第5話 茜差す君の横顔③
我が物顔で
紅の部屋は本棚ばかりが目立ち、あとはローテーブルと、勉強机、ベッドがそれぞれ置かれている。部屋は結構広い。八畳程はあるだろうか。
雑貨や小物等は一つもなく、極端に物が少ないためか寒々しく思えた。
「紅の部屋、来る度に本が増えてるんよね」
乱読のようにも思えるが、よくよく見るとジャンルが偏っている。
時代小説、ミステリー、ファンタジー、SF……他のものに較べたら明らかに少ないものの、若干の現代もの。恋愛ものは一冊もない。
紅がどんな顔して恋愛小説を読むのか気になって夜も眠れなくなってしまうので、逆に置いてなくて安心した。
「オレは本読むの苦手やから、本当凄いよな。教科書でも眠くなってくるわぁ」
からから笑う
逆に彩美の友人の
「――すまないが、両手が塞がっているんだ。開けてくれないか」
扉の向こうからくぐもった紅の声が聞こえた。
ドアの一番近くに座っていた紫が、素早く立ち上がる。
人数分のグラスとお菓子を盆に乗せた紅が慎重な足取りでやって来ると、それをテーブルの上に置いた。
「いつも思うんだけどさ。紅の家って、突然来てもきちんとしたお菓子が出せるの凄いよな。うちは母さんの煎餅位しかないぜ?」
目の前に出された高級そうなバウムクーヘンを見詰め、山吹が独り言のように言った。
「来客が多いからな。何かしらは買い置きするようにしてる……
「赤音ちゃん、本当にいつどこに嫁に出しても恥ずかしくないわ」
バウムクーヘンが乗った皿を配る紅を手伝いつつ、青が感心して頷く。
グラスの中身はアイスティーか。紅茶の爽やかな匂いが、ふと鼻を掠めた。
「カツカレーは、もう少ししたら出来るから待ってて欲しいとのことだった」
「何か急かしたみたいで、赤音ちゃんに悪いことしたな」
「いや、言い出しっぺは俺だからな」
「なら、少しでもカロリーを消費するために宿題やらん? 何や、ちゃんとした学生らしいわ~」
「いやいやむ~ちゃん、俺等一応学生だよ」
紫ががさがさとリュックサックを漁り、宿題を取り出した。
「紅、日本史の教科書持っとる?」
「ああ。忘れたのか?」
「オレ、基本的に置き勉やから」
「紫は家でも私から借りるんやで。勘弁して欲しいわ。置き勉はするなって言っとるのに……」
「でも俺、む~ちゃんの気持ちも解るよ。俺もテスト前位しか、教科書持って帰って来ねぇもん。いちいち持ち帰るの重いじゃん?」
紫に倣い、山吹と青も己の鞄から宿題を取り出す。
仕方ないので、彩美も英語の教科書を取り出した。
五人でローテーブルを囲み、顔を突き合わせて宿題を始める。紫ではないが、学生らしい。
彩美を含め、ここにいる面子は皆帰宅部だ。部活動の醍醐味、汗と涙の青春とは全く縁のない人種なので、一際そう思うのかもしれない。
合間合間にバウムクーヘンとアイスティーを楽しみつつ、黙々と宿題を片付ける。
……いつ言おうか悩んでいたのだが、そろそろ耐えられない。
「……
「部屋を出て右手に行った所の、突き当たりだ」
紅の指示に頷き、言われた通り部屋を出て右手に折れる。
新築特有の木の香りだ。そう言えば紅が二ヶ月遅れで編入になった理由は、家が火事になったからだと言っていたか。
彩美の家は洋風の造りなので、こういった日本家屋は新鮮である。
これだけ大きい家だ。姿は見掛けていないが、祖父母も暮らしているのだろうか。紅の家は段差がなくバリアフリーで、廊下やトイレの中にも手摺が付いていた。
用を足し終えて紅の部屋に戻ろうと一歩踏み出すと、彩美の耳が「うわっ!」という悲鳴を捉える。
廊下の左手からだ。
人様の家の中を勝手に
「あ~……やってしまったな」
それは庭先から聞こえてきた。
縁側の引き戸を盾に様子を窺うと、和装の男性が倒れている。
「だ、大丈夫ですか……!?」
焦りから、柄にもなく上擦った声が出てしまった。
置いてあった突っ掛けを拝借し、彩美は男性の下に駆け寄る。
「君は……紅の友達だね、いらっしゃい」
上体を起こしながら場違いにも程がある挨拶をしてくる彼に、彩美は心の中で「いや、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ」と突っ込みを入れた。
「すまないが、そこの部屋から杖を取って来てくれないかい?」
男性が指差す方向には、襖があった。
彩美は頷き、小走りでその部屋へと向かう。突っ掛けを放り出してしまったが、緊急事態だ。ご容赦願いたい。
襖を開けると、そこは書斎のような雰囲気の和室だった。艶のある飴色の卓の直ぐ側に、黒い杖が置かれていた。
彩美はそれを引っ掴み、男性の下へ蜻蛉返りする。
「これですか?」
「ああ、ありがとう。駄目だね、今までの感覚が抜けなくて」
男性が杖を使って立ち上がろうとしたため、彩美は一声掛けてその身体を支えた。
彼の足の片方、左足に全く力が入っていないことを察したのだ。
「助かったよ、すまないね」
ようやく落ち着いて見ることのできた男性の顔は、紅そっくりだった。
恐らくは彼の父親なのだろう。親子揃って線が細く、病弱そうな見た目をしている。
更に彼に至っては飄々とした態度もあってか、年齢不詳感に拍車を掛けていた。
「私は紅の父親の、
「はっ、はい。
「そうか、君が……紅から話は聞いているよ。改めて、助けてくれてありがとう」
朱巳は彩美に頭を下げると、縁側を指し示した。
「……良かったら、少しだけ話し相手になってくれないかい? この暇人のためを思ってさ」
特に親しくもなく、むしろ脅しを受けているにも等しいクラスメイトの家で、何故かその父親と二人、彩美は縁側に腰掛けていた。
……本当に、自分でも何を言っているのか全くもって意味が解らない。
「もう半年近くは前になるんだが、家が火事になってね。その際に負った怪我で片足が使い物にならなくなってしまって、歩けていた時の感覚がまだ抜けていないんだ。短い距離は、ついつい杖なしで動き回ってしまう。さっきそこに野良猫が入り込んでいたから構おうとしたんだが……そうしたらこの様さ。面目ない」
転んだ理由が大分下らなく、彩美は肩透かしを食らった。
「紅が『
核心を突かれ彩美は動揺を露にすると同時に、紅の火傷痕が父親を庇ったものだと知り、胸が苦しくなった。
そしてまさかあの荒唐無稽な話を、父親にまでしているとは思わなかった。それを絵空事だと笑わず、信じている朱巳にも驚愕する。
溢れそうな程に目を丸くする彩美に、朱巳が首を微かに傾けて微笑んだ。その仕草には見覚えがある。
――紅の常套手段だ。
顔の良さもこのあざとい仕草も、全て父親譲りらしい。
……思考がとっ散らかっている。自分でも信じられない程に、心が揺れていた。
「私と赤音は君達の事情も、並行世界についても知っているよ。青君の能力『
「……何故、その必要が?」
彩美の問いに、朱巳は動かない左足を擦った。
「――紅の能力『因廻』は、引き受ける怪我の大きさによっては死に至る可能性もある。その時に、何も知らないまま紅を失いたくなかっただけさ。私も、赤音もね。私達の自己満足だ……それで私が庇われていては意味がないが」
朱巳が自嘲した。
彼の言い分は、彩美にも少しだけ理解できる。
「紅の母親……私の妻は紅を生んで直ぐに亡くなってね。母体を優先するか子供を選択するか、医者に迫られた。彼女は迷わず子供を選択したよ。……私にはもう、紅しかいないんだ」
庭の一点を見詰めていた朱巳が、彩美に視線を移した。
やはりその顔立ちは、紅とよく似ている。
「どうか終わらせてくれ。君達が――この繰り返しを」
「『繰り返し』……?」
どういうことだ。並行世界ではないのか?
繰り返しとは、一体――。
「――ここで何をしているんです、門螺さん」
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