第5話 茜差す君の横顔②


「……行くか」



 放課後。クラスメイト達が出払ってから、いつぞやのように彩美あやみくれないは共に教室を出る。

 示し合わせた訳ではないが、自然とそうなってしまった。



吾妻屋あづまや難原なんばら兄妹は?」



「玄関前にいるそうだ」



 スマートフォン片手に、紅が素っ気なく告げる。



「その、『赤音あかねちゃん』とやらの許可は取れたの?」



「……」



 紅が無言でスマートフォンを見せて来た。メッセージアプリの画面が表示されている。

 覗き込むと、夕焼け空と紅葉のアイコンが並んでいる。

 夕焼け空のアイコンが、恐らく件の『赤音ちゃん』のものだろう。

「解りました」の文字の後ろに、笑顔の顔文字が一つ……何と言うか、絵文字の圧が凄い。



「俺の企みがバレた。……近々また重箱弁当だ」



 紅葉のアイコン、こちらは紅のものだ。

 彼は、猫がデフォルメされた可愛らしい「ゴメン」のスタンプを送っていた。



(付き合いたてのバカップルじゃないんだから……)



 彩美は呆れと馬鹿馬鹿しさの入り交じった微妙な気持ちを抱えながら、玄関前で山吹やまぶき、難原兄妹と合流した。











 四人でぞろぞろ学校を出ると、向かったのは坂道を下りて直ぐのバス停だ。



「アンタ、バスなの?」



「ああ。最寄り駅から大分離れているんだ。深冬みふゆ町と、扇原おうぎはら町のほぼ中間辺りに家がある」



 扇原町は隣町だが、ここ深冬町以上に田舎である。更に扇原駅は辺鄙な所にあり、無人駅だ。



「幸いバス停は家の近くにあってな。それでバス通学になった」



「何か遠足を思い出すよな!」



 そんなことを話している間に、バスがやって来た。

 乗客は全くおらず、つい「いつもこんななの?」と紅に尋ねると「時折年配の方が乗っている。黒飴を貰うんだ」と返された。



「うちの神社にもさ、いつも参拝に来るお婆ちゃんがいるんやけど……何でお爺ちゃんお婆ちゃんがくれる飴って、黒飴か薄荷飴なんやろ」



「む~ちゃんのそれ、めっちゃ解る。そこに塩飴もランクインしない?」



「あぁ~!!」



 矢鱈盛り上がる山吹とむらさきだが、祖父母が遠方に住んでいる彩美には少々解り辛い感覚だった。






 そしてバスに揺られること十五分。

 紅が停車ボタンを押したのは、人通りどころか車通りすら全くないバス停だった。


 掘っ立て小屋のような待合室は使われなくなって久しいのか蜘蛛の巣が張り、どんよりとした空気を醸し出している。

 バスを降りると、紅は中央線すら引かれていない道路を横切って、田んぼを右手にすたすたと歩いて行ってしまう。

 山吹や難原兄妹が慣れた様子で紅の後をついて行くので、彩美もそれに従った。


 彩美は深冬町でも町内まちうちに住んでるため、田舎とは謂えどもそこまで不便さというものを感じたことがない。同じ町でも、少し外れるとここまで雰囲気が変わるものなのか。



「……狸でも出そうね」



「何なら猪も出る」



「そういや前に、電車に猪がぶつかって運転を見合わせたことがあったな」



「猪が可哀想やね」



「あ~ちゃん、心配するのはそっちかよ!?」



「赤音ちゃんのカツカレー、楽しみやんなぁ!」



 思い思いに話していると、紅が田んぼの畦道に足を向けた。

 これでは車は進めまい。一体どうやって生活しているのか。

 訝しげな彩美の視線に気付いたか、紅が「近道だ」と短く言った。


 道すがら問答無用で飛び出してくる蛙に彩美はいちいち悲鳴を上げ、その都度足を止めながら進む羽目になった。


 ――もう絶対に、紅の家には来ない。


 彩美は固く決意した。






 石畳の階段を上がって行くと、突然彩美の視界に大きな屋敷が飛び込んで来た。

 武家屋敷のような構えだ。二階はなく、平屋建てらしかった。

 紅はこれまた大きな門に備え付けられた、勝手口にも似た一回り小さい扉を開けると、するりと身を滑り込ませる。


 踏み入った庭も広い。掃除が行き届き、きちんと除草もされている。

 小さな池や石灯篭が見受けられる庭は、テレビ等で観るお高い料亭を想起させる。

 今にも枯山水や鹿威しが現れても、至っておかしくはない。


 案内された玄関も大きかった。

 紅が制服の胸ポケットから家の鍵を取り出すと、硝子張りの引き戸を開ける。



「適当に上がってくれ」



 早速「お邪魔しまーす」と山吹、紫がそそくさと靴を脱ぐ。きちんと揃える辺り、礼儀作法が意外としっかりしている。

 あおが二人に続き、彩美も靴を脱いでいると、廊下の奥からぱたぱたというスリッパの軽い音が近付いて来た。



「――お帰りなさい、紅お兄様」



 「お兄様……?」と思いつつ顔を上げると、ベージュのニットベストに灰色のプリーツスカートを纏った、深冬中学の制服の少女がエプロン姿で立っていた。

 少女の赤みの強い髪が、ほっそりとした顎のラインで柔らかく揺れる。きりっとした目元と、短い眉毛が印象的だ。

 どことなく紅に面差しが似ていて、親戚というよりは兄妹に見える。



「赤音ちゃん、久し振り~」



「久し振りやな、赤音ちゃん。お邪魔してます」



「久し振り。赤音ちゃん、元気やった?」



 赤音が「お久し振りです、皆さん」と言って、山吹、青、紫の声掛けにそれぞれ答えながら朗らかに笑う。



「ただいま、赤音。……その、急に悪いな」



「いいえ、お肉はたっぷりありますから。そう、たっぷり」



「……」



 先手を取って謝った紅だったが、赤音の怒りを収めるまでには至らなかったらしい。彼女の怒気を感じてか、紅は無言で引き下がった。


 その時、赤音と彩美の視線がふとかち合った。


 一瞬、赤音の目が憎しみにも嫌悪にも付かない複雑な色を宿し、すっと細まる。

 しかしそれはほんの些細な変化で、彼女は直ぐに人の良さそうな笑みを浮かべた。



「……お邪魔してます、初めまして。門螺かどにし 彩美あやみです」



「ええ、北澤きたざわ 赤音あかねです、よろしくお願い致します」



 彩美は眉を顰めた。彼女の口振りが、いやに挑発的に感じたのだ。

 彩美と赤音。二人の間に漂う一触即発の空気に、皆自ずと黙り込む。



「……赤音。こいつ等に飲み物を出したいんだが、台所には入っても大丈夫か?」



「えっ、あ、大丈夫ですよ! 私もお手伝いしますね!」



 頷いた紅は、山吹へと目を向けた。



「先に俺の部屋に行っててくれ。……漁るなよ」



「それフリじゃん! 了解、じゃあ先に行ってるな」



 勝手知ったるという足取りで、先陣を切る山吹の後に続く。

 廊下の角を曲がる際に紅を振り返ったが、彼は背中を向けて赤音と何事か話していて、その表情は窺えなかった。

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