第4話 紫苑色の時を想う③


「――田彦たひこ!!」



 威勢の良いその声は、彩美あやみの背後から響いた。


 みことの隣に、狐の耳を生やした青年が降り立つ。

 田彦と呼ばれた青年の黒い腕貫に包まれた二の腕は、うっすらと筋肉が付き均整が取れている。

 彼の手に握られた采配が棚引き、白い軌跡を残す。


 青年の切れ長の目が、ちらりと彩美に視線をくれた。

 その左目下には泣き黒子があり、持てる雰囲気は矢張命と似通っている。


 彼の身を包む枯れ草色の袖のない着物に、どこか既視感があった。

 あれは――そうだ。よさこいを踊る時に着る衣装に似ているのだ。

 連鎖的に、小学生の頃強制参加させられた地区の祭りを思い出し、彩美は苦い顔をした。

 

 田彦が采配を振るうと、なびく紙幣に炎が纏わり付く。

 炎はみるみる内に球状へ変化し、田彦の周りで踊り狂う。

 そこにすかさず命の手が狐を形作ると、炎は突然姿を変え、鳳凰にも似た大型の鳥へと変化する。

 命の狐火からは感じなかった凄まじい熱気が、彩美の頬を舐めた。



『『合技あわせわざ――狐火波山きつねびばざん』』



 命と田彦の合技が、ナイフを持った男子生徒とクロスボウを持つ女子生徒の二人を呑み込んだ。

 弾ける火花に、彩美は腕を掲げて顔を覆う。閉じた目蓋の裏で、白い光がチカチカと瞬いた。



「――ま、あれも幻なんやけどね」



「……は?」



 いつの間にか彩美の隣を陣取っていたむらさきが、あっけらかんと言った。



「命がくらますんは、人間の視覚と嗅覚。田彦が騙すんは、痛覚と触覚や」



「……更に本物らしい幻を見せるってことね」



「それでええんや。オレ等だって、別に殺したい訳やないからな」



 まるで紫の言葉を合図とするように、二人の生徒を包んでいた炎は瞬く間に消え失せた。

 倒れ伏す彼等は気絶しているのか、動く素振りも見せない。

 それを見届けたあおがほっと安堵の息を吐き、彩美達を顧みた。



「紫、助かった。おおきにな」



「間に合って良かったわ~」



 似非関西弁でポンポン交わされる会話に辟易していると、視界の隅で何かが動いた。

 青が投げ飛ばした、ナックルダスター使いの男子生徒だ。

 ふらふらと立ち上った彼は鬼気迫る顔で青の背中を睨み付けると、右腕を振り上げて猿叫を上げた。



「――難原なんばら!!」



 彩美の警告に青がはっと振り向くが、拳が下ろされる方が速い。

 反射的に目を閉じた彩美の耳に、ボグッという鈍い音が届く。




「――ピッチャー第一球、投げましたぁ! イェーイ、ホームラァン!!」



「いやいや、そっちはバッターやん?」



 そんな間抜けな会話に、彩美は恐る恐る目を開けた。

 いつの間に駆け付けていたのか。そこにはガッツポーズを取る山吹やまぶきがいた。

 青に襲い掛かろうとしていた男子生徒は、何故か大の字で倒れている。

 すると彼の近くで、この場に似つかわしくない野球ボールがコロコロと転がった。



「ボール……?」



 訳も解らず野球ボールが転がる様を呆然と眺めていると、それは景色に溶けるように姿を消した。



「消えた……」



「俺の能力『刹羅せつら』だ」



 彩美の呟きを捉えた山吹が、所謂ドヤ顔で鼻を鳴らす。



「……アンタの力って『武器』を創るんじゃなかった?」



「甘いな、み~ちゃん。硬球は十分武器になり得るんだよ……」



 野球ボールに何かトラウマでもあるのか。

 真顔で言われ、彩美はどこか納得がいかないながらも頷いた。



「――すまん。おおきに、山吹」



「災難だったな、く~ちゃんがいないタイミングでこれとは」



「今日は特売の日やからな。紅、今頃赤音あかねちゃんと買い物でもしてんとちゃう?」



 今の今まで並行世界とやらの相手と戦っていたとは思えない緊張感のないやり取りに、彩美は呆れ返って物も言えない。

 取り敢えず、死屍累々と倒れ伏す三人の生徒達を指差した。



「……ねぇ、あれどうするの。このままにする訳?」



「あぁ。あれはな、『回収』されるんだ」



「『回収』?」



 眉を跳ね上げ「『回収』なんて、ゴミみたいな扱いね」と頭の片隅で思いながらも、山吹に尋ね返した。



「そ。見ててみ」



 彼が指差す方向に視線をくれると、横たわる生徒達の姿がすうと薄くなっていく。

 ――そしてどんどん景色と同化していき、最後は見えなくなった。



「消えた……?」



「多分、黒姫くろひめの力なんだとは思うんだけどな。どういう仕組みなのか、並行世界に関わる事象で『こちら側』に害がある場合は、あんな風になかったことになるんだ。例えば備品とかを壊しても、そこに並行世界が関わっていれば元通りになる。そうでもなきゃ、普通は大騒ぎだよ。こんだけ大立ち回りしてる訳だしな」



 彩美と山吹の会話を他所に、自由気儘な狐二人がとことこ近付いて来たかと思うと、その片割れたる命が欠伸交じりに言った。



『――青、わらわ達は帰るぞ。もう疲れたのじゃ』



『紫、またね』



 彼等の輪郭がぼんやりと崩れ、瞬きの間にすらりとした狐の姿に変わる。

 二匹は「こーん」と一鳴きすると窓硝子をすり抜けて、流星の如き速さで東の方角へと去って行った。



「狐になった……」



 色々なことが起こり過ぎていて、頭がおかしくなりそうだ。


 これは現実なのか。


 本当は布団の中で夢を見ていて、彩美はまだ眠っているのではないだろうか。



「ウチ、神社なんや。稲荷神社。あの二人は荼吉尼天だきにてんに仕える眷属なんやて」



「神様ってこと……?」



「そうなるんやろか? あんまり深く考えたこともないわ。こんな小さい頃から会うてたし。親戚の伯父さん、伯母さんみたいなもんやな」



「こんな」と親指と人差し指で示す青におっさん臭さを感じつつ、彩美はくらくらする頭を押さえた。

 夢なら覚めて欲しい。夢じゃないのなら、直ぐさま家に帰って寝たい。



「――って言うか、山吹はどこで何してたんや?」



 紫が不思議そうに小首を傾げた。

 彼のこういう所が、女子生徒達の人気の一つなのだろう。



「いやぁ。屋上でゲームやってたら、いつの間にか居眠りしててさ~。びっくりだよな!」



「そりぁ電話も出ない訳やな……」



 青が肩を竦め、続け様に彩美を真正面から見詰めた。



「――門螺かどにし


は何も知らないアンタに、自分の行き場のない感情をぶつけてしまった。自分で折り合いを付けるべきだったものに、アンタや紅を巻き込んだ……悪かった」



 お手本のような礼をした青の毛髪が、動きに沿ってさらりと流れた。

 「頭を上げろ」や「別に気にしてない」など、言うべきことは沢山あったのだが、彩美の口を突いて出たのは



「『学年で一、二を争う美少女』が『俺』……?」



 という、どこぞのライトノベルのタイトルのような台詞だった。



「み~ちゃん、ラノベじゃないんだから」



「あれ、青。バラしてしまってええの?」



「どうせ今後もつるむんだろうし、俺等が動き易い方が良いだろ」



「ふーん。なら良いけどな」



 パクパクと口を金魚のように開閉する彩美を見兼ねてか、紫が「等、性別を偽ってるんだよね」と笑う。

 何が何だか解らず、彩美はぐちゃぐちゃした思考の中で、青を指差した。



「……アンタが男?」



「そうだな」



 眼前の清楚系美少女が、今までの声はどこから出していたんだというレベルの、がっつりとした男声で言った。

 彩美は「……ふーっ」と息を吐きながら、次いで紫を指差す。



「アンタが女」



「そうだな!」



 学年の女子生徒達の母性本能を擽る、弟キャラ系美少年が可愛らしい少女の声でハキハキと答えた。

 そして彩美の出した結論は、余りに冷静さを欠いたものだった。



「それにしては胸なくない……?」



 それを聞いて、山吹が真っ先に突っ込みを入れた。



「ちょっ……! み~ちゃんどこ見てんの!」



「失礼だな、晒しに決まってるだろ。ほら!」



 紫は彩美の手を掴むと、学ランの上から己の胸に触れさせた。

 青は素早く山吹の目を覆い、己は目を伏せていた。さすがのシスコンっぷりだ。

 更に混乱を極めた彩美はポツリと、



「……これ、晒し要らなくない?」



 という問題発言をしてしまい、紫に背中を叩かれた。

 ちなみに山吹はそこで吹き出してしまい、青の鉄拳を食らっていた。

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