第4話 紫苑色の時を想う②

 昼休みの出来事が何とも気不味く、昨日同様放課後に何か声を掛けられたらどうしようかと身構えていた彩美あやみだったが、くれないは何やら用事があるのか放課と共にそそくさと姿を消した。

 ほっとする反面、気にしているのがまるで自分だけのような理不尽な気持ちになり、内心複雑だった。



(帰ろ……)



 納得のいかない、何とも消化不良の思いを抱えつつ、彩美はスクールバッグを肩に掛けた。

 悠陽ゆうひの姿は既にない。彼女はいつものように、ホームルームが終わると同時に教室を飛び出して行った。

 それ程までに熱中できるものがあって、少しだけ羨ましいとは思う。


 廊下に出ると、無表情のあおがひっそりと立っていた。

 まるで幽鬼のようで、彩美はびくりと肩を跳ねさせる。



「……何突っ立ってんのよ、そんな所で」



 驚いたのがバレないよう取り繕った言葉は、つんけんどんな言い方になってしまった。


 しかし青は怒るでもなく彩美をじっと見詰めると「……お昼はごめん」と、珍しく似非関西弁を用いずに言った。

 これ程素直に頭を下げられると、片意地を張っている自分の方が馬鹿馬鹿しく感じる。

 彩美は大きく溜め息を吐くと「気にしてないわ」と言い残し、歩き出した。


 その背中に、青の声が掛かる。



「『必要があれば殺す』って紅は言っとったけど、私等が手に掛けたのは……後にも先にも、一回だけや」



「……」



 彩美は踏み出そうとした足を止め、首だけで後ろを振り返る。

 真っ直ぐに彩美を見る、青の澄んだ瞳と目が合った。



「――なあ、門螺かどにしはん。アンタに大切な人はおる? アンタは、大切な人を手にかける気持ちが解る? 殺すことでしか、その人を止められない……その気持ちが、解るか?」



 疲れたように笑う青の表情は、同い年とは思えない草臥れた雰囲気があった。

 これは白姫しろひめ、そして紅や山吹やまぶき、時にはむらさきにも共通しているものだ。



「――解らないわよ。そこまで狂おしく、他人を大切に思ったことなんてないもの」



「……はは、そうやろうね。やっぱり彼女は 、『あの彩美』は――……」



 青が自嘲めいた笑みを溢す。

 退廃的な空気を纏う彼女を置いて、帰路に着こうとした――その時だ。



「っ、門螺はん!」



 青が厳しい口調で彩美の名を呼び、彼女の腕を引いた。

 かなり強い力で腕を掴まれ、彩美は顔を顰める。



「ちょっと! 痛いわよ、何!?」



 彩美の抗議もまるで無視して、青の視線は廊下の窓硝子に向けられている。

 一枚の硝子に、波紋が生じていた。それも、一つではない。



「……門螺はん、これで山吹に連絡してくれへん? 多分まだ校内にいるはずや」



 青は自身のスマートフォンを、彩美へと放り投げる。

 言われるがままに電源を入れると、ロックが掛かっていた。



「――ねぇ、ロックが掛かってるわよ!」



「『1125』や! 紫の誕生日や!」



「……それ、アンタの誕生日でもあるでしょ!?」



「このブラコン!」と毒吐きつつ、指定された数字を入力する。

 彩美のスマートフォンとは仕様が違うため、使い辛いことこの上ない。

 ようやく電話帳を見付け、山吹の名前を見付け出す。彩美は迷わず通話ボタンを押した。

 音が遠い。電波が悪いのか。



 窓硝子を通して現れたのは三人の男女だ。

 手にはそれぞれナイフやクロスボウ、ナックルダスターを握り締めている。敵意は十分といった様子だった。



「来い――『みこと』!」



 青の呼び掛けに、突如狐火がいずる。

 青白く揺れる狐火は人の輪郭を成すと、火花を散らして弾けた。


 姿を現したのは、白い着物を纏う金髪の女だ。

 涼やかな眼差しに、右目の泣き黒子があでやかさを演出している。

 裾に大輪の牡丹があしらわれた着物には清楚さの中に、目を見張る美しさがあった。

 しかし大きくはだけられた襟元が、その印象を淫靡なものへと変えている。

 はだけた襟元からは、たわわに実った乳房がまろび出そうだ。


 それ以上に目に止まるのは、彼女の頭頂でピクピクと動く獣の耳。

 形の良い臀部の少し上、尾てい骨の辺りでは、小麦畑のような毛並みの良い尾がゆらゆらと揺れている。



 その姿はまさしく――狐だ。



『……むぅ、田彦たひこはおらなんだか?』



 血のように赤い紅が引かれた、ぽってりとした唇がなまめかしく動く。

 切れ長の瞳が青を流し見るが、同性の彩美ですら思わずくらっとしてしまいそうな色気にも、彼女は一切動じなかった。



「残念やけど、ここにはおらへんよ」



『つまらんのぉ。おぉ、じゃじゃ。可愛い弟分に会いたいという姉心が解らんのか、青には。わらわは悲しいぞい』



 着物の袖を目元に当てて泣き真似をする狐女――命を目掛けて、クロスボウの矢が放たれる。

 命は泣き真似の小芝居を続けながらも手遊びの要領で狐の形を作り、まるで「コン」と鳴かせるように左手首を上下させた。


 刹那、クロスボウの矢が業火によって焼き尽くされる。


 炎もろとも跡形もなくなったそれは、まるで夢幻ゆめまぼろしだ。

 しかしその場に残る焦げた臭いが、確かに現実であったことを知らしめていた。

 一瞬の出来事に、彩美はスマートフォンを耳に当てたまま言葉を失う



「門螺はん、山吹は!?」



「出ない!」



「じゃあ紫に掛けるんや!」



 山吹との通話を切り、通話履歴に紫の名前があったのでそこから掛け直す。

 一コール、二コール、三コール……五コール目でようやく繋がった。



『――青?』



 ノイズが酷い。

 電波のせいなのか、はたまた目の前にいる並行世界の彼等のせいなのか。

 いつ切れてもおかしくない。彩美は端的に告げた。



「一年二組の前よ!」



 それだけ言って、彩美は通話を切った。意味が通じたかは解らない。

 それに紫が校内にいるのかも怪しい。

 紅は帰宅したのを彩美が目撃している。

 後は、山吹が不在着信の通知に気付いてくれるかが鍵だろう。



難原なんばら弟に繋がったわ!」



「『難原弟』て……」



「難原に繋がった」と言い掛けて相手も「難原」であることに気付き、咄嗟に口を衝いた言葉が「難原弟」だった。

 青に苦笑され、彩美は苦々しく顔を歪めた。



『青。田彦がおらなんだ、妾の力は半減じゃぞ』



 ナイフを片手にがむしゃらに襲い掛かって来た男子生徒を、命の炎が牽制する。

 しかし彼は炎の猛攻を上手くすり抜け、青との距離を詰めた。

 振りかぶられた男子生徒の拳に、彩美は柄にもなく叫び声を上げそうになる。


 ――青は殴り掛かって来る男子生徒の腕を平然と絡め取ると、素早く投げ飛ばした。


 華麗な一本背負いに、彩美はスマートフォン片手に唖然とするしかない。

 お淑やかそうな見た目に反して、本当に色々と豪快な女だ。



「解ってる。さっきの門螺はんの電話で、理解してくれるはずや……多分」



『――これはまた、えらく雰囲気が様変わりしたのう。全く、難儀な娘じゃな』



 命は彩美を一瞥すると、フンと鼻を鳴らした。

 会話をしながらも、彼女はナイフを持つ男子生徒に炎の塊をぶつけ、廊下の端まで吹き飛ばす。

 最後に残った女子生徒が、クロスボウを乱れ打った。

 矢を番う動作がないということは、黒姫から与えられた能力ということか。

 どちらにせよ、厄介であることには変わりない。


 しかし山吹や紫を呼ぶ程、余裕がないようには思えないが……。



「……幻なんや」



 彩美の心を読んだかのようなタイミングで発せられたそれに、心臓が跳ねる。

 青は顔を正面に向けたまま、淡々と告げた。



「炎も何もかも、ハッタリなんや。そう見せているだけや。命の本領は、本来はそこやからな」



「さっきの矢は燃えてたじゃない」



「……今の話を踏まえた上で、後ろを見てみぃ」



 振り向くと、数メートル後ろの壁に黒い矢が深々と突き刺さっていた。

 彩美の顔からざっと血の気が引く。



「矢が絶対当たらん位置やったから、さっきはああしただけや。矢の方向に私や門螺はんがおったら、あの手は使わんかった」



「ちょっと。勘弁してよ……」



 言っている傍から、ナイフを持った男子生徒が立ち上がった。

 青が幻と言った通り、衣類が焼けた様子もない。むしろ、壁に衝突したことによるダメージの方が大きそうだ。

 一方青が背負い投げた男子生徒は一切身動ぎしないため、こちらの方が余程重傷そうである。



「難原、アンタが戦った方が早いんじゃない!?」



『何とまあ、失礼な小娘じゃな』



 命が狐火を放つが、幻覚だということに気付いたのだろう。男子生徒は、炎の渦をものともせずに突っ込んで来る。

 そして援護射撃のつもりか、女子生徒のクロスボウの矢が、彩美と青目掛けて放たれた。

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