第34755世界 雪の女王

雪の女王 I

※暴言、暴力表現、怪我の描写があります。これらが苦手な方はご注意下さい。






「見ろよ、『雪の女王』だ。おっかね~……」



「いくら頭が良くて美人でもなぁ、性格キツいのは嫌だよなぁ」



門螺かどにしさん、また学年二位だって」



「モテるし、成績良いからってお高く留まってんじゃない?」




 そんな下世話な噂話を右から左に聞き流し、彩美あやみはただひたすら目的地を目指す。

 だが廊下の一角で見た目からして馬鹿丸出しの不良共が、気弱そうな男子生徒をカツアゲしているのに気付いてしまった。


 しかも被害にあっている男子には見覚えがある。確か同じクラスの『藤垣ふじがき 月夜つきや』ではなかったか。

 平凡な顔立ちの割に名前だけが矢鱈と目立っていて、珍しく彩美の印象に残っていた。


 これはほんの気紛れ。――そう、ほんの気紛れだ。


 彩美は道を塞いでいる迷惑な不良生徒達に近付くと、 ただ一言「そこを退けてくれる?」と言い放った。



「……はぁ? 何だ、お前」



 三人いる不良生徒の内の一人――スキンヘッドに鼻ピアスの男が、訝しげに眉を寄せる。


 矢張見た目通り、頭が悪いようだ。


 なので馬鹿共彼等にも解るよう、彩美は先程の台詞を一言一句違えず、しかし聞き取り易いようゆっくりと言い直してやった。



「『そこを退けてくれる?』と言ってるの。廊下を塞いでいて、邪魔なのよ」



 ――プラス、嫌味のオプション付きで。



 ようやくその案山子のような頭でも理解出来たのか、色めき立った不良生徒達が、標的を月夜から彩美へと移す。


 すると唇にリング状のピアスを着けた金髪オールバックの男子が、だらしなく着崩した制服のポケットから折り畳みナイフを取り出した。

 凶器の輝きを見た野次馬が、悲鳴を上げて教室に逃げ帰って行く。

 ただのお人好しか、正義感を振り翳したいだけか。「先生呼んでくる!」と駆けて行く生徒の姿が、彩美の視界の隅を過った。



「……お前、よく見りゃ可愛いじゃん。そこで裸になって土下座して謝ってくれたら、許して可愛がってやらないこともないぜ?」



 へらへら笑う金髪オールバックの生徒に、ワックスで黒髪を針のように立たせた男子生徒が追従する。



「へへ、良いなぁそれ。自分で脱ぐのが恥ずかしいなら、俺等が手伝ってやるよ!」



 ……いつの時代のチンピラなんだ。

 こいつ等と話していると、馬鹿が感染うつりそうだ。

 呆れ返ってしまい、ついつい余計なことまで口に出してしまう。



「……アンタ達。本当、見かけ通り頭が悪いのね」



「――ンだとぉ!!」



 馬鹿は矢張単細胞なのか。

 いやいや、それは単細胞生物に失礼か。彼等は見た目にまだ可愛げがある。

 ナイフを持った金髪オールバックの生徒が、彩美目掛けて走り出した。その無駄の多い動きで解る。


 ――こいつは腰抜けだ。


 意気がって刃物を向けたは良いものの、周りの目があるため引くに引けなくなり、虚勢を張ったのだろう。見た目も合わせて、本当にダサい男だ。

 よってこの男に、彩美を刺そうとするまでの度胸はない。危害を加えようとする「振り」しかできないだろう。


 刹那、彩美の背後から風を切る微かな音がした。


 肩口まで伸ばされた彼女の明るい黒髪が、風圧で揺れる。

 弾丸のような鋭さで飛び出したのは――黒いスラックスに、学校指定の中履き。

 突き出された蹴りは、彩美の直ぐ側まで迫り来ていた男子生徒の顔面を直撃していた。


 彼は「ぷぎゃ」とも「ふぎゃ」とも付かない奇怪な悲鳴を上げて、廊下に転がった。

 この深冬黎明みふゆれいめい高校は全面リノリウムの床である。彼が廊下に倒れ伏す際、どこかを強打する硬く重い音が、彩美の耳にもはっきりと届いた。


 彩美は手――否、足を出した闖入者ちんにゅうしゃを顧みる。

 話したことはないが、彼のことは顔も名前も知っている。彩美同様、有名人だ。



 ――喜多見城きたみしろ くれない



 学年一位の成績優秀者にして、学年一の問題児。

 校内外での喧嘩は勿論、授業をサボる、学校をフケるのは当然。

 しかし無駄に要領が良いのか、警察の世話になったことはないらしい。


 絵に描いたような素行不良だが、本人自体はそんなこととは無縁そうな見目をしている。

 一見真面目ぶった、笑った試しもなさそうな怜悧れいりな美貌。

 光の当たり具合によっては赤にも見える、明るい黒髪。それは癖毛なのか天然パーマなのか、あるいは寝癖か。毛先が好き放題に跳ねている。

 そして右目には眼帯。噂によれば失明しているとも、人に見せられないような醜い傷痕があるとも聞くが、定かではない。



「え。何で学校に来てんの? 彼、停学食らってなかった?」



「うわ、あれ鼻折れてね? グロッ!」



「早く先生連れて来いって」



 悪趣味な見物人達の囁きが、細波を立てる

 大半の生徒はナイフを見た時点で教室に避難していたのだが、怖いもの見たさの馬鹿、しつこい野次馬というものはどこにでもいるらしい。

 


「――道を塞ぐな。邪魔だ」



 二重の意味で男子生徒の鼻っ柱を折った張本人である紅が、何事もなかったかのように淡々と言った。


 仲間を倒されて逆上したチンピラの一人――ワックスで髪を立たせた黒髪の男子生徒が「テメェ!」と、ワンパターンな動きで紅に殴り掛かる。

 馬鹿正直に真っ直ぐ振られた拳を、紅が最小限の動作でかわし、足払いを掛けた。


 お手本のような動きで物の見事に引っ掛かった黒髪の生徒が、床に熱いキスを捧げる。

 何とか起き上がろうとした彼の頭を、紅が勢いを付けて更に踏みにじった。かなり一方的な決着だ。

 彩美は足蹴にされた男子生徒の額が床に叩き付けられる衝撃を、中履き越しに感じた。



「邪魔だと言っている。頭だけじゃなく、耳も悪いのか?」



 先程と変わらない温度で、紅が告げる。

 仲間をことごとく蹴散らされ呆然としていたスキンヘッドの男子生徒が、情けない声を洩らしてその場に腰を抜かした。

 無様なそれに紅は鼻を鳴らすと、虫けらの如く足下でもがいていた男子生徒の頭を、再び強く踏み付けて気絶させる。



 そこに、ようやく数人の教師が姿を見せた。

 その内の一人は彩美とカツアゲの被害に合っていた藤垣 月夜の担任教師、桜井さくらい 明子あきこだ。

 彼女と共に現れた男性教師達が、不良三人を起き上がらせどこかへ連れて行く。

 一人は見るからに重傷なので、このまま病院行きだろう。


 どちらが加害者か分かったものではない死屍累々とした現場に、息を呑んでいた明子が我に返って紅を詰問した。

 捲し立てる彼女を、カツアゲの被害者たる月夜が「喜多見城君は悪くありません」と制する。

 彼がこれ程明瞭に話している所を、彩美は初めて目にした。


 紅は片眉を跳ね上げさせ、月夜に対し訝しげな視線を向けている。接点もない月夜に、何故庇われているのか理解出来ないのだろう。

 彼等はクラスも別々である上、どちらも社交性というものに縁があるタイプではない。彩美が言えた口でもないのだが。

 月夜から詳細を聞き終えた明子が、幾分か強い口調で紅を問い質す。



「喜多見城君、今の話は本当ね?」



「……」



 一切口を開かない紅に、普段は温厚な明子もさすがに痺れを切らしそうだったので、面倒だが一肌脱いでやることにした。感謝して欲しいものだ。



「――間違いありません。彼は、私と藤垣君を助けてくれたんです」



 彩美は紅と違って素行良い。

 よって彩美の言葉を信じて貰える可能性は、十分にあった。


 ――性格悪いが。


 それは十二分に自覚している。



「……そう、門螺さんが言うなら間違いないわね。三人共、怪我はない?」



 ……どちらかというと、怪我をさせた方かもしれない。

 すると紅が明子の問いを無視して、ふらりと歩き出す。



「ちょっと喜多見城君! 授業は!?」



 紅は騒ぐ明子を顧みることなく、そのまま立ち去った。

 明子は紅を追い掛けるべきか悩んだようだったが、この状況を何とかする方が先と思い直したのだろう。彼女は野次馬を散らすと、彩美と月夜にも教室に戻るよう指示を出し、職員室へと慌ただしく戻って行く。


 もう一度言うが、彩美は紅に次いで学年二位という成績優秀者でもあるし、素行も決して悪くはない。


 だがナイフを持った男子生徒に噛み付くといった一面があるように、詰まらない『ただの良い子ちゃん』ではないのだ。


 だから彩美は紅同様、教室とは正反対の方向に歩き出した。



「門螺さん、戻らないの?」



 凡庸な問いで引き留める月夜に「これだから詰まらない男は嫌いなのよ」と、彩美は内心あざけった。



「……自惚れないでよね。アンタをただ助けるためだけに、アタシがあんな目立つようなことをすると思う? ――屋上にはね、南側の階段からしか行けないのよ」



「え……」



「教師に何か言われたら『門螺 彩美は、体調が悪くて保健室に行きました』とでも言っておいて」



 彩美はこれ以上の詮索を避けるため月夜にヒラヒラと片手を振って、早足でその場を後にする。


 ぽつねんと取り残された月夜は、黒いプリーツスカートをひるがえし、蝶のように優雅な足取りで立ち去る彩美の後ろ姿を、深い憧憬の眼差しで見送った。

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