雪の女王 Ⅲ

※作中で登場人物が偏った思考・発言をしておりますが、あくまでも一つの考え方としてご了承下さい。





 あおがいつものように屋上に顔を出すと、吾妻屋あづまや 山吹やまぶきのくどくどしい説教の声に出迎えられた。


 彼は青とくれないの共通の友人で、丁寧にセットされた金髪が特徴的な、気の好い少年だ。


 そして紅の保護者枠でもある。


 大方説教の内容は、紅が不良三人相手に大立回りした件についてだろう。

 それが彼と彩美あやみの運命的な出会いを演出してしまった訳なので、不良というものは全く碌なことをしない。



「まあまあ、今回は無事やったんやし。そこまでにしてやろうや、山吹。オレ、もう腹減ったんやけど」



 腹から獣の唸り声のような音を響かせながら、難原なんばら むらさき――青の双子のである――が、口をへの字に曲げた。


 それは当然山吹の耳にも届いていたようで、彼は気を削がれたのか「……しょうがないな」と肩を落とし、紅への追及を止める。

 説教タイムから解放された紅が、不服そうに眉を寄せた。あれは明らかに納得のいっていない顔だ。


 だが、紅が腹立たしく思うのも無理はあるまい。

 山吹の過保護は、回を重ねる毎に深刻化している。いずれ紅を『蝶よ花よ』と育て始めるのではないかと、青も気が気でない。



「……それで、青? いつまでも黙っているが、話とは何だ。本題に入れ」



 事前に連絡していた内容に触れられ、青は表情を引き締める。

 今から青が口にすることは『この世界』での紅の方針を、真っ向から否定することだ。

 躊躇う気持ちがない訳ではない。だが。



「――彩美を、『門螺かどにし 彩美あやみ』を引き入れん?」



 山吹の纏う雰囲気が、すっと冬の冷たさにも似た寒々しいものへと変わる。

 紫が顔色を変え、息を呑んだ。彼女は恐る恐るといった風に、山吹と青とを交互に窺い見る。

 二人の間には、それだけ一触即発の空気が流れていた。

 しかし紅は表情を一切変えず、制するように山吹の肩を二、三度叩く。



『門螺 彩美』に干渉しないと、最初に決めたはずだが。それを今更覆そうとする、理由は?」



「……思っていた以上にと彩美が関わる機会が、多くなってもうた。想定外や。これで黒姫くろひめに目を付けられでもしたら、俺だけじゃ到底しのげへん」



 言い訳がましくなってはいないだろうか。

 訝しげな山吹の、強い視線を感じる。


 嫌な汗が出そうだ。


 やましいこと等ない。


 ――そうだ。そのはずだ。


 ならば正々堂々としていろ。


 紅から目を逸らすな。


 見詰め合う青と紅。

 先に目を逸らしたのは――紅だった。



「……解った。お前が、そう言うのなら」



「え、」



 すんなりと告げられたそれに、青は拍子抜けした。

 呆然とする青を尻目に、紅は菓子パンの袋を雑に開け、狐色のパンにかぶり付く。ジャムパンだ。

 顔を覗かせた苺の赤色が、やけに目に付いた。



「――っおいく~ちゃん、そんな簡単に。そもそも、み~ちゃんを巻き込まないって決めたのはお前だろ」



「確かにそうだが……青の言い分にも一理ある。二人が同じクラスであるのは、変えようのない事実だ。その青が言うことを、俺が否定するのは違うだろう」



「そ、れは……そうなんだけどさ。でも」



 山吹がモゴモゴと言い淀むが、紅に一瞥されると黙り込んだ。

 青は惚けた表情で、ジャムパンを味気なさそうに齧る紅を見詰める。



「何だ、青」



「いや、許可してくれるとは思ってもなくて……」



 青の物言いに、紅が深々と「はぁ」と溜め息を吐いた。

 呆れを多分に含んだそれに、紅を見損なったことに対する申し訳なさが募る。



「……お前は俺を何だと思ってるんだ。俺達にとって有益だと判断すれば、俺とて首を縦に振る」



「いや、それは……解っとるんやけど……」



 先の山吹のような口振りになってしまった。

 はっきりしない青の態度を不審に思ったか、紫が心配げに青を見やる。

 妹の真っ直ぐとした視線を受け止め切れず、青は不自然にならない程度に俯いた。



「……青、彩美を連れて来る時は一報入れてくれ。俺達のことについては、白姫しろひめの口から説明した方が良いだろう。ああいうタイプは、先に現実を見せる方が効果的だ 。『門螺 彩美』は、自分自身の目で見た物しか信用しないからな。ただ彼女が拒否したその時は、無理強いするなよ」



 紅はそう言い残すと、ジャムパンの残りを処理し始める。

 山吹もその様子を見て一つ溜め息を溢すと、購買の弁当をつつき出した。

 表面上はいつも通りに戻った彼等に紫も表情を和らげると、三個目のお握りの包みを開ける。






 青は、未だ昼食に手を付けられないでいた。

 胸の辺りを、ぐるぐるとした不快感が渦巻いている。――吐きそうだ。



「本当にこれで良かったのか」と、囁く自分がいる。



 『門螺 彩美』に好い格好をしたいだけではないのかと、耳元で嗤う自分がいる。

 始まりの世界から――青達が『第1世界』と呼んでいるあの時から、紅が『門螺 彩美』を大切に想っていることを知っている。


 恋やら愛やらと呼ぶには、余りにも変容してしまった――依存や執着とも言うべきものの、成れの果て。


 それを間近で見てきたというのに、何と人の心の儘ならぬことか。



 ――この世界第34755世界の難原 青も、『門螺 彩美』を愛おしく思ってしまった。



 此度彩美と同じクラスになった青は、自然と彼女と共にあるようになった。

 彩美も青も、クラスでは浮いている。それは必然だった。教室という狭い環境に身を置くには、彩美は目立ち過ぎる。

 彼女は女子特有の人間関係を鼻で笑う、そういうタイプだ。


 そして青には、毎度女同士のやり取りは複雑怪奇に過ぎる。

 波風立てないよう、穏便に過ごすだけで精一杯だ。


 青は自分の容姿の良さを過小評価しない。

 女のねたそねひがみは厄介だ。下手をすれば、クラスに於ける青の居場所は瞬く間に奪われる。


 学校という閉鎖的な空間では「声の大きい人間」が強い。


 ……物理的に、という意味ではない。

 そういった人種の意見が通り易く、また「一つの集団の声」となり易いのだ。

 多数決によって、少数派の意見が押し潰されるように。


 そんな事情から、浮いた者同士つるむのはある種必然だったのだろう。


 あの『門螺 彩美』はとは一線を画し、一種のカリスマ性、攻撃的なまでの輝きを持っている。

 目映いまでの光を放つ彩美に、青が惹かれるのはあっという間だった。彼女を知る度に、「もっともっと」と欲深くなる。


 反面、そんな醜悪な自分が嫌になる。


 紅が文字通り血反吐を吐く思いで、ここまで来たのを知っている。


輪廻りんね』の代償によって、『門螺 彩美』の中から『喜多見城きたみしろ くれない』の存在が消えてしまっているとしても、それでも紅は彼女を諦めず、救い出そうとしている。



 時には『因廻いんね』を用い、己が身を犠牲にしてでも。

 ――



 恐らく紅は、青の心境の変化等容易に気付いている。

 それでいて、気付かない振りをしている。紅とはそういう男だ。

 たとえこの世界で万が一、億が一彩美が青を選んだとしても、紅は何も言わずに彼女を守り続けるのだろう。

 そして言うのだ。



「彩美が、お前達が幸せであるならそれで良い。俺も嬉しい」と。



 それは想像に難くない。

 さぞ幸せに満ち溢れた、愛おしげな笑みを浮かべるのだろう。

 眼前の仏頂面が優しく綻ぶ様は、大層美しいはずだ。

 青の貧相な想像力ですら、簡単に思い浮かべることが出来る。


 ――だからこそ、そのお綺麗な面を一発ぶん殴ってやりたくなる。


 理不尽だと泣け。

 ふざけるなとわめけば良い。

 口汚く罵ってくれても構わない。


 ――むしろそうしてくれ。


 青だけが、己だけが醜いのだという、こんな惨めな気持ちにさせないでくれ。


 ――その愚直なまでの正しさで、どうか射殺して欲しい。

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