような一般人には、それで十分に効果を発揮するだろう。

 逆手に持ち直した剣の柄を振るう、その瞬間。月夜の左手に二つ目の銃が出現する。


 その銃口が狙っているのは――山吹の腹部だ。



「まっず……!」



 ざっと血の気が引いた。

 回避行動を取ろうと反射的に身体が動くが、ほぼゼロ距離に近い。間に合うはずもない。


 山吹の目の前で、銃口が火花を吹いた。






 ――しかし、いつまで経っても痛みは襲って来なかった。


 恐る恐る目を開けると、銃弾は山吹の眼前に生じた透明な防壁のようなものにめり込み、すんでの所で止められていた。



「何やっとるんや、山吹!」



 肩で息をする紫が、使役する狐神の眷属、田彦たひこを傍らに侍らせていた。

 この防壁は田彦が創り出したものなのだろう。

 山吹は、安堵感から腰が抜けそうになるのを耐え、新手の存在に動揺する月夜の鳩尾に剣の柄頭を叩き込んだ。

 月夜はなよなよとした見た目に反して意外にもタフで、彼は腹部の痛みに呻いたものの、目的を達しようと動いた。

 月夜は右腕を後ろに回すと、間髪入れずに引き金を引いた。


 ――後ろの姿見を破壊したのだ。


 ガシャンと派手な音が響き硝子の破片がバラバラと床に散るのと、山吹が月夜の首筋に剣先を突き付けたのは――ほぼ同時だった。



「銃を捨てろ」



 山吹の唸るような低い声に気圧されることなく、月夜は両手を自身の頭の高さに上げた。

 開かれた彼の手の平から、呆気なく拳銃が落ちる。黒光りするそれは床に落ちる寸前で、さらりと砂のように消えた。



「お前が黒姫の内通者か。いつ、どこで知り合った。目的は?」



「……それを知った所で、どうにもなりませんよ。僕の役目はもう終わっています」



「何……?」



 余裕ぶった口振りの月夜に、山吹は眉を顰める。

 問い質そうと口を開きかけるが、背後から響いた聞き覚えのある声に遮られた。



「――紫、山吹!」



 走って来たのか荒い息の青が、呼吸も整わぬ内に「藤垣 月夜を捕らえたんやね」とクラスメイトである彼を一瞥する。

 そして割られた鏡を認めると「一階の姿見も壊されてたんや」と、一息吐きながら告げた。



「一階の鏡も? 藤垣、何する気なんだ」



「さあ。僕は、姿見を壊して回って欲しいと頼まれただけです。僕は約束を守る。たとえ殺されても口は割りません」




「――そこまでにしておけ。端から話す気がない人間を相手にした所で、時間の無駄だ」




 足音一つさせず、紅が柱の陰から姿を現した。



「紅……」



「これ以上何かされても面倒だ。青、紫。お前達の力で捕えておけ」



 冷淡な瞳で月夜を見下ろした紅が、慈悲の欠片もない無表情で言った。



「お前は俺と同じく、交友関係が広いタイプじゃない。どの世界でもな。それにお前の不審な行動について、俺が初めて耳にしたのは――」



「――止めろ! の名前を口にするな!!」



 月夜が全身全霊で叫ぶ。

 紅は過剰なまでの月夜の反応を見て、目を伏せた。そして深く溜め息を溢すと、月夜を捕えるよう青と紫を急かす。



「良いのか?」



「ああ。もう解ったからな、十分だ」



 山吹と紅のやり取りを横目に、青と紫がそれぞれ狐神の能力を用いて月夜を気絶させた後、拘束した。

 注連縄で戒められている様は物々しく、青が「何や……滅茶苦茶罪悪感沸くなぁ」とぼやいた。



「二階以外の姿見は破壊されているそうや。まあ、藤垣 月夜こいつの言うことやから、どこまで本当かは解らへんが……」



「……青、彩美はどうした?」



「藤垣 月夜が戻って来た時のために、理科室に残ってもらっとるけど……?」



「様子を見て、抜け出せそうなら連れて来い。一人残すのも心配だろう」



 紅の真剣みを帯びた表情に、青は躊躇いながらも頷いた。

 スカートの裾を翻して走り去って行く青の背中を見詰め、山吹は再度同じ問いをする。



「……良いのか?」



「――山吹。お前には言ってなかったが……俺達の中に内通者がいる」



 紫がはっと息を呑んだ。

 まさかこのタイミングで紅が内通者について言及するとは、思ってもみなかったのだろう。

 山吹が不快げに眉を寄せ、「内通者?」と呟く。



「俺が、学校に出て来られなかった期間があっただろう。お前達の行動がまるで筒抜けになっているようだと、知らせを受けた」



「知らせって……む~ちゃんか。あ~ちゃんとみ~ちゃんがいない時に話すってことは、二人を疑ってるってことか?」



「共犯か、あるいは」



 片割れを疑われている紫の表情は優れない。それも当然だろう。



「俺等はどうする?」



「白姫の下へ――真っ先に狙うとしたら、まずそこだろう。」



「あー……こうもあからさまに誘導されると、気分悪いな」



 山吹はやれやれと肩を竦めながら、落ち込んだ様子の紫の背中を軽く二、三度叩いてやった。

 縋るような目をした紫と目が合うと、山吹は「行こう」と促す。

 三人は二階の姿見を目指して歩き出した。

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