雪の女王 ⅩⅣ
流血表現、グロテスクな描写があります。これらの表現が苦手な方はご注意下さい。
一階に降りた途端、嫌な雰囲気を感じ取った。
空気が重く、鉄錆びのような臭いが充満している。三万回繰り返し最早嗅ぎ慣れてしまったその臭いに、青の心臓が
理科室の扉の前に立つと、直ぐに違和感を覚えた。
授業中であるはずなのに、教師の声が一切しない。生徒の話し声もだ。
死んだように静かなそこに、青は戦慄した。
震える指先で、眼前の引き戸を開け放つ。
「何、やの……これ」
先程までクラスメイトだったものが―― 一面血の海に沈んでいた。
出来の悪い三流映画のようだ。
青は中履きが汚れるのも厭わずに、室内に足を踏み入れる。
誰のものか解らない程に切り刻まれた人体だったものやその部位を避けながら、顔の判別ができる者達を一人一人確認していく。
「……彩美と、
血溜まりに立ち尽くし、青は呆然と呟いた。
ここから彼女達の姿が消えている理由――考えられることは一つしかない。
この惨状を作り上げたのは、
眼前に、鏡写しのように自身と瓜二つな容姿の少女が佇んでいる。
しかし、彼女達が持つ色合いは白黒が反転している。同じなのは瞳と草履の鼻緒の、赤だけだ。
白姫が眉を寄せるのに対し、
「――ご無沙汰しております、お姉様」
「……黒姫。『あの方』の願いを、
白姫が珍しく強い口調で告げたが、黒姫は意に介さずせせら笑う。
「は。『あの方』の望む世界を得るならば、こうして貴様を殺した方が早いだろう。何故解らん?」
「残念ですが、停滞したものに未来はありません。黒姫、貴女の虚しい気持ちは良く解りますが……でも、」
「『解る』だと? 傍観者でしかない貴様に、何が解るというんだ白姫。立ち上がる気概もない、軟弱者め。繰り返した先に、『あの方』が望む未来が本当にあると思うのか? 白姫よ」
「……」
小馬鹿にする口振りのそれに、白姫が言い返すことはできなかった。
当然だ。白姫とてこの繰り返しが終わったその先に何があるのか等、知る由もない。
「だからと言って、停滞したものに意味は……」
「先程から口ばかりだな。それは貴様の主観だろう。確かに、停滞の先に『未来』はないかもしれない。だが……喪うこともない。それは
「
「愚問だな。私が愛しているのは、『第34755世界』の彼等ではない」
「……貴女は、私なんかよりずっとずっと優しいのでしょうね、黒姫。耐えられなくなったのでしょう? 無惨に死に行く彼等の運命に。許せなかったのでしょう? 彼等が生まれてから死ぬまでを、一人永遠と見続けなければならない、己を」
白姫の鈴のような声が、凛と響いた。
「――黒姫。愚かで優しい、私の妹」
「愚かなのはどちらかな。お姉様。貴様は何も見えていない。私のことも。彼等のことも。――だからこうなるんだ」
突如として、背後に人の気配を感じた。
白姫が反射的に振り向くと、そこには大鎌を振りかぶった彩美の姿があった。
彩美と白姫の視線が交錯する。彩美は妖艶に微笑むと、「さようなら」と短く告げた。
そして白姫は――。
弾かれた刃に、彩美はバックステップで後退した。
白姫の周囲を、結界が覆っている。
真っ直ぐに伸ばした彼女の手に握られているのは、見覚えのある護符だ――紅の、符。
「よりにもよって、アンタがアタシの邪魔をするの……!? 紅っ……!」
「……紅さんから、事前に渡されていたんです。何かあったら使うようにと。恐らく彼はこうなるのを、どこかで解っていたのかもしれません――彩美さん」
白姫が洩らした悲しげなそれに、大鎌を構え直した彩美は鼻を鳴らした。
「何とでも言いなさい。何と言われようと、アタシの選択は変わらないわ。アタシに、紅に、この世界に、
彩美が大鎌を振るうと、刃は鏡に映った白姫の姿を切り裂いた。
視界の隅に再び白姫の姿が映り、再度大鎌を振るう。
鏡が割れる。
別の場所に白姫が姿を見せる。今度は大鎌の柄を叩き付ける。
鏡が割れる。
次いで数多の白姫が、彩美を取り囲んだ。彩美は狂ったように大鎌を振り回す。
鏡が割れる。
割れる。
割れる。
割れる。
割れる。
その先に現れた真っ暗な空間に、紅がぽつりと立っていた。
「狐共の幻覚っ……! やってくれたわね!
彩美が険しい顔付きで視線を向けたそこに、沈鬱な表情の紫と能面のような顔の青が、それぞれ使役する狐神を侍らせていた。
二人の狐神は神らしく悠然とした口調で、託宣の如く言った。
『『
「――
尖兵の如く潜ませていた悠陽が、彩美の合図で音もなく飛び出した。
彼女は小柄な体格に見合わぬ大剣を振りかぶり、紅を牽制する。
だがその一撃は、
悠陽とて運動部に所属している分、そんじょそこらの女子よりは筋肉がある。
だがそもそも山吹と悠陽とでは男女の性差もあり、膂力が違う。押し負けた悠陽が素早く後退した。
悠陽を追撃しようとする山吹を制して、紅が静かに問う。
「――お前はそれで良いんだな?」
その場にいた誰にも、紅の真意は測れなかった。
彼に彩美との仲を相談した、悠陽以外は。
いつもの天真爛漫さは鳴りを潜め、悠陽は困ったように眉を下げた。
「ああ。……ごめんな、喜多見城」
「……そうか」
儚げな笑みを浮かべる悠陽に、紅は一度目を伏せると迷いない口調で告げる。
「山吹は柳田を。青、紫は黒姫を。俺には構うな。行け」
紅の指示で、三人は一斉に散った。
三万回という長い時を共に過ごして来た彼等は、阿吽の呼吸でお互いをカバーし合い、紅と彩美から距離を取って行く。
「――アタシと一緒に、停滞する世界は嫌?」
「それは死んでいるのと同義だろう」
「このまま戦い続けて、未来があると思う?」
「……ならお前は『
「だってそうでもしなくちゃ……アンタはアタシの隣にいてくれないでしょ?」
「選ぶのはお前だ、彩美。だがどの世界でも『
紅の言葉に彩美は顔を歪め、血反吐を吐くにも似た叫びを上げる。
「――その『門螺 彩美』は、今の『
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