第6話 黄丹は陰る②

 この屋上だけは、いつの世界でも変わらない。

 雨の気配を感じる生温い風を頬に受けながら、くれないはパック飲料に付属のストローを突き刺した。



「昨日の赤音あかねちゃんのカツカレー、美味かったなぁ」



「衣のサクサク具合が絶妙やったわぁ」



「ほんまに。あれは毎日食べられるわ」



 むらさきの昼食のパンがカレーパンだという話から、話題はいつの間にか赤音のカツカレーに飛んでいた。

 紅は二日連続同じものは食べたくない派なのだが、紫から言わせればカレーライスとカレーパンは全く以て別の存在らしい。

 味は同じじゃないかと言ったら、真顔で「黒姫くろひめ白姫しろひめ位違う」と言われた。


 ……彼女達でたとえるのは、色々と複雑な気持ちになるので止めて欲しい。


 昨日あれだけ落ち込んでいた赤音だが、あの後何事もなかったかのように紅達にカツカレーを振る舞った。


 赤音は幼い頃から剣道を習っている。今でこそ県大会で優勝するまでの腕前になったが、昔は試合に負けてばかりだった。

 その度に、一人物陰で泣きべそをかいていたのを紅は知っている。彼女は子供の頃から負けず嫌いで、泣いている姿や落ち込んでいる姿を見せない性質たちだった。


 恐らく山吹やまぶき達は、赤音がほんの直前まで涙を流していたことに気付かなかっただろう。

 ――現場を目撃した紅以外は。



「……ん、雨降りそうやね」



「そろそろ梅雨に入りそうやな」



 遠くの空に真っ黒な雲が見えた。あの雲の真下は雨が降っている最中だろうか。

 慌ただしく弁当箱を片付ける紫とあおを横目に、紅はパック飲料を飲み干した。



「雨に降られちゃ敵わんから、オレ等は戻るで」



「じゃあね紅、山吹。また放課後」



 二人は早口に言うと、さっと駆けて行った。

 その場に残された紅と山吹の間に、沈黙が降りる。それはいつもとは違い、張り詰めた緊張感があった。



「……何か言いたいことがあるなら、言ったらどうだ」



 淡々と、しかし挑発的な響きを持った紅の言葉に、山吹が一瞥をくれる。

 次いで、彼は時間を掛けて丁寧にセットしただろう髪を乱暴に掻き乱した。

 不機嫌な時や、言葉に悩んでいるときの山吹の癖だ。今回はその両方か。



「……み~ちゃんのことだけどさ、ちょっと性急過ぎやしないか? あ~ちゃんとの件もそうだし、赤音ちゃんに会わせたのもそうだ。何かお前、今回ちょっとおかしいぞ。何を焦っているんだ?」



「――山吹。俺達の存在は、一体何なんだろうな」



「は?」



「『門螺かどにし 彩美あやみ』の持つ『輪廻りんね』の代償は『使用する度に並行世界に関わる記憶を喪う』。彩美はもう既に、俺達とのことなど欠片も覚えていない。俺はから彼女を救いたくて……なのに、三万回以上も繰り返させてしまった。解らない。解らないんだ、山吹。様々な手を考えて、考えて、考えても、いつも覆せない何かに阻まれてしまう。本当は、彼女を救う手立てなんてないんじゃないのか? 俺達が繰り返す意味は――本当にあるのか?」



 包帯の巻かれた右手を見詰める。

 何度も何度も、目の前でこの手からすり抜けていくのを見続けて来た。


 ――だから、反応が遅れた。



 気付けば紅は胸ぐらを掴まれ、塔屋とうやの壁に押し付けられていた。



「――ふざけんなよ」



 色素の薄い、山吹の瞳と目が合った。

 山吹は紅よりも頭半分程背が高い。そのため、自然と彼を見上げる形になった。


 間近になった山吹の表情は、様々な感情が入り交じって歪んでいる。

 いつもなら柔らかい色を纏っている彼の眥が、今は怒りからか赤く染まっていた。

『前回』は憤りすら見せず、責任を取るよう青に冷静に迫った山吹が。

 彼がこんなにも感情を露にするのは、いつぶりか。



、言えた台詞じゃないのかもしれない。でも、それでも――お前だけは諦めないでくれよ」


「酷なことを言っているのは解ってる。お前の責任じゃないことだって解ってる。でも、お前だけは折れてくれるな。お願いだから、俺の希望であってくれ――紅。どうか、お前だけは」



 山吹の言葉は重ねて行く毎に細く弱々しくなり、最後は懇願の響きを以て彼の唇を震わせる。

 彼はくしゃりと顔を歪めると、紅の左肩に額を押し付けた。

 ふわふわとした金髪が紅の首筋を擽ると同時に、昨日の赤音を思い出す。


 すると、更にこの同い年の男が捨て置けなくなり、紅は苦笑して今や同じ高さにある山吹の頭にそっと触れた。

 彼の髪に指を通すと、包帯越しにでもさらさらとした指通りの良さを感じた。

 寝癖とは無縁そうな山吹の髪質に、少しだけ羨ましさを覚える。

 ただ黙って撫でていると、山吹が「俺はペットじゃない……」とくぐもった声で文句を言った。



「知っている。俺だって、こんなデカいペットはいらない。飼うなら、本物のゴールデンレトリバーを飼うさ」



「……それ毛色で言ってる?」



 山吹の肩が小刻みに震えた。笑っているのだろう。

 ただ、人の肩に顔を埋めたまま笑うのは止めて欲しい。首筋に当たる髪の毛がこそばゆい。



「……思えば、お前達とも長く過ごして来たな」



「本当に、下手したら家族以上だ。こんなに腐れ縁になるとは思わなかったよ」



 山吹はようやく顔を上げると「む~ちゃん達じゃないけど、雨が降りそうだから俺も戻るよ」と、彼は若干赤くなった瞳を隠すように視線を逸らしながら鼻の下を擦った。

 これは照れ隠しや、ばつが悪くなった時の山吹の癖だ。


 山吹だけではない。

 青や紫、そして彩美の癖すら、紅は熟知している。

 それだけの長い時間を、彼等と共に過ごして来た。――否、過ごさせてしまったのだ。

 屋上から去る山吹の背中を見送り、紅は空を仰いだ。


 いつの間にか黒雲が立ち込めている。

 雷雨になるかもしれない。


 ――そういえば、『前回』もこんな風に終わりを迎えたのだったか。


 あの時は場違いにも、溢れ落ちる世界の欠片に雪を重ね見た。

 その隣には息絶えた彩美。彼女に手を下したのは、他でもない紅だった。



「――お前とならば、この繰り返しを終わらせることができると思っていたんだがな。彩美」



 この心の内を知っているのは紅と、前回の『門螺かどにし 彩美あやみ』の抜け殻だけだ。

 今――この『34756世界』の『門螺 彩美』は、一切知りもしない。


 山吹達が紅に何を求めているのか、解っているつもりだ。

 それでもただ、虚しい。そう、空しかった。



 ぽつぽつと雨が振り出し、屋上を斑に染め上げる。

 屋上一面が色を変えていくのを紅は濡れるのも厭わず、連続する雨音の旋律にしばし耳を傾けた。






 第6話 黄丹は陰る 完

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