第???世界

終わりにして始まり

 久し振りに浮上した意識に、彩美あやみは安堵した。


 ――まだ生きていた。


 口元を覆う酸素マスクが邪魔で仕方がないが、今の彼女にとってはこれが命綱だ。



 ――いや、別に縋るようなものでもないのだが。どうせそう長くはない。



 彩美は少し角度が付けられたベッドで、首だけを左横にひねった。

 季節は秋だ。窓の外に見える木々の葉が、色付いて風に揺られている。



 そう言えば、落ち行く葉に自分の寿命を重ねて嘆く、女の物語があった。


 タイトルは何と言ったか。

 作者がオー・ヘンリーだったのは間違いない。


 物語の最後はどうなったのだったか。

 ……よく思い出せない。



 彩美は緩慢な動作で首を動かし、見慣れた天井を仰ぐ。

 まだ面会謝絶になっていなかった頃――あれは梅雨に差し掛かる時期だったか。

 クラスメイトだという同級生が、一度彩美の病室に訪れたことがある。一回も通ったことのない学校の、クラスメイトが、だ。



「その、君に寄せ書きを届けに来たんだ。学級委員長は俺じゃないんだが、委員長は部活が忙しくて抜けられそうにないみたいで……悪いな、同性の方が話し易かっただろうに」



 彼はそう言って、顔も名前も知らないクラスメイト達からの寄せ書きと、ここに来る途中で購入したと思われる手土産を差し出した。

 彼はほぼ一方的に話すと、十分程で退室した。変わった人だなと思った。


 そしてもう来ないだろうなという、確信があった。



 ――あった、のだが。



 彼は彩美の予想に反して、その翌週再度姿を見せた。

 今度は友人だという少年二人と、少女を一人連れていた。

 少年の片方と少女は双子だそうだが、背格好もほぼ同じだった。制服でなければ、全く区別が付かなかっただろう。


 彼等は皆クラスがバラバラだそうで、どういう経緯で友人関係を結んだのか、いっそ不思議な程に性格も異なっていた。


 学校の様々な話をしてくれる彼等の存在に、彩美は救われた。

 学校に行けない彩美を嘲笑あざわらっているんじゃないかとか、ただの同情じゃないかとか、どうせ独り善がりなナルシシズムだろうと、最初はそう思っていたのだが……彼等が見舞いに来た回数が両の指で足りなくなる頃には、認識を改めた。

 そもそも放課後の時間を潰してまで訪れてくれる彼等に、そんな意図は全くなかったのだろう。


 彩美が入院するのは、これが初めてではない。

 幼い頃は毎日のように付き添ってくれていた母も、入院の回数が増え、彩美の年齢が上がるにつれて、余り顔を見せてくれなくなった。

 一週間に二、三回程顔を見せて少し話しをすると、洗濯物を持って帰ってしまう。


 恐らく、彩美は人恋しかったのだ。


 だが彼等のお陰で、楽しい思い出を作ることができた。

 病院の白ばかりに飾り立てられた彩美の記憶を、彼等は様々な色で塗り潰してくれた。


 死ぬ前にもう一度位、会いたかった。


 最早彩美の命の蝋燭が燃え尽きるまで、面会謝絶が解かれることはないだろう。



 ――ラベンダーの香りを嗅いで、時を駆けることができたら良いのに。

 そうしたら、過去の彼等に会いに行ける。



 有名なSF作品を思い出しながら、彩美は己の非現実的な夢想に、酸素マスクの中で薄く笑った。


 駄目だ。眠くなってきた。意識が遠のく。

 でもどうしても、夢の中で位は彼等に会いたい。



 自分のことだから解る。

 ここで目を閉じれば、多分もう二度と、彩美が目覚めることはない。


 しかしその意思に反し、彼女の目に映る光はどんどん細く、小さいものになって行く。

 最後は深い暗闇へと、意識が沈んだ。


 その時、底無しの深淵に呑み込まれる彩美の手を、白い子供の腕が掴み上げた。


 白の少女と、黒の少女。


 ああ、これは夢だ。

 だって彼女達は――彩美が作った物語の中の、登場人物なのだから。



「……貴女達なら、私をここじゃないどこかへ連れて行ってくれる?」



 ――二人の少女が対照的な表情で、頷いた。





 第???世界 終わりにして始まり 完

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