雪の女王 Ⅳ
「――
昼食後だというのに
彩美は真剣な面持ちの彼女に、少し気圧されつつも「アタシが帰宅部なの、知ってるでしょ」と答えた。
するとそれをからかうでもなく、青はそっと声を潜める。
「じゃあ放課後十六時、帰らんで待っとって。約束やで」
彼女にしては圧のある口調に、彩美は反射的に頷いていた。
――放課後。
図書室で暇を潰していた彩美が頃合いを見て己のクラスに戻って来ると、誰もいない教室の片隅に青がひっそりと立っていた。
青の整った顔の造作もあってかその様はまるで一枚絵のようだったが、見目麗しい彼女の口から飛び出した「遅かったやん」という似非関西弁が全てをぶち壊した。
「行こうや。
淡々と発せられたそれに、彩美はどこか予感めいたものを感じた。
平凡な日常が壊れてしまうかもしれない――そんな、漠然とした予感を。
珍しく口数の少ない青に案内されたのは、校舎一階の理科室――を、更に通り過ぎた廊下の突き当たりにある、大きな姿見の前だった。
「……誰もいないじゃない」
からかわれたのか。
むっとした彩美は責めるような口調になるが、青は全く動じず姿見の前で足を止めた。
「……最後に聞いとくわ。紅との約束やからな。これだけは守らなあかん」
青が身体ごと彩美に向き直ると、静かに問う。
「彩美は、紅のことが気になってるんやろ? でも私等のことを一度知ってしまえば、もう後戻りは出来へんよ。……それでも良いん?」
「……何それ、まるで悪魔との契約ね。
青は困ったように首を傾げるも、その問いに答えることはない。
彩美はわざとらしく溜め息を溢すと、青の隣に並ぶ。
「――ここまで来たら後には引かないわよ。で、どこに連れて行ってくれる訳?」
青は堂々たる態度の彩美に眉を下げると、仕方ないなと言わんばかりに肩を竦めた。
「……無謀とも言うべき、良い心掛けやな。」
そして彩美の腕を掴むと、青は姿見に向かって足を一歩踏み出した。
さすがの彩美も虚を突かれ、手を引かれるが儘にその後に続く。抵抗する間すらなかった。
青の歩みは止まらない。目の前には鏡が迫り来る。
そして二人の身体は、入水するかのように姿見の中に沈んだ。
鏡に阻まれる自身の姿を想像し、咄嗟に目を瞑っていた彩美は、いつまでもやって来ない衝撃にようやく目蓋を開けた。
辺りは真っ暗で何も見えない。
繋がれた青の手、その体温だけが道標だ。
己の身体が、ゆっくりと下りて行くのを感じる。
しばらくすると、爪先が何か硬いものに触れた。
下り立ったそこは鏡にも水面にも似ていて、中履きが接地した箇所から順に波紋が生じると、鏡面の静寂を乱す。
「ここどこ――姿見……鏡は?」
「さっき通って来たやろ」
端的に纏めた青が彩美から手を離し、足音も立てずに歩き出した。
こんな理解不能な場所に置いて行かれては堪らないと、彩美は黒のセーラー服を追う。その背中は周りの闇と同化してしまいそうだ。
前方の黒のプリーツスカートが、ひらりと舞った。
誘うような挑発的とも思える動きに、彩美は場違いにも黒揚羽を連想する。
青が歩を進めるのと同じくして、彼女の足元がぼんやりとした光に照らし出されていく。
青の後ろをひたすら無言で付いて歩くと、突然空間が開けた。
そこにいたのは
しかしその中に、見覚えのない人物が一人。
ハの字に下がった眉が印象的な、白髪の少女。
影の薄そうな、気弱そうに見える容貌に反し、矢鱈と目を引く少女だった。
だが彩美は、まるで人間ではないものを目の前にしているかのようなそんな異質さを、この儚げな少女から本能的に感じ取っていた。
「――初めまして『
白姫はハの字眉を更に下げると、薄桃色の唇を微かに綻ばせた。
白姫という少女から説明されたのは到底信じられないような、まるで映画のような話だった。
しかし事前に鏡を通り抜けて来ていた手前、真っ向から否定することも出来なかった。
まだ自分一人ならば夢として片付けられたのかもしれないが、だとすると青達の存在に説明が付かない。
それに夢の中にしては、彼女達の行動、言動は余りに真実味を帯びていた。
頭の許容量を遥かに越えた話に、彩美は頭痛を覚えてこめかみを押さえる。
まるでSFだ。本当にこれは現実なのか?
「……突っ込みたいことは多々ある。でも切りがないから、一先ず置いておくわ。それで結局、アンタ達の目的は何なの」
「並行世界を統治する『
「まずその『繰り返し』が何なのかも気になるけれど……それも追々ね。『繰り返し』とやらを止める、条件は?」
短く述べた紅に、彩美は更に質問を畳み掛ける。
だが彼女の問いに答えたのは白姫だった。気弱そうな印象が嘘のような、明瞭な口調だ。
「――申し訳ありません。お教えできません」
「教えられないって……答えになってないわよ」
「……お前だけではない。繰り返しを止める条件は、俺達も伝えられていない」
紅、青、紫、山吹。四対の瞳が彩美を見詰める。
同い年とは思えない彼等の老成した眼差しに、彩美は無意識に後ずさっていた。
「じゃあ何? アンタ達は訳も分からないそいつの言い分を、大人しく聞いているって言うの? ……馬っ鹿じゃない」
「――だとしても俺達が持つ、三万以上もの世界の記憶は本物だ。お前が何と言おうともな」
正真正銘、紅達は正気だ。少なくとも彩美を
そもそも彩美を騙した所で、彼等には何の利益もないだろう。
――いや。むしろこればっかりは「残念、冗談でした!」と言われた方が、有り難い類いのものではあるのだが。
こうなることを理解した上で、青は彩美に覚悟を問うたのだ。そう、最後通牒として。
今の話を聞いてしまった以上、彼等が彩美を簡単に解放するとは思えない。逃すつもりもないだろう。
「門螺 彩美。お前も俺達と同じだ。お前の持つ能力は『
「『繰り返す』と言っても、言葉の綾に過ぎないがな。ゲームの中のように、セーブした所からやり直しが利く訳ではない。……本当に新たに始まるんだ。赤ん坊から、ここまでな。そして不慮の事故というものは、誰しも付き物だろう?」
「――アタシが事故や病気で死んだ場合、アタシ達が出会わずに、新たな世界が始まることもあるって訳ね。どうしてそんな面倒な……」
「さあな。仕組みを作った奴に聞くと良い――聞ければだが」
紅は鼻で笑うと「俺達のことを知った以上は、もう普通の日常には戻れないと思え」と冷酷に告げた。
氷のような
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