雪の女王 Ⅱ
※作中で主人公が偏った思考・発言をしておりますが、あくまでもキャラクターとしての彼女の考え方なのでご了承下さい。
悪事は上手く目立たぬようにやるのが味噌であり、大事なのは頭の使い方だ。
それで言えば、
屋上の扉を開け、いつものように日陰となる
「……何でいるのよ」
己の学ランを毛布代わりにし、紅が身体を丸めて眠っている。
不良相手に大立回りをしたとは思えない、安らかな寝顔だ。余程神経が図太いらしい。
彩美の気配にすら気付かずこんこんと眠り続ける紅に、どうしようかと頭を悩ませる。今更違う場所に移動するのも面倒だ。
それに今の彩美の気分は、誰に何を言われようとも屋上一択である。
よって紅に遠慮して、彩美が退けるという選択肢は初めからない。
彩美は深々と溜め息を吐くと、紅から距離を取ってその場に腰を下ろした。
壁を背凭れに、スカートのポケットから取り出したスマートフォンを弄る。
彩美のスマートフォンの中に、同い年の少女達が好んで入れるような、流行のアプリケーションは入っていない。興味がないのだ。
映える写真を取ってインターネットに上げるというのも、彩美には理解が出来なかった。
時間と気力と、スマートフォン並びに記録メディアの容量の無駄だ。
他人と思い出を共有して何になる。
結局、その時抱いた感情は自分だけのものでしかない。物事の受け取り方というものは、人それぞれ大小異なって然るべきだからだ。
従って思い出を、それに伴う感情を、本当の意味で赤の他人と共有すること等、初めから無理な話なのである。
他人からの評価で自己を確立して、何になる。
第三者の承認がなければ、己に価値はないのか?
ならば、死ぬまで自分を切り売りするか?
――下らない。
評価――価値観の違い、それすらも個性だろう。よって、全員が全員「良い」と言うこと等到底あり得ない。
一つの評価に左右され、一喜一憂することの無益さに、何故気付かないのか。
ネットニュースを眺めていると、紅が何事か呟いた。もしや起きたのか。
そっと窺い見た彼は険しい顔付きではあったものの、寝息を立てて未だ夢の世界にいた。
……紛らわしい。ただの寝言か。
興味を失った彩美が、紅からスマートフォンの画面に視線を移そうとした時――。
「……待て、行く……な ――」
彼の薄い唇の
誰かの名前を口にしたようだが、余りにも小さいそれを聞き取ることは出来なかった。
紅の伏せた左目から、涙が
彩美は彼の涙を目にし、咄嗟にその頬へと手を伸ばしていた。
しかしその指先は彼の頬に触れることなく、直前で跳ね除けられる。――当の紅の手によって。
彩美が身動ぎした際の、衣擦れの音で目を覚ましたのだろう。まるで猫のような男だ。
「……俺に何の用だ」
彩美を鋭く睨み付ける紅の、右側の髪の毛に寝癖が付いていた。
本人は威嚇しているつもりのようだが、彩美の視界の隅でぴょんと主張した寝癖が、その効果を半減させている。
そんな余計なことに思考を割いていると、反応が遅れた。
「――おい、
さすがに聞き捨てならず、彩美は普段の冷静さをかなぐり捨てて文句を言った。
「誰が痴女ですって!?」
「寝ている異性に触れようとする奴の、どこが痴女ではないと言うんだ」
「それはアンタが……!」
「泣いていたから」と言い掛け、だからと言って触れて良い理由にはならないと思い至り、大人しく口を閉ざす。
それ以前に何を言った所で、本人に泣いていた自覚がないのだ。聞く耳を持たないだろう。
そもそも泣いていたのを伝えてやる義理もない。
彩美はそこまでお節介ではないし、それに紅のようにプライドの高い男は、自身の弱味を指摘された途端こちらとの関わりを絶とうとするだろう。
こんなに面白そうな相手を、みすみす逃すのは勿体なかった。
……まるで彩美の方が紅と関わりを持ちたいと言っているようで、それはそれで腹が立つのだが。
少し気分が高揚している。
酒を飲んだ時というのは、もしかしたらこういう感じなのかもしれない。
だからだろうか。優秀なはずの彩美の頭脳が、ここまで役立たずと化しているのは。
先程の不良共に対する紅の態度に、彩美は深い共感を覚えていた。
だから少しだけ、少しだけ知りたいと思ったのだ。
「……まあ良いわ。私は
「――ああ。お噂はかねがね、『雪の女王』。想像以上に面倒臭い女で、驚いた」
「その渾名、止めてくれる?」
紅はせせら笑うと、立ち上がって毛布代わりにしていた学ランに袖を通した。
男にしては華奢な体躯が、黒衣に包まれる。
「万年二位の優等生、俺には構わない方が良い。内申に響くぞ」
「お生憎様。私の素行の良さは、教師の間では評判よ」
「自分で言うのか。は、性格は悪いな」
紅はゆっくりとした足取りで屋上を去って行く。
その背中から視線を外し、彩美はスマートフォンで時刻を確認した。
授業終了まで、あと残り五分だった。
授業終了のチャイムが鳴ると、彩美は十分間休憩を各々過ごす生徒達に紛れて教室に戻った。
素知らぬ顔で席に着こうとすると、からかい交じりの似非関西弁に引き留められる。
「――お帰り『雪の女王』。不良三人相手に、大層ご活躍なさったみたいやな」
――
『顔が良過ぎる双子』で有名な難原姉弟の姉にして、学年でも一、二を争う美少女……らしい。
他人の美醜に興味もない彩美にとって、そんな評価はどうでも良いが。
彩美と青は世間一般で言う所の、所謂友人――悪友のような関係である。
素行と成績は良くとも性格に難があり、同性のみならず異性からも(これに関しては海よりも深い事情があるのだが)敬遠される彩美と、唯一付き合う奇特な人物だ。
以前はもう一人、彩美に構ってくる者がいたのだが……彼女とは色々あり交友を絶って久しい。
「その渾名、止めろって言ってるでしょ」
「私は結構好きやけどな。『数多の男子生徒からの告白をすげなく断り、しつこい奴は氷のような瞳で一睨み。その冷たい目差しはまさに雪の女王!』めっちゃおもろいやん。何が駄目なん?」
「『面白い』って言ってる時点で、駄目でしょうが……」
青の言った通り『雪の女王』とは、入学当初男子生徒からの告白をバッサバッサ切り捨てていた所、いつの間にか付いていた不名誉な渾名である。
芝居掛かった口振りで、謎の前口上を述べる青に若干の苛立ちを覚えつつも、彼女とのこういう馬鹿馬鹿しいやり取りが、彩美は存外嫌いではなかった。
「――そう言えば青。アンタ、
いつだかに、紅と話している彼女の姿を見たことがある。
二人並んだ際の顔面偏差値の高さと、その親しげな様子を少々意外に思ったので、彩美の記憶にはしっかりと刻み込まれていた。
彩美の口から紅の名前が出ると、青は目付きを変えた。
「……それを聞いてどうするん?」
「そんなに警戒しなくても、別に何もしないわよ。どういう繋がりなのか気になっただけ」
「紅に興味があるんや?」
そう尋ねる青の目には様々な感情が見え隠れしていたのだが、彩美がそれを察することはなかった。
「彩美。悪いんやけど ……私はアンタのことは好きやけど、信用はしてないんや」
「上等ね。本人に言う、普通?」
「私は、私等は、紅が大切なんや。ただそれだけ」
「……青。アンタ、喜多見城が好きなの?」
彩美が珍しく気を利かせた小声のそれに、青はきょとんと目を瞬かせる。
じっくり一分熟思した彼女は、話の内容を理解するなり吹き出した。
「私が紅を? ないない! 天地がひっくり返ってもないわ! あくまでも友人としての話や!」
稀に見る青の爆笑に、彩美は言葉を失った。
唖然とする彩美を横目に、青は「あー、笑った笑った」と如何にも可笑しげに言うと、眦の涙を指先で拭う。
「うーん、そうやなぁ。……そんなに紅のことが気になるんなら、私にちょっと時間をくれへん?」
「気になるって言うか、一体何する気?」
「――まあ、気長に待っとってや」
青が意味深に告げると共に、四時間目の本鈴が鳴った。
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