雪の女王 Ⅲ
※作中で登場人物が偏った思考・発言をしておりますが、あくまでも一つの考え方としてご了承下さい。
彼は青と
そして紅の保護者枠でもある。
大方説教の内容は、紅が不良三人相手に大立回りした件についてだろう。
それが彼と
「まあまあ、今回は無事やったんやし。そこまでにしてやろうや、山吹。オレ、もう腹減ったんやけど」
腹から獣の唸り声のような音を響かせながら、
それは当然山吹の耳にも届いていたようで、彼は気を削がれたのか「……しょうがないな」と肩を落とし、紅への追及を止める。
説教タイムから解放された紅が、不服そうに眉を寄せた。あれは明らかに納得のいっていない顔だ。
だが、紅が腹立たしく思うのも無理はあるまい。
山吹の過保護は、回を重ねる毎に深刻化している。いずれ紅を『蝶よ花よ』と育て始めるのではないかと、青も気が気でない。
「……それで、青? いつまでも黙っているが、話とは何だ。本題に入れ」
事前に連絡していた内容に触れられ、青は表情を引き締める。
今から青が口にすることは『この世界』での紅の方針を、真っ向から否定することだ。
躊躇う気持ちがない訳ではない。だが。
「――彩美を、『
山吹の纏う雰囲気が、すっと冬の冷たさにも似た寒々しいものへと変わる。
紫が顔色を変え、息を呑んだ。彼女は恐る恐るといった風に、山吹と青とを交互に窺い見る。
二人の間には、それだけ一触即発の空気が流れていた。
しかし紅は表情を一切変えず、制するように山吹の肩を二、三度叩く。
「今回は『門螺 彩美』に干渉しないと、最初に決めたはずだが。それを今更覆そうとする、理由は?」
「……思っていた以上に俺と彩美が関わる機会が、多くなってもうた。想定外や。これで
言い訳がましくなってはいないだろうか。
訝しげな山吹の、強い視線を感じる。
嫌な汗が出そうだ。
――そうだ。そのはずだ。
ならば正々堂々としていろ。
紅から目を逸らすな。
見詰め合う青と紅。
先に目を逸らしたのは――紅だった。
「……解った。お前が、そう言うのなら」
「え、」
すんなりと告げられたそれに、青は拍子抜けした。
呆然とする青を尻目に、紅は菓子パンの袋を雑に開け、狐色のパンにかぶり付く。ジャムパンだ。
顔を覗かせた苺の赤色が、やけに目に付いた。
「――っおいく~ちゃん、そんな簡単に。そもそも、み~ちゃんを巻き込まないって決めたのはお前だろ」
「確かにそうだが……青の言い分にも一理ある。二人が同じクラスであるのは、変えようのない事実だ。その青が言うことを、俺が否定するのは違うだろう」
「そ、れは……そうなんだけどさ。でも」
山吹がモゴモゴと言い淀むが、紅に一瞥されると黙り込んだ。
青は惚けた表情で、ジャムパンを味気なさそうに齧る紅を見詰める。
「何だ、青」
「いや、許可してくれるとは思ってもなくて……」
青の物言いに、紅が深々と「はぁ」と溜め息を吐いた。
呆れを多分に含んだそれに、紅を見損なったことに対する申し訳なさが募る。
「……お前は俺を何だと思ってるんだ。俺達にとって有益だと判断すれば、俺とて首を縦に振る」
「いや、それは……解っとるんやけど……」
先の山吹のような口振りになってしまった。
はっきりしない青の態度を不審に思ったか、紫が心配げに青を見やる。
妹の真っ直ぐとした視線を受け止め切れず、青は不自然にならない程度に俯いた。
「……青、彩美を連れて来る時は一報入れてくれ。俺達のことについては、
紅はそう言い残すと、ジャムパンの残りを処理し始める。
山吹もその様子を見て一つ溜め息を溢すと、購買の弁当をつつき出した。
表面上はいつも通りに戻った彼等に紫も表情を和らげると、三個目のお握りの包みを開ける。
青は、未だ昼食に手を付けられないでいた。
胸の辺りを、ぐるぐるとした不快感が渦巻いている。――吐きそうだ。
「本当にこれで良かったのか」と、囁く自分がいる。
あの『門螺 彩美』に好い格好をしたいだけではないのかと、耳元で嗤う自分がいる。
始まりの世界から――青達が『第1世界』と呼んでいるあの時から、紅が『門螺 彩美』を大切に想っていることを知っている。
恋やら愛やらと呼ぶには、余りにも変容してしまった――依存や執着とも言うべきものの、成れの果て。
それを間近で見てきたというのに、何と人の心の儘ならぬことか。
――
此度彩美と同じクラスになった青は、自然と彼女と共にあるようになった。
彩美も青も、クラスでは浮いている。それは必然だった。教室という狭い環境に身を置くには、彩美は目立ち過ぎる。
彼女は女子特有の人間関係を鼻で笑う、そういうタイプだ。
そして女子ですらない青には、毎度女同士のやり取りは複雑怪奇に過ぎる。
どの世界でも波風立てないよう、穏便に過ごすだけで精一杯だ。
青は自分の容姿の良さを過小評価しない。
女の
学校という閉鎖的な空間では「声の大きい人間」が強い。
……物理的に、という意味ではない。
そういった人種の意見が通り易く、また「一つの集団の声」となり易いのだ。
多数決によって、少数派の意見が押し潰されるように。
そんな事情から、浮いた者同士
あの『門螺 彩美』は今までの彼女とは一線を画し、一種のカリスマ性、攻撃的なまでの輝きを持っている。
目映いまでの光を放つ彩美に、青が惹かれるのはあっという間だった。彼女を知る度に、「もっともっと」と欲深くなる。
反面、そんな醜悪な自分が嫌になる。
紅が文字通り血反吐を吐く思いで、ここまで来たのを知っている。
『
時には『
――並行世界とは名ばかりの、この繰り返す世界から。
恐らく紅は、青の心境の変化等容易に気付いている。
それでいて、気付かない振りをしている。紅とはそういう男だ。
たとえこの世界で万が一、億が一彩美が青を選んだとしても、紅は何も言わずに彼女を守り続けるのだろう。
そして言うのだ。
「彩美が、お前達が幸せであるならそれで良い。俺も嬉しい」と。
それは想像に難くない。
さぞ幸せに満ち溢れた、愛おしげな笑みを浮かべるのだろう。
眼前の仏頂面が優しく綻ぶ様は、大層美しいはずだ。
青の貧相な想像力ですら、簡単に思い浮かべることが出来る。
――だからこそ、そのお綺麗な面を一発ぶん殴ってやりたくなる。
理不尽だと泣け。
ふざけるなと
口汚く罵ってくれても構わない。
――むしろそうしてくれ。
青だけが、己だけが醜いのだという、こんな惨めな気持ちにさせないでくれ。
――その愚直なまでの正しさで、どうか射殺して欲しい。
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