第5話 茜差す君の横顔

第5話 茜差す君の横顔①


「――ってな訳で、河本かわもと精肉店のメンチカツを所望する!」



「どういう訳だ。……それと、今他の食べ物の話は止めてくれ」



 毎度屋上の塔屋とうやの陰で昼食を広げ、山吹やまぶき難原なんばらが昨日の並行世界の者達との戦闘についてくれないに報告するのを、彩美あやみは弁当の春巻を咀嚼しながら聞いていた。

 どういう流れか、昨日彩美が帰った後に『紅にメンチカツを奢らせる』という話になったらしく、今は山吹がその交渉をしている。

 食が細い紅は小さな弁当箱の中身を片付けるのに必死で、メンチカツと聞いて更に苦しそうな顔をした。腹が一杯なのだろう。女子か。


 ちなみに河本精肉店というのは深冬黎明みふゆれいめい高校の坂を下りてしばらく行った、深冬駅の方角に向かう道の途中にある。

 昔ながらの精肉店で、寡黙な店主と気の良い女将の二人で経営している。

 部活動の盛んな深冬黎明高校の生徒達、特に運動部の生徒は、帰り道にこの肉屋でメンチカツを買うのが楽しみの一つでもある。


 片田舎にある深冬黎明高校の主な通学路には学校帰りに遊べるような場所もなく、あるのは十分程歩いた所に店を構えるスーパーと、学校から二キロ程離れた場所にある深冬駅だけだ。しかも電車は一時間(時折二時間)に一本しか走っていない。


 それ以外は、河本精肉店のような個人経営の店のみがぽつりぽつりと点在している。

 あと深冬黎明高校の生徒達の買い食いで人気の店は、関本せきもと和菓子店という穏やかな老夫婦が経営している和菓子屋だ。ここは大福が美味い。



「……で、メンチカツの話だが」



 ようやく昼食を全て腹に収めた紅が、弁当箱を片付けながら話を再開させた。



「今日、河本精肉店は定休日だろう」



「――あっ、今日木曜日か! マジか~。俺、今メンチカツの口なのに……!」



 山吹はオーバーに嘆くと、悔しげに拳を握り締めた。余程食べたかったらしい。



「しくじったなぁ、山吹。そもそも、紅が昨日おらんかったから悪いんやん」



赤音あかねの約束が先だったからな。反古にもできんだろう」



「良いのは買えたん?」



「お一人様一パックの卵が安かったみたいだが……その辺りは赤音に任せ切りだから、詳しくは知らない」



 ……喜多見城きたみしろ家は、親戚の少女に家計を任せ過ぎではないだろうか。

 そういえば、紅の口から母親の話を聞いた試しがない。もしかすると複雑な事情がある家庭なのかもしれない



「メンチカツの代わりと言っては何だが……今日、うちの夕飯はカツカレーだ」



 眉間に皺を寄せて話す内容ではないはずなのだが……。

 想像だけでも食事を入れたばかりの腹には厳しいものがあるのか、紅が重々しい口調で言った。

 反対にコンビニのお握り三つとパン二つを平らげたむらさきの目が、キラリと光る。



「だが、昨日赤音が購入した五切れ入りのヒレカツは三パックだ……言いたいことは分かるな?」



「食べに行って良いん!?」



 食い付く紫に、紅が深刻な顔で頷いた。



「むしろ来てもらわなければ困る。このままでは明日の晩もカツカレーだ。赤音は俺と父の食の細さを心配してくれているんだが……如何せん作り過ぎる。協力してくれ」



「でも急に行っても大丈夫なん?」



 食欲の塊たる紫を制しつつ、あおが至って常識的なことを尋ねる。



「赤音には連絡しておく。今日は部活が休みらしいからな。あちらの方が帰るのは早い」



「やったー!カツが食える!」



 ハイタッチし合って盛り上がる紫と山吹に、紅がやれやれと首を竦めた。



「生憎メンチカツではないがな」



「しかも作るの赤音ちゃんやしね」



 青の冷静な突っ込みを聞き流していると、紫が彩美との距離をぐいっと詰めて来た。

 巻き込まれないように存在感を消していたのだが、無駄だったようだ。



「彩美も行くやんな?!」



「私は……」



「赤音ちゃんの料理、美味いで!」



「私、難原兄妹アンタ達みたいに大食いじゃないし」



「……門螺かどにしはん、今私のことも数に入れたやろ。聞き捨てならんなぁ」



「良いのか彩美、行かないなら奥の手を使うで! ……紅が!!」



 突然話の矛先を向けられた紅が、腹を擦りながら「俺がか」と呆れた口調で言った。



「そうだな。じゃあ、また教室で言うか。どちらが良い?『一緒に帰ろう』と『良かったら家に寄ってく?』の。選択肢は与えてやる」



「……それ、ダブルコンボも手だな!」



「嫌やわ、二人して悪どい顔して」



 無表情でえげつないことを言う紅と、それに対しけらけら笑う山吹は、最早悪魔の化身にしか見えなかった。

 教室でそんな発言をされれば、高校一年目の六月にして彩美の学校生活は終わりだ。


 青は口では優等生のようなことを言っているものの、実際に彩美を庇うことはしないだろう。彼は基本的に、紅や山吹の味方である。

 彩美は悔し紛れに歯軋りをしそうになるも何とか耐え、「……行くわ」と告げた。



「み~ちゃん、めっちゃ嫌そうなんだけど。ウケる」



「やった、彩美も来るんや! 楽しくなりそうやな!」



 今までのやり取りの、どこをどう見てその発言が出て来るのか。

 満面の笑顔を浮かべる紫に「都合良過ぎない、アンタの目は節穴なの」と暴言を吐き掛けたが、青の笑っていない瞳と目が合ったため、すんでの所で呑み込んだ。


 何がそんなに嬉しいのだろう。

 しつこく纏わり付く紫をかわすのが面倒臭くなり、彩美は空を見上げた。

 まだ梅雨の気配は感じられず、憎々しいまでの青空だった。






「アタシ用事があってここ最近一緒にお昼食べれてないけど、彩美が喜多見城きたみしろ達と食べてるって聞いて……大丈夫か? 脅されてないか?」



 紅と時間をずらして教室に戻ると、友人である悠陽ゆうひが心配そうに彩美の席にやって来た。



「……脅、されてはないわよ。別に、私を脅したってしょうがないでしょ」



「何か言い淀んでないか?」



「気のせいじゃない?」



 五時間目の本鈴が鳴ったため、悠陽は「なら良いんだけど……」と渋々ながら引き下がった。

 自分の席に戻る彼女の後ろ姿を目で追い、彩美はほうと息を吐く。


 悠陽は成績が悪い割に、察しが良い所があって心臓に悪い時がある。本能で生きているようなタイプだから、恐らく野生の勘のようなものなのだろう。

 英語の教師が教室に入って来るのをぼんやり眺めながら、彩美は教科書を広げた。

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